Ep.11 おうち、ひかった?
作業を始めて、30分ほどが経った。
発電機の状態は、思っていたより悪くない。
問題は──。
「右手使うなって、無理じゃない?」
『無理ではありません』
「ネジ一本外すのに何分かかると思ってんだよ」
『負傷を悪化させるより合理的です』
「はいはい」
俺は左手だけでドライバーを回す。
やりづらい。
ものすごくやりづらい。
その隣では、アイが俺から渡された布で発電機の外装を拭いている。最初は同じ場所ばかり磨いていたが、やり方を教えるとすぐに要領を掴んだ。
「おじさん」
「ん?」
「ここも?」
アイが指差したのは、発電機の側面にある細い隙間だった。
「そこはいい。指入れるなよ」
「なんで?」
「切るかもしれないから」
「けが?」
「ああ」
アイはすぐに手を引っ込めた。
「じゃあ、やらない」
素直で助かる。
少なくともこういうところは。
俺がようやく一本目のネジを外したところで、ピコが発電機の裏側から戻ってきた。
『冷却系統を確認しました』
「どう?」
『冷却水は使用可能な水準ではありません。内部に汚れも確認されます』
「交換か」
『推奨します』
俺は工具箱を見る。
持ってきた水だけで足りるか。
飲料用とは別に、作業用として確保していた分がある。
「足りそう?」
『最低限の交換であれば』
「じゃあやるか」
『ただし、その前にもう一点』
ピコが制御盤へ飛んでいく。
「今度は何だよ」
『始動用電源です』
「あ」
完全に忘れていた。
ディーゼルだからって、燃料さえあれば勝手に目を覚ますわけじゃない。
制御盤の下部を開けると、中には大型の始動用バッテリーが収まっていた。
俺は端子へテスターを当てる。
数字を見る。
「……死んでるな」
『はい』
「これ、なおす?」
アイが横から覗き込む。
「これは直すっていうか……充電するか、別の電源がいる」
「でんきつけるのに?」
「ああ」
「でんきがいる?」
「ああ」
「……」
アイが考え込んだ。
「でんきないから、でんきつけるんだよね?」
「ああ」
「でも、でんきつけるのに、でんきいる?」
「ああ」
「……?」
完全に混乱している。
『始動時のみ外部電力を必要とします』
ピコが補足する。
アイの眉間にさらに皺が寄った。
「でんき、めんどくさい」
「俺も今そう思ってる」
幸い、想定していなかったわけじゃない。
俺は工具箱の底から小型の携帯電源を取り出した。
地下施設を探索したときから、発電機を動かすなら必要になると思っていたものだ。
もちろん、これだけで大型発電機を直接回せるほどの出力はない。
だが。
「ピコ」
『はい』
「始動用バッテリー、完全に終わってる?」
『確認します』
ピコが端子へアームを伸ばす。
数秒。
『著しく劣化しています。ただし、補助電源を併用すれば始動を一度試行できる可能性があります』
「一回か」
『確実性を求めるなら交換を推奨します』
「交換品があればな」
ここは廃墟だ。
注文すれば明日届く、なんて便利な時代はとっくに終わっている。
それしかない。
「やってみよう」
『了解しました』
そこからさらに一時間ほどかけて、俺たちは発電機を整備した。
腐食した端子を磨き、傷んだ配線を交換する。冷却系統を最低限清掃して、中身を入れ替える。
俺とピコが機械の中を触っている間、アイには安全な場所の清掃と、必要な工具を渡す役を任せた。
「アイ、十ミリ」
「とーみり」
工具箱を覗く。
「これ?」
「それ十二」
「……」
戻す。
別の一本。
「これ?」
「十三」
「……」
『左から四番目です』
アイが左から四番目を取る。
「とーみり」
「そう、それ」
アイは工具をじっと見る。
それから隣の十二ミリを見る。
さらに十三ミリ。
何かを確かめるように並べて。
「わかった」
「本当か?」
「うん」
数分後。
「アイ、十二」
差し出された。
十二ミリ。
「……マジか」
「できた」
『学習を確認しました』
アイが得意そうに笑う。
こういうところを見るたびに思う。
やはり、覚えるのが異常に早い。
けれど今は、それを口にしなかった。
俺は額の汗を腕で拭い、発電機から一歩離れた。
「……こんなもんか」
『起動試験へ移行可能です』
「燃料入れる?」
アイが待ちきれない様子で軽油の容器を見る。
「ああ」
俺は給油口を開けた。
アイがすぐ横へ来る。
「やる」
「重いぞ」
「いっしょ」
昨日、ガソリンスタンドで燃料を抜いたときと同じだ。
俺が容器を支え、アイがホースを持つ。
ピコが残量を監視する。
軽油がタンクへ流れ込んでいく。
『必要量に到達しました』
「よし」
ホースを抜いて、蓋を閉める。
これで準備はできた。
たぶん。
「アイ」
「うん」
「少し離れろ」
「なんで?」
「何が起きるか分からない」
その一言で、アイは素直に数歩下がった。
ピコも俺の隣へ来る。
『異常を検知した場合、直ちに停止してください』
「分かってる」
制御盤を見る。
死んでいた始動用バッテリーに補助電源を接続する。
スイッチを入れた。
カチッ。
5年間沈黙していた制御盤に、小さな緑色のランプが灯った。
「……お」
背後から。
「ひかった!」
「まだ喜ぶな」
「でも、ひかった!」
「これはな」
『制御系統への通電を確認』
ピコが数値を読む。
『現時点で重大な異常はありません』
「じゃあ」
俺は始動スイッチへ手を伸ばす。
左手の指を乗せる。
少しだけ緊張する。
これだけ古い機械だ、動く保証なんてない。
最悪。
どこかが焼ける。
「いくぞ」
アイが少し離れたところから見ている。
ピコが発電機の状態を監視する。
俺はスイッチを押した。
ガッ。
発電機の奥で何かが動く。
ガガガガ――。
重い回転音。
だが。
数秒で止まった。
「……」
「……」
「……」
アイが俺を見る。
「ひからない」
「見れば分かる」
『始動失敗です』
「それも分かる」
俺は制御盤を見る。
異常表示。
ピコがすぐに読み取る。
『燃料圧が不足しています』
「燃料は入れたぞ」
『長期間の停止により、燃料系統内に空気が混入している可能性があります』
「あー……」
嫌なやつだ。
「なおる?」
アイが聞く。
「直す」
俺は即答した。
「まだ終わってない」
アイは少しだけ俺を見て。
笑った。
「うん」
もう一度、工具箱を開く。
燃料系統のエア抜き。
「ピコ」
『はい』
「手伝って」
『最初からその予定です』
「アイ」
「うん!」
「お前も」
「やる!」
そこから、さらに三十分。
途中で軽油を少しこぼし。
アイが布を持って走ってきて。
「走るな!」
と言った直後に俺が工具へ足を引っかけ。
『主様も走ってはいませんが危険です』
「今のは事故!」
「おじさん、あぶない」
「分かってる!」
散々だった。
それでも、少しずつ。
5年間眠っていた機械の中から、空気を追い出していく。
最後のバルブを締めた。
「……よし」
俺は立ち上がった。
今度こそ。
アイもさっきと同じ場所へ下がる。
「こんど、ひかる?」
「発電機は光らない」
「びょういん」
「それはまだ先」
「まだ?」
「まずこいつが動かないと始まらない」
『再始動可能です』
ピコが告げる。
俺は始動スイッチへ指を置いた。
「じゃあ、2回目」
押す。
ガッ。
ガガガガガ――。
1度目と同じ重い音。
発電機が震える。
アイが少し目を見開く。
ガガガガ――。
止まるな。
俺は制御盤を睨む。
ガガガ――。
そして。
ドドドドドドドド――。
音が変わった。
低い振動が床から靴底へ伝わってくる。
5年間、沈黙していた巨大な機械が、ゆっくりと息を吹き返した。
「……動いた」
『回転数上昇』
ピコがすぐに計測を始める。
『発電出力を確認。電圧安定まで待機してください』
アイは発電機を見たまま動かない。
「おじさん」
「なんだ」
「これ、いきてる?」
「……まあ」
俺は振動する機械を見る。
「さっきよりはな」
アイが笑った。
制御盤のランプが一つ。
また一つ。
暗闇の中で点灯していく。
それに伴って、発電機室の天井に残っていた古い照明が一度だけ明滅した。
パッ。
消える。
そして。
パッ。
今度は消えなかった。
白い光が。
発電機室を照らした。
アイが目を丸くする。
「……」
天井を見る。
「ひかった」
「ああ」
「ひかった! これが、でんき?」
「ああ」
「びょういんも?」
「それを今から確かめる」
俺は壁際の配電盤へ視線を移した。
発電機が動いた。
だが、ここからが本番だ。
地下施設と病院を繋いでいる送電線。
それが5年前までの戦争と放置を耐えている保証はない。
ピコも同じことを考えたらしい。
配電盤の前へ飛んでいく。
『主様。外部送電系統を確認します』
「ああ。頼む」
俺も近づく。
アイがついてくる。
「触るなよ」
「わかってる」
配電盤の表示灯は、ところどころ死んでいた。
生きているものもある。
ピコが古い回路表示を読み取っていく。
『施設内部系統。研究区画。保安区画。換気設備――』
その声が。
ふと止まった。
「どうした?」
ピコが一段下の表示へ移動する。
そこだけ。
他とは違う表記が残っていた。
掠れてはいるが。
まだ読める。
《MEDICAL》
その下には。
外部へ伸びる系統を示す表示。
俺はそれを見た。
以前。
配電図で確認した線だ。
この地下施設から外へ。
そして。
1.8km先の病院へ。
「それだ」
『はい』
「めでぃかる?」
アイが読む。
「病院って意味だ」
「おうち?」
「……まあ、今はそうだな」
アイが《MEDICAL》の文字を見る。
「おうち、ひかる?」
俺は答えなかった。
代わりに。
配電盤の奥へ伸びている太いケーブルを見る。
5年間誰も使っていない線。
その先に。
俺たちの病院がある。
「ピコ」
『はい』
「送れる?」
数秒。
ピコが系統を確認する。
『現時点で地絡および重大な短絡兆候は検出されません。ただし、病院側設備の状態はここから確認できません』
「つまり?」
『送電試験は可能です』
俺は《MEDICAL》と書かれたスイッチを見る。
これを入れれば。
電気が向こうへ行く。
たったそれだけのことなのに、妙に緊張した。
「やるぞ」
「うん」
アイが俺の横に立つ。
俺は古いレバーへ左手をかけた。
固い。
少し力を込める。
ガコン。
重い音が発電機室に響いた。
表示灯が一つ、赤から緑へ変わる。
『外部系統への出力を確認』
ピコが言った。
『送電されています』
「……よし」
アイが天井を見る。
「おうち、ひかった?」
「さあな」
俺は1.8km先にある病院の方角を見るように、コンクリートの壁へ目を向けた。
「帰ってみれば分かる」
アイがすぐに袋を持つ。
「かえる!」
「待て待て。まだ片付けがある」
「はやく!」
『主様。発電設備を無人状態にする前に安全確認が必要です』
「ほら」
「……」
アイが露骨に不満そうな顔をした。
「電気は逃げない」
『正確には――』
「ピコ」
『はい』
「今はいい」
『了解しました』
発電機は一定の低い音を刻み続けている。
その振動の向こうで。
俺たちはまだ知らない。
5年間止まっていた電気が。
病院へ向かって流れ始めたことによって。
灯り以外のものまで。
ゆっくりと目を覚まそうとしていることを。




