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悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


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Act.44 下賜のレースを纏う夜

Side オリバー


三日後。


その三日間は、まさしく怒涛だった。


元より花嫁支度だけでも十分に慌ただしかったのに、そこへ王家から下賜されたレースが加わったことで、すべてが一段階上の騒ぎになったのである。


「これは最高の防具ですわ! なんとしても夜会のドレスに組み込まねばなりません!」


ターシャの言葉に、誰もが真剣な眼差しで、レースを見つめていた。

ローランドを筆頭に、針子も侍女もメイドも、誰もが息を詰めるような慎重さで、その白いレースへ向き合っていた。


「傷めるわけには参りません」

「糸を一本でも無駄にはできませんわ」

「けれど、ただ箱へ飾っておくのでは意味がありません」


レースを『飾る』のではなく、『纏う』形へ仕立て直すことだった。


完成したドレスを前に、オリバーはしばし言葉を失った。


淡い銀白の生地の上へ、下賜されたレースがまるで月光そのもののように重ねられていた。

胸元から肩へ、袖口から裾へ。

ただ縫いつけたのではない。

纏えば自然に身体へ沿い、歩けば光を受けて模様が浮かび上がるよう計算されている。


レースの美しさを殺さず、なおかつ『下賜されたレースを身に纏っている』ことが誰の目にも分かる仕立て。


王都の職人というものは、やはり恐ろしい。


「……すごいわね」


ようやく漏れたその一言に、ターシャが勝ち誇ったように胸を張った。


「当然ですわ。このレースを身に纏って、国王陛下から『下賜された』事実を公にすれば、お姉さまを悪く言う人間なんてけちょんけちょんですわ!」


「ターシャ」


ぴしゃりと呼ぶと、妹は「あっ」という顔をした。


「言葉遣いが乱れておりますわ」


「……失礼いたしました」


一応はそう言い直すものの、その顔はどう見ても反省より満足に近い。


オリバーは小さくため息をついた。


「貴女、公爵夫人でしょうに」


「お姉さまのこととなると、つい」


「つい、で済ませてよいものではありません」


「はい」


返事だけは素直だ。

だが、その目はきらきらしていた。


どうやら、叱られることすら今のターシャには嬉しいらしい。

まったく、この妹は本当に変わった。


そうして完成したドレスを身に纏い、髪を整え、アクアマリンの首飾りをつけた時、鏡の向こうにいたのは、もはや修道院帰りの女ではなかった。


月の女神のようだ、と。

そう口にしたのは、侍女の一人だった。


その表現は大袈裟だと思った。

思ったが、否定する言葉も見つからなかった。


白銀の生地の上に、柔らかな月光みたいなレース。

そこへ、首元でひとつ光るアクアマリンの青。


あまりにも出来すぎていて、逆に落ち着かなかった。


「お姉さま」


ターシャが、少しだけ潤んだ目で笑う。


「お綺麗ですわ」


オリバーは、その言葉にすぐ返事をしなかった。

代わりに、ターシャの手をそっと取る。


「……ありがとう」


その一言だけで、妹には十分だったらしい。

ターシャは泣きそうになりながら、それでも必死に笑っていた。


ガーデンパーティーの日、王妃はヴェールを褒めてくれた。

国王はグルドへ必要な言葉をくれた。

王家はもう、陰からではなく確かに自分たちを見ている。


今夜は、その視線の前へ進む夜だ。


そして、その夜。


オリバーとグルドは、その装いのまま舞踏会へ向かった。


大広間の扉が開かれる。


眩い灯り。

磨き上げられた床。

数えきれぬ視線。


そして、宣声が高らかに響いた。


「バントス辺境伯夫妻、ご来場です!」


その声に、会場中の視線が一斉にこちらへ集まる。


慣れているはずがない。

慣れるはずもない。


オリバーは背筋を伸ばしたまま、内心ではひどく冷えていく指先を感じていた。


震えてはいけない。

一歩目から乱してはいけない。

ここで崩れれば、グルドにまで傷がつく。


そう思った瞬間、隣から低い声が落ちた。


「やっぱり似合うな、そのネックレス」


思わず、オリバーは目を瞬く。


この場で、最初に言う言葉がそれなのか。


「贈ってくださったのは、あなたでしょう」


「ああ」


グルドは平然と答える。


「俺の目の色だ」


はっきりと言われて、胸が大きく跳ねる。


こんな場で。

こんな大勢の前で。

何を言うのだ、この人は。


けれど、頬が熱を持つより先に、グルドがさらに低く続けた。


「俺が守る。だから震えるな」


その言葉に、オリバーは少しだけ息を止めた。


「震えておりませんわ」


「なら、笑え」


グルドは前を見たまま言う。


「いつもみたいに」


その一言が、思いのほか胸へ落ちた。


いつもみたいに。


それはつまり、貴婦人としてでも、辺境伯夫人としてでもなく、ただ『オリバー』としていつもの顔をしろ、ということだった。


だから、オリバーは思わず少しだけ笑ってしまった。


「……本当に、貴方は」


「何だ」


「いいえ」


その笑みのまま、二人は歩みを進める。


まず向かう先は、当然、王座の前だった。


国王陛下と王妃グレース様。

その傍らには王太子夫妻。


オリバーとグルドは、揃ってボウ・アンド・スクレイプとカーテシーを取る。


国王陛下の声が落ちた。


「よく来た、バントス辺境伯。夫人も顔を上げてくれ」


その言葉に、二人は揃って顔を上げた。


国王陛下の視線が、まずオリバーのドレスへ落ちる。

そして、ふっと口元を緩めた。


「ほう。婚姻祝いに下賜したレースが、そのようなドレスになったか」


「ええ」


王妃様も、満足そうに頷く。


「バランド公爵がわざわざ『三つ』も献上してくださったのですものね。バントス辺境伯の功績を考えますと、『嫁』と『レース』。良き贈り物ができましたわ」


その言い方に、会場のあちこちがざわめいた。


わざわざ、王妃が口にしたのだ。

バントス辺境伯家の婚姻を王家が認め、しかも祝いとしてレースを下賜したことを。


それはただの祝辞ではない。

十分すぎるほどの政治的な後ろ盾だった。


「「お心遣い、感謝いたします」」


二人揃って礼を述べる。


すると、国王陛下が軽く肩をすくめた。


「公式な場所とは言え、そう硬くなるな」


その一言だけで、さらに空気が揺れる。


「『配慮した』とはいえ、婚姻の場に立ち会った『家族』だ。いつも通りで良い」


その言葉を聞いて、会場にまたざわりと動揺が広がった。


グルドは、貴族特有の遠回しな言い回しをまだ完全には飲み込めていない顔をしていたが、オリバーにははっきり分かった。


――お忍びだったけれど、ちゃんと結婚式には参列した身内なのだから、ここで堅苦しくしなくてもいい。


そういう意味だ。


それを、国王自ら言った。


会場の者たちは、皆その重みを理解しただろう。


だが、国王陛下はそんなざわめきなど意に介さず、今度はグルドへ目を向けた。


「だが、夫妻は辺境へ帰るのであろう?」


「はい」


グルドがはっきりと答える。


「あの地を守ることが、我がバントス辺境伯家の使命にございます」


その答えに、国王陛下は深く頷いた。


「よい返事だ」


王妃様もまた、オリバーへ静かな眼差しを向ける。


「夫人」


「はい」


「辺境は王都より厳しいわ。けれど、貴女なら大丈夫ね」


その言葉に、オリバーは一瞬だけ目を見開いた。


大丈夫。


その単純な言葉が、どうしてこんなにも胸に残るのだろう。


ヴェールを掛けてもらった妹。

家族に送り出された朝。

王家に見守られた式。

そして今、王妃がはっきりと告げる。


貴女なら大丈夫だと。


オリバーは、そっと息を吸った。


「……はい」


その返事は、驚くほど静かで、けれど揺らがなかった。


「辺境へ参ります」


その一言で、ようやく自分の中でも何かが定まる。


嫁ぐのではない。

追われるのでもない。

自分の意志で、帰るのだ。


そうして舞踏会は続き、視線と音楽と光の渦の中で、夫妻はようやく『王都で認められた夫婦』として立つことになる。


けれど、その夜の終わりに二人が求めたのは、称賛でも喝采でもなかった。


たった一つ。


辺境へ帰りたい、という同じ願いだった。


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