Ep.12 会話効率を優先しました。
発電機を無人で動かす以上、確認は念入りに行った。
燃料漏れなし。冷却系統にも今のところ異常なし。回転数も安定している。
ピコが三度目の確認を終えたところで、ようやく地下施設を出ることにした。
「よし。帰るぞ」
「おうち!」
待ってましたとばかりにアイが立ち上がる。
「走るなよ」
「はしってない」
「今から走ろうとしてただろ」
「してない」
『通常歩行時と比較して重心が前方へ移動していました』
「ほら」
「ピコのばか」
『知能機能に異常はありません』
いつものやり取りをしながら発電機室を出る。
扉を閉めても、低い駆動音は完全には消えなかった。コンクリートの壁越しに、かすかな振動だけが伝わってくる。
今まで死んだように静かだった地下施設の奥で、五年ぶりに機械が動いている。
その事実だけで、来たときとは場所そのものの印象が違って感じられた。
帰り道、アイは何度か天井を見上げていた。
廊下の照明も一部だけだが復旧している。点灯しないものや、弱々しく明滅を繰り返すものも多い。それでも懐中電灯なしで歩ける場所があるというだけで大きな違いだった。
「おじさん」
「ん?」
「でんきって、ずっとひかる?」
「燃料がある間はな」
「なくなったら?」
「消える」
「……」
アイの足が少しだけ遅くなる。
「そんな顔すんな。また取りに行けばいい」
「きのうのところ?」
「あそこにもまだ残ってるはずだ」
『ただし、再探索時には十分な警戒を推奨します』
ピコが横から口を挟む。
昨日のガソリンスタンド。
その言葉だけで、俺の右腕が思い出したように疼いた。
アイも何も言わなくなる。
「……まあ、今すぐじゃない」
俺はそう付け加えた。
「今日は電気だ」
「うん」
地上へ出ると、眩しさに目を細めた。
バイクに荷物を積み直し、来た道を戻る。
行きとは違い、アイは景色よりも進行方向ばかり見ていた。
よほど病院の灯りが気になるらしい。
「まだ?」
「まだ」
少し進む。
「まだ?」
「まだ」
さらに進む。
「まだ?」
「見えてるだろ、もう」
「まだひかってない」
「昼間なんだから外から見ても分かんねえよ」
『質問回数三回』
「数えなくていい」
ようやく病院へ到着する。
俺がバイクを停めるより早く、アイが身体を動かした。
「待て」
「ひかってるか見る」
「停まってから降りろ」
完全に停止してから地面へ下ろすと、アイは病院の裏口へ駆けていった。
「走るなって!」
「はしってない!」
元気な声が廃墟へ消えていく。
俺はため息をつきながら後を追った。
そして病院へ入って。
すぐに分かった。
暗い。
「……」
廊下は朝と何も変わっていなかった。
天井の蛍光灯は一本も点いていない。
アイが立ち止まる。
天井を見る。
俺を見る。
もう一度、天井を見る。
「ひかってない」
「そうだな」
「でんき、きてない?」
『確認します』
ピコが壁際へ飛んでいく。
俺も近くのスイッチを押してみる。
カチ。
何も起きない。
もう一度。
カチ。
当然、暗いまま。
「……まあ、そう簡単にはいかないか」
「こわれた?」
「まだ分からん」
地下施設側から送電されていること自体は確認した。
なら問題があるとすれば、途中の送電線か。
あるいは。
「病院側だな」
『同意します』
ピコが戻ってくる。
『院内系統に電圧を確認できません』
「受電盤見に行くか」
「じゅでんばん?」
「病院が電気を受け取るところ」
「そこ、なおす?」
「壊れてればな」
「アイもいく」
「はいはい」
病院の受電設備は一階の奥、かつて職員以外立入禁止だった区画にある。
俺がこの病院を住処に決めた直後、一度だけ調べたことがあった。
そのときは外部から電気そのものが来ていなかったため、どうしようもなかった場所だ。
廊下を進み、古い管理扉を開ける。
中には大型の配電盤が壁一面に並んでいた。
アイが覗き込もうとする。
俺はすぐ肩を掴んで止めた。
「ここから先は絶対に勝手に触るな」
「……うん」
声の調子で分かったらしい。
素直に一歩下がる。
今までとは違う。
地下施設から本当に電気が来ているなら、ここには命を奪えるだけの電圧がかかっている可能性がある。
『私が先行します』
「頼む」
ピコが配電盤の前へ移動する。
俺は懐中電灯で照らしながら、古びた表示を確認した。
院内照明。
医療設備。
空調。
エレベーター。
非常系統。
当然、全部を動かすつもりはない。
燃料は有限だ。
今必要なのは、生活している一角だけ。
「どうだ?」
『外部入力を確認しました』
「来てる?」
『はい』
思わず息を吐いた。
一・八キロの地下送電線は生きていた。
五年も放置されていたのに。
「じゃあ、なんで点かない?」
『主遮断器が開放状態です。また、保護装置が作動した形跡があります』
ピコが奥を照らす。
そこにある大型のレバーは途中で止まり、脇の古い表示器には警告が残っていた。
「昔落ちたままか」
『その可能性が高いです』
「戻せばいい?」
後ろからアイ。
「簡単に言うとそうなんだけどな」
『その前に院内配線の安全確認が必要です』
「そういうこと」
いきなり全部へ電気を流して、どこかで短絡でもしていたら洒落にならない。
俺は院内系統を一つずつ切っていく。
エレベーターはいらない。
空調も今はいい。
医療機器も使わない。
厨房も切る。
必要な区画だけ残す。
俺たちが生活している病室。
その周辺の廊下。
あとは最低限の設備。
「ずいぶん寂しい使い方だな」
『燃料消費を考慮すれば妥当です』
「分かってる」
アイは少し離れたところで、俺たちの作業をじっと見ていた。
手伝いたそうなのは分かる。
でも今回は駄目だ。
「アイ」
「うん」
「そこの懐中電灯持ってて」
「これ?」
「ああ。ここ照らして」
ぱっと表情が変わる。
「わかった」
アイが両手で懐中電灯を持つ。
光が盛大に俺の顔へ向いた。
「眩しい」
「あ」
下がる。
今度は床。
「下すぎ」
上がる。
天井。
「上すぎ」
「むずかしい!」
『主様の右手付近です』
ピコが教える。
ようやく光が欲しい位置で止まった。
「そこ。完璧」
「うごかさない?」
「うん」
アイは真剣な顔で懐中電灯を固定した。
今度は本当に微動だにしない。
「……そこまで固まらなくていいぞ」
「うごかすなっていった」
「言ったけど」
『命令を忠実に実行しています』
「融通って言葉も今度教えような」
確認に時間をかけた。
ピコが簡易的に絶縁状態を調べ、俺が生きている回路だけを選ぶ。
幸い、生活区画までの配線に致命的な異常は見つからなかった。
「よし」
俺は主遮断器の前に立った。
「アイ。もう少し下がれ」
「うん」
「ピコ」
『準備完了です』
古いレバーを握る。
左腕だけで力を込める。
固い。
「……っ」
もう少し。
ガコン。
重い音が室内に響いた。
一瞬。
何も起こらない。
その直後だった。
ブゥン――。
どこか奥で、低い電気音がした。
配電盤の表示灯が一つずつ点灯していく。
『受電を確認』
ピコの声。
『院内系統へ送電開始』
「来たか」
「ひかった?」
「まだ。ここからだ」
最後に。
生活区画の回路を入れる。
カチン。
今度は小さな音だった。
遠く。
廊下の向こうで。
何かが一度だけ明滅した。
「……!」
アイが振り向く。
「いま!」
「ああ」
「ひかった!」
「走るなよ」
「うん!」
走った。
「おい!」
俺たちも後を追う。
病室へ続く廊下。
その途中で。
一本。
蛍光灯が点いていた。
古い照明だから、明るいとは言えない。
白い光は弱く、時折わずかに揺れている。
隣の一本は壊れたまま。
その先も暗い。
それでも。
確かに点いている。
アイは真下まで行くと、顔を上げた。
「……」
珍しく。
何も言わない。
ただ、光を見ている。
その瞳に白い蛍光灯が映っていた。
「アイ」
呼ぶと。
ようやくこちらを見る。
「おじさん」
「なんだ」
「これ」
もう一度、天井を指差す。
「おうちの、ひかり?」
俺も見上げた。
薄汚れた天井。
古い蛍光灯。
ただの電気だ。
昔なら、点いていることすら気にしなかっただろう。
「……そうだな」
俺は答えた。
「うちのだ」
アイが笑った。
それから病室へ駆け込む。
「だから走るなって!」
俺が追いつくと、アイは壁のスイッチの前に立っていた。
「これ?」
「ああ」
「やっていい?」
「いいぞ」
アイがスイッチを押す。
カチッ。
一瞬遅れて。
天井の照明が二度ほど明滅し。
パッと点いた。
「……!」
アイが両手を上げる。
「ひかった!」
「見りゃ分かる」
「ピコ! ひかった!」
『確認しています』
「おじさん!」
「俺も見てる」
「ひかった!」
「分かったって」
何度言うんだ。
でも。
俺も少し笑っていた。
明るくなった病室は、今までと随分違って見えた。
壁は汚れているし、家具も寄せ集め。
窓だって一部は板で塞いである。
綺麗な場所とは言えない。
それでも、机の上も、ベッドも、棚も。
昨日三人で片付けたものが、ちゃんと見える。
アイは部屋の中を歩き回り、いちいち照明の下から天井を見上げていた。
「ここもあかるい」
「同じ部屋だからな」
「こっちも」
「同じ照明だ」
「ピコもあかるい」
『私は以前から同一の外観です』
「きらきらしてる」
ピコの金属外装に蛍光灯が反射している。
『反射です』
「きらきら」
『反射です』
「きらきら」
『……はい』
「折れたな」
『会話効率を優先しました』
アイが笑う。
その声を聞きながら。
俺は壁にもたれた。
右腕が少し痛む。
今日はさすがに動きすぎた。
けれど。
悪くない。
暗くなればランタンを点ける。
それが当たり前だった生活に。
たった一つ。
普通のものが戻ってきた。
アイがスイッチを切る。
暗くなる。
「おい」
点ける。
明るくなる。
消す。
暗くなる。
点ける。
「アイ」
消す。
「おい」
点ける。
「おもしろい!」
「壊れるからやめろ」
「こわれる?」
「たぶん」
アイの指が止まった。
「じゃあ、やめる」
素直だ。
こうして。
五年間止まっていた病院に。
ほんの少しだけ。
灯りが戻った。
俺たちは知らなかった。
同じ頃。
誰も使っていない一階の奥。
埃に埋もれた古い部屋で。
送電から数十秒遅れて、一台の機器にも電流が流れ込んでいた。
割れたモニター。
錆びた端子。
壁際に残された通信装置。
長い沈黙のあと。
その小さな表示灯が。
一度だけ。
赤く点滅する。
内部に残っていた回路が自動的に起動し、短い信号を生成した。
宛先も。
受信者も。
今となっては分からない。
ただ。
信号は地下に残る古い通信線を通り。
病院の外へと送られていった。
誰にも気づかれないまま。




