Ep.10 喧嘩ではありません。
朝飯を済ませる頃には、窓から白っぽい朝の光が差し込み、薄暗かった病室もずいぶん明るくなっていた。
俺が空になった保存食の袋を丸めてゴミ袋へ放り込むと、アイも同じように自分の袋を捨てる。
「ごちそうさまでした」
「はい、ごちそうさま」
『食事終了を確認しました』
「それ毎回やるの?」
『記録しています』
「好きにしてくれ」
俺は立ち上がり、棚の前へ向かった。
昨日までなら何気ない朝だったはずなのに、今は机の上に旧軍兵器から回収した記録装置がある。
《DIRECTIVE 17》
《IS-003 TERMINATION》
あの文字列が頭から離れない。
昨日の兵器は偶然アイを狙ったわけじゃない。少なくとも、IS-003を排除するための命令を持っていた。
誰が、いつ、何のために。
当の本人はそんな俺の胸中など知らず、自分の肩掛け袋を持ってこちらへ来る。
「ひかる?」
「まだだ」
「いつ?」
「だから今から、その準備するんだよ」
「アイもいく」
「そのつもり」
「ピコも?」
『同行します』
「さんにん」
満足そうにアイが笑った。
今日は、以前アイを発見した場所に行く。
前回、その施設の奥で非常用発電設備を見つけていた。発電機そのものに致命的な破損は見当たらなかったが、燃料タンクはほとんど空だったため、そのときはどうすることもできなかった。
そして、もう一つ。
施設の古い配電図を調べたとき、一部の送電線がこの病院まで伸びていることも分かっている。
なぜ1.8キロも離れた地下施設と病院が繋がっているのかは知らない。
「……片手だと面倒だな」
右腕にはまだ包帯が巻かれている。痛みは昨夜より引いたものの、工具を振り回せる状態じゃない。
『主様』
「分かってる」
『まだ何も発言していません』
「右腕を使うな、だろ」
『はい』
「ほら」
そのやり取りを聞いていたアイが、床の工具箱へ手を伸ばした。
「アイがもつ」
「それは重いぞ」
「やってみる」
両手で取っ手を握り、小さな身体に力を込める。
工具箱が数センチ浮いた。
アイの腕がぷるぷる震える。
ゴトン。
2秒で床へ戻った。
「……」
「……」
アイが俺を見る。
「もてた」
「二秒な」
「もてたよ」
『持ち上げること自体には成功しています』
「ピコ」
『はい』
「甘やかすな」
『事実です』
アイが得意そうに頷く。
「ほら」
「何がほらだ」
仕方なく俺が左手で持とうとすると、ピコが先にアームを伸ばした。
工具箱の取っ手を掴み、プロペラの回転を上げる。昨日は飛行そのものが不安定だったが、今朝は重い工具箱を吊り下げても姿勢は崩れない。
『私が運搬します』
「身体は大丈夫なのか?」
『機能障害から98パーセントまで回復しています』
「残り2パーセントが怖いな」
『運搬作業に支障はありません』
「じゃあ頼む」
『承知しました』
「ピコ、つよい」
『ありがとうございます』
「俺も持てるけどな」
「おじさん、けが」
「分かってるよ」
なんとなく悔しい。
アイには絶縁テープや端子を入れた軽い袋を渡した。
今度は何も教えなくても正しく肩に掛ける。
アイは俺の銃を見ていたが、近づこうとはしなかった。
「それ、あぶない」
「ああ」
「さわらない」
「正解」
『学習が定着しています』
「ピコに褒められた」
『評価です』
「おなじ」
『異なります』
「おなじ」
『異なります』
「お前ら、いつの間にそんな仲良くなったんだよ」
アイがピコを見る。
「なかよし?」
『定義によります』
「そこは普通に頷いとけよ」
『不正確な回答になります』
「そういうところだぞ」
準備を終え、病室を出た。
病院の裏手へ出ると、冷たい風が吹いていた。
バイクへ軽油と工具箱を固定し、アイを前へ乗せる。
「ちゃんと掴まれよ」
「うん」
アイが掴んだのは、怪我をしていない左側の服だった。
『主様。運転時も右腕への負荷を最小限にしてください』
「徒歩よりはマシだろ」
『同意します』
「珍しく意見が合ったな」
『私が合理的なだけです』
「俺が普段非合理的みたいに言うな」
『その点について回答が必要ですか?』
「いらない」
エンジンを始動する。
バイクは病院を離れ、崩れた街へ走り出した。
目的地まで1.8キロ。
距離だけならすぐだが、道路には陥没や瓦礫が多い。俺は速度を抑え、何度か進路を変えながら地下施設を目指した。
やがて、目的の建物が見えてきた。
廃墟となった食品売場。
俺はその前でバイクを止めた。
俺はバイクから降り、アイも地面へ下ろす。
「大丈夫か?」
「なにが?」
「……いや。なんでもない」
アイはもう一度建物を見た。
そして俺の左袖を掴む。
「いく」
「ああ」
ピコが工具箱を運び、俺は軽油を持つ。
3人で中へ入り、地上の売場を抜け、地下へ続く階段を下りる。外からの光はすぐに届かなくなり、俺は懐中電灯を点けた。
階段の先に、重い防火扉がある。
左手だけで押してみる。
「……重っ」
右腕を使えば早い。
だが、使った瞬間に二人から何を言われるか分かっている。
「ピコ」
『はい』
「重いよ。確認した?」
「確認しました。」
「確認したら手伝って?」
『賢明です』
「その一言いる?」
ピコがアームを扉へ押し当てる。
俺と同時に力をかけると、錆びた蝶番が低く軋み、ゆっくりと扉が開いた。
冷えた地下の空気が流れてくる。
懐中電灯の先に現れたのは、白い壁と長い廊下だった。
アイは立ち止まり、その奥を見る。
「ここ、しってる」
「ああ」
「アイ、ここにいた」
「そうだな」
その言葉だけで。
さっきまでの軽い空気が少し薄れた。
アイがここでどれだけの時間を過ごしたのか。
誰といたのか。
なぜ一人になったのか。
俺たちはまだ知らない。
アイ自身さえ。
覚えていない。
「アイがいた部屋、いく?」
「今日は行かない。反対だ」
「そっか」
それ以上は聞かず、アイは俺についてきた。
廊下を右へ進む。
途中にはいくつもの扉があるが、今日は無視する。
目的は一番奥。
以前の探索で見つけた発電設備だ。
やがて、懐中電灯の光が一枚の金属扉を照らした。
表面には黒ずんだプレートが残っている。
《EMERGENCY POWER》
「ここだ」
アイがプレートと扉を交互に見る。
「ここにある?」
「ああ」
扉を開ける。
発電機室は前に来たときと何も変わっていなかった。
部屋の中央には大型のディーゼル発電機。周囲には太い配管と送電ケーブルが伸び、壁際には制御盤が並んでいる。
アイが俺の横から覗き込む。
「おっきい」
「だろ」
ピコが先に室内へ入り、発電機の周囲をゆっくり飛ぶ。
『非常用ディーゼル発電設備を確認。外観上、前回確認時から大きな変化はありません』
「問題は中身だな」
俺は軽油の容器を床へ置いた。
燃料タンクは前に確認した通り、ほぼ空だ。
だから昨日。
ガソリンスタンドで軽油と分かった瞬間に、ここが頭に浮かんだ。
「おじさん」
「なんだ」
「これいれたら、ひかる?」
アイが軽油を指差している。
「そう簡単なら助かるんだけどな」
『燃料投入のみで正常起動する可能性は低いと推測します』
「だよな」
「なんで?」
「長い間動かしてないからだよ。機械も放っておけば悪くなる」
アイがすぐピコを見る。
「ピコも?」
『適切な保守が行われなければ故障確率は上昇します』
「じゃあ、ピコもこわれたらなおす」
『誰がですか?』
「アイ」
『推奨しません』
「なんで!」
『知識不足です』
「ピコのばか」
『知能機能に異常はありません』
「はいはい。喧嘩は後にしろ」
『喧嘩ではありません』
「ピコがいじわる」
『事実を述べました』
「それを喧嘩って言うんだよ」
俺は工具箱を開けた。
5年間眠っていた機械を動かす。
口で言えば簡単だが、燃料を入れてスイッチを押せば終わりとは思えない。
しかも今日は右腕が使えない。
「ピコ。まず全体を見てくれ。配線と冷却系。油も」
『了解しました』
「アイ」
「うん」
「お前は俺の横。勝手に触るな」
「てつだう」
「ああ。手伝ってもらう」
それを聞いた瞬間。
アイの顔が少し明るくなる。
「なにする?」
俺は工具箱の中を見て。
一本の布を渡した。
「まずこれ」
「なに?」
「掃除」
「……」
アイが布を見る。
発電機を見る。
俺を見る。
「ひからせるんじゃないの?」
「そのために掃除するんだよ」
「そうじで?」
「まず機械がどうなってるか見えなきゃ直せないだろ」
アイはまだ少し納得していない顔をしていたが、俺が指差した外装部分を拭き始めた。
ごしごし。
「強い強い」
手が止まる。
「はみがきといっしょ?」
「……何でも歯磨き基準にするのやめない?」
「やさしく?」
「そう。優しく」
今度は力を弱める。
その横で、ピコが発電機の裏側へ回り込んだ。
『主様。複数箇所で配線被覆の劣化を確認しました』
「交換できそう?」
『所持している予備配線で対応可能です』
「一個目」
『冷却系統も確認します』
「頼む」
「おじさん」
振り返る。
アイが布を持っている。
その前だけ、埃に覆われていた金属板が綺麗になっていた。
「ここ、できた」
「お。いいじゃん」
「じょうず?」
「ああ」
『清掃状態は良好です』
アイが嬉しそうにピコを見る。
「ピコもいった」
「よかったな」
「つぎは?」
俺は目の前の発電機を見上げた。
五年間。
こいつは一度も動いていない。
その先、1.8km離れた病院も。
ずっと暗いままだ。
今日、本当に動かせる保証なんてどこにもない。
「いっぱいあるぞ」
俺が言うと。
アイは迷わず頷いた。
「やる」
「じゃあ働いてもらうか」
「うん!」
暗い発電機室に、アイの声が響いた。
俺は左手で工具を取る。
ピコは機械の内部を調べ続ける。
アイはその隣で、次の汚れを探している。
3人で。
5年間止まっていたものを。
もう一度動かすための作業が始まった。




