Ep.14 たぶんな。
『信号、消失しました』
夕方近くになって、ピコがそう報告した。
「完全にか?」
『はい。最後に受信してから2時間13分が経過しています』
「方向は?」
『特定できません。断続的かつ微弱な信号でした。反射波の影響も考えられます』
「……そうか」
窓から双眼鏡を下ろす。
何だったんだ。
そう思う一方で、ただの故障した機械か何かだろう、と切り捨てる気にもなれなかった。
この街では、動く機械というだけで警戒する理由になる。
まして俺たちは一週間前、ガソリンスタンドで5年前の戦争の置き土産に襲われたばかりだ。
「おじさん」
背後から声がした。
振り返ると、アイがベッドの端に座っていた。
「まだ、みてる?」
「ああ」
「なにかいる?」
「……分からん」
アイは窓の方を見る。
しばらくそうしていたが、やがて俺の顔に視線を戻した。
「いない?」
「見える範囲にはな」
「じゃあ、いないかも」
「そうだといいんだけどな」
俺が答えると、アイは少し考えたあと、
「いたら、ピコがみつける」
と言った。
『過度な信頼は推奨しません』
部屋の隅で浮いていたピコが即座に返す。
アイがそちらを見る。
「ピコ、みつけられない?」
『対象の特性および状況によります』
「でも、さっきみつけた」
『電波を検出しただけです。発信源そのものを発見したわけではありません』
「じゃあ、ちょっとみつけた」
『……定義によっては否定しません』
アイが満足そうに頷く。
こんな状況でも、こいつらはいつも通りだった。
俺はもう一度だけ窓の外を確認してから、カーテン代わりに吊ってある布を引いた。
「今日はもういい。暗くなる前に一階の戸締まり確認するぞ」
「アイも?」
「部屋にいろ」
「……なんで?」
「なんでもだ」
頬がわずかに膨らむ。
最近、こういう顔もするようになった。
最初に地下で見つけた頃は、何を言ってもただ不思議そうにこちらを見ていた。それが今では、嫌なら嫌そうな顔をするし、面白ければ笑う。納得できなければ食い下がってくる。
面倒が増えたと言えば、その通りだ。
でも、それを悪いと思ったことはなかった。
「ピコ」
『はい』
「行くぞ」
『了解しました』
「アイは?」
「留守番」
「……むう」
その日は、それ以上何もなかった。
夜になっても電波は戻らず、銃声も、機械の駆動音も聞こえなかった。
翌朝。
俺は日の出から少し経った頃に目を覚ました。
身体を起こす。
「……ピコ」
『起動しています』
すぐ近くから返事がした。
「夜は?」
『異常なし。該当する電波の再検出もありません』
「そうか」
ベッドから降り、首を回す。
右腕の傷はかなり良くなっている。まだ強く動かすと鈍い痛みが残るが、日常生活にはほとんど支障がない。
ふと床を見る。
ベッドの横で、アイが壁にもたれて座っていた。
眠っているわけではない。
目は開いている。
俺と目が合うと、すぐに口を開いた。
「おはよう」
「……お前、ずっとそこにいたのか?」
「うん」
「何してた」
「ピコとはなしてた」
ピコを見る。
『小声での会話を要求されました』
「なんで小声なんだよ」
「おじさん、ねてたから」
「……そうかよ」
妙なところで気を遣うようになったものだ。
「なに話してたんだ?」
「ないしょ」
「誰に覚えた、それ」
アイは答えず、少しだけ笑った。
たぶんピコじゃない。
『私ではありません』
「聞いてねえよ」
『誤解を防ぐための補足です』
俺はため息をつきながら立ち上がった。
水で顔を洗い、簡単に腹へ物を入れる。アイも当然のように隣で食べた。腹は減らないくせに、最近では俺が飯を食い始めると自分の分もあると思っている節がある。
食料事情を考えると複雑だが、食べるなとも言いづらい。
午前8時を少し回った頃。
俺はM-68を腰へ収めた。
「ピコ。外を見てくる」
『昨日の信号についてですか』
「ああ。何もないなら、それでいい」
ただ、何もないことを自分の目で確認しておきたかった。
「アイ」
「いく」
「まだ何も言ってない」
「そと、いく?」
「俺とピコだけだ」
アイの表情が露骨に曇った。
「なんで?」
「昨日言っただろ。何かいるかもしれない」
「だから、アイも――」
「だからだよ」
少し強めに言うと、アイは口を閉じた。
俺はしゃがみ、目線を近づける。
「病院の周りを見るだけだ。すぐ戻る」
「……すぐ?」
「ああ」
「ほんと?」
「たぶんな」
「たぶん」
「……すぐ戻る」
言い直すと、ようやく納得したらしい。
「わかった」
「勝手に外へ出るなよ」
「でない」
『確認しました』
「お前は何を確認してんだ」
『アイが明確に約束した事実です』
嫌な予感しかしない言い方だったが、今は突っ込まないことにした。
病院を出ると、空は薄く曇っていた。
昨日より風が強い。
『現時点で動体反応はありません』
「電波は?」
『該当信号なし』
病院の前には、かつてロータリーだったらしい空間がある。
今は舗装の大半が割れ、中央には横倒しになった救急車が一台残っている。赤いラインはすっかり色褪せ、窓ガラスもほとんど残っていない。
その横を通り過ぎようとして――足が止まった。
「……ピコ」
『はい』
「あれ」
救急車の向こう。
道路脇に溜まった薄い泥の上に、いくつか穴があった。
俺は周囲を確認してから近づいた。
しゃがみ込む。
人間の靴跡じゃない。
犬や猫でもない。
細く、深い。
何か硬いものを突き立てたような跡が、一定の間隔で続いている。
ピコが高度を下げた。
『確認します』
短い電子音。
『圧痕を複数確認。自然形成の可能性は低いと判断します』
「いつのだ」
『正確な経過時間の推定は困難です。ただし、昨夜の降雨はありません。表面の崩れと乾燥状態から――比較的新しいものと推測します』
俺は黙って跡を追った。
泥からアスファルトへ移ると、痕跡は一度消える。
だが10mほど先、道路に転がっていたアルミ製の標識が、不自然にへこんでいた。
さらに先には、瓦礫の表面についた細い傷。
新しい。
削れた部分だけ色が違う。
「……昨日はなかったよな」
『少なくとも、3日前の周辺探索時には記録されていません』
背中が冷えた。
俺は立ち上がり、病院を見る。
建物は静かなままだ。
窓にも何も見えない。
視線を戻す。
「数は?」
『痕跡が重複しています』
「一機じゃない?」
『断定できません。ただし、圧痕の幅および間隔に複数の差異があります』
「……複数か」
ガソリンスタンドで見た黒い装甲が頭をよぎった。
四本の細い脚。
中央の赤いセンサー。
そして、あの声。
――IS-003。
――最優先。
――破壊対象。
無意識にM-68へ手が伸びる。
もし同じものが2機来たら、それだけでかなり厳しい。
3機なら、考えたくもない。
「どっちへ行った?」
『痕跡を追跡します』
ピコが先行する。
俺もあとを追った。
病院の北側へ回り込む。
そこは昔、職員用の駐車場だったらしい。白線だけが薄く残り、錆びた車が数台放置されている。
そこで、また跡を見つけた。
今度は分かりやすかった。
車のボンネットに、細い脚を突き立てたような窪みがある。
その隣の車にも。
さらに奥のフェンスにも、金属同士が擦れた新しい傷。
「……病院の周りを回ってる?」
『可能性があります』
「通り過ぎたんじゃなく?」
『痕跡の方向が一定ではありません』
ピコが少し上昇する。
『北側から接近。西へ移動。その後、南方向へ転進した形跡があります』
「ぐるっと回ったのか」
『その可能性が高いです』
何のために?
答えは考えたくなかった。
でも、頭の中にはもう浮かんでいる。
探しているんだ、何かを。
あるいは――誰かを。
「戻るぞ」
『同意します』
俺は踵を返した。
その瞬間。
カラン。
遠くで、小さな音がした。
金属が地面を転がるような音。
足が止まる。
ピコも空中で静止した。
「ピコ」
『音源を探索中です』
M-68を抜く。
銃口を下げたまま、周囲を見回す。
駐車場。
放置車両。
崩れた外壁。
その向こうには、細い道路。
何もいない。
『主様』
「どこだ」
『北東方向。約七十メートル』
そちらを見る。
建物と建物の隙間。
道路の向こうに、傾いた自動販売機が見える。
その脇で。
何かが、一瞬だけ動いた。
「……見えた」
銃を上げる。
だが、もういない。
『小型の飛行物体を確認しました』
「軍用か?」
『識別データとの照合を開始します』
俺はゆっくり後退する。
病院まで走れば一分もかからない。
問題は――
「アイ」
思わず名前が漏れた。
嫌な汗が背中を伝う。
「ピコ、戻るぞ」
『了解』
振り返る。
そして、固まった。
病院の角。
そこから、小さな水色の頭が覗いていた。
「……お前」
アイだった。
俺と目が合う。
まずい、という顔をした。
「…………」
「…………」
「アイ」
「……うん」
「外に出るなって言ったよな?」
「いった」
「出ないって言ったよな?」
「いった」
「じゃあなんでいる」
アイはしばらく黙った。
それから、非常に小さな声で言った。
「……すぐ、もどってこなかった」
「まだ10分も経ってねえよ!」
アイがこっちへ歩いてくる。
「止まれ!」
俺の声に、アイの足が止まった。
同時だった。
『――警告』
ピコの声が響く。
さっきの建物の隙間から、何かが飛び出した。
小さい。
ガソリンスタンドで見た四脚兵器とは違う。
人の頭より少し大きい程度の、灰色の機体。
短い翼のようなものを左右へ伸ばし、その下で小型のローターが回転している。
偵察機。
そう呼ぶのが一番近かった。
そいつは俺たちの上空まで来ると、ぴたりと止まった。
「アイ、動くな」
銃口を向ける。
撃たない。
まだ撃てない。
五発しかない。
それに、向こうも攻撃してこない。
機体下部の小さなレンズが動いた。
まず俺を見る。
赤い光が一度だけ瞬いた。
次にピコ。
『走査波を検出』
ピコがわずかに位置を変える。
だが、偵察機はそれ以上反応しない。
まるで興味を失ったように、レンズが横へ動く。
その先に。
アイがいた。
「……?」
アイが見上げる。
レンズが止まった。
空気が変わった。
偵察機の内部で、それまで聞こえなかった低い駆動音が鳴り始める。
『信号強度、急上昇』
「何?」
『外部への送信を開始しています』
「落とせるか?」
『可能です。ただし――』
ピコの言葉を遮るように。
偵察機から、ひどく掠れた音声が流れた。
『――照合』
俺の指がM-68の引き金にかかる。
『――生体識別』
アイが俺を見る。
「おじさん?」
赤い光が、アイの身体をなぞった。
そして。
『――IS-003』
心臓が跳ねた。
「伏せろ!」
銃声が響いた。
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