Act.36 野獣、我に返る
Side グルド
祖父二人を見送り、応接間の扉が閉まった瞬間だった。
張っていたものが、一気に切れた。
さっきまで牙を剥いていた自覚は、ある。
だが、牙を剥かせた相手が相手だったのだ。
「……っ、はああああ……」
思わず、深いため息が漏れる。
そのまま背もたれへ身体を預けると、椅子がぎしりと鳴った。
怖え。
いや、本当に怖えよ。
「怖えよ、オリバー嬢の爺さん達……」
ぼそりと漏らした瞬間、向かいに座っていたバルク叔父上が吹き出した。
「今さらか!?」
「今さらだよ!」
思わず声が荒くなる。
「なんだあれ! 商談って聞いてたのに、全然商談じゃねえだろうが! あれ面接だろ、しかも圧迫の方の!」
「うむ、まあ、そうだな」
バルク叔父上は愉快そうに頷いた。
愉快そうにしてる場合じゃない。
「悪女だの毒婦だの、攫われたあとでもあるだの、普通そこまで言うか!? しかもあの顔で! あの声で!」
「言うだろうな。孫娘の祖父だしな」
「納得はする! でも怖えよ!」
そう言うと、脇に控えていたギルバートが、実に静かな声で言った。
「旦那様」
「何だ」
「さきほどの旦那様の威圧の方が、十分に怖うございました」
「は?」
思わず見返すと、ギルバートはまったく表情を変えない。
「『あの人を『攫われたあとでもある』なんて言い方をするな』と仰った時など、応接間の気温が数度下がったように感じました」
「そうか?」
「ええ」
その横で、バルク叔父上まで大きく頷いた。
「いや、あれはお前の方が怖かったぞ」
「叔父上まで何言ってんだ」
「本当だ。ルードヴィヒ殿もヴィルヘルム殿も威圧はすごかったが、お前は種類が違う」
「種類?」
「お前のは『今にも噛みつく獣』の威圧だ」
「そんなつもりはない」
「見ている側はそうだった」
「……まじか」
「まじだ」
即答だった。
そこで、扉の外で控えていたらしいメイドたちが、そろそろと顔を覗かせた。
どうやら商談――いや、面接――が終わるのを待っていたらしい。
先頭にいたメアリーが、おずおずと、それでも目を輝かせたまま口を開く。
「あの……旦那様」
「何だ」
「とても格好よかったです!」
その一言に、今度は俺の方が固まった。
「……は?」
「本当に!」
リアンまで身を乗り出してくる。
「最初はどうなることかと思いましたけれど、オリバー様のことを悪く言われても、まったく怯まれませんでしたし!」
「『俺が見た方を信じる』って仰ったところ、すごく素敵でした!」
「それに、『俺の色をまとわせるのが悪いのか』なんて……!」
そこまで言って、メイドたちが一斉にきゃあと声を上げる。
やめろ。
今さらそこを蒸し返すな。
少し遅れて恥ずかしくなってくるだろうが。
「お前ら、聞いてたのか」
「全部ではございません!」
とメアリーが慌てて首を振る。
だが、全部ではないだけで、結構聞いている顔だった。
「でも、旦那様」
リアンが真顔になった。
「どうか、オリバー様を逃がさないでくださいませ」
その声に、応接間の空気が少しだけ変わる。
さっきまできゃあきゃあと騒いでいたメイドたちが、今度は揃って真っ直ぐこちらを見ていた。
「辺境で、あんなに着飾りがいのある奥様、そうそういらっしゃいません」
「ええ、本当に!」
メアリーが力強く頷く。
「お綺麗なのはもちろんですけれど、ドレスも宝石も、あそこまで品よく映える方ってなかなかおりませんもの!」
「しかも、ちゃんと着こなしてくださるでしょう?」
「レースも刺繍もお分かりになりますし!」
「礼儀作法だって完璧ですし!」
「旦那様のことも叱ってくださいますし!」
最後の一言で、なぜか全員がしみじみ頷いた。
それは褒め言葉なのか。
「おい」
思わず苦い顔をすると、バルク叔父上が大笑いした。
「ははは! よかったな、グルド。使用人からの評価は満点らしいぞ」
「そこじゃないだろ」
「いや、大事だぞ」
ギルバートまでしれっと頷く。
「正直申しまして、あれほど屋敷の空気を自然に整えてくださる方は貴重にございます」
「お前まで」
「事実です。旦那様だけでは、この家はどうしても武張りますので」
それは否定しづらい。
メイドたちも、うんうんと頷いている。
おい、そこまでか。
「とにかく!」
メアリーがぐっと拳を握った。
「絶対に、オリバー様を逃さないでください!」
「はい!」
「どうかよろしくお願いいたします、旦那様!」
一斉に頭を下げられ、俺は本気でたじろいだ。
なんだこれ。
さっきまで国の重鎮に値踏みされていたと思ったら、今度は屋敷のメイドたちにまで詰め寄られている。
「……お前らな」
ようやくそれだけ絞り出すと、リアンが少しだけ困ったように笑った。
「オリバー様、きっとまた、ご自分だけで何とかしようとなさいますもの」
その言葉に、胸の奥が少しだけ重くなる。
そうだ。
あの人はそういう人だ。
一人で考える。
一人で抱え込む。
一人で結論を出して、こちらが気づいた時には、もう自分を後回しにした答えを持ってくる。
だからこそ――。
「逃がさない」
気づけば、そう口にしていた。
メイドたちの顔が一斉に明るくなる。
「本当ですか!」
「ええ、旦那様!」
「どうかお願いいたします!」
だから、なんでそんなにお前らの方が嬉しそうなんだ。
呆れ半分でそう思いながらも、否定する気にはならなかった。
その時だった。
バルク叔父上が、いかにも面白そうな顔でこちらを見る。
「で?」
「……何だよ」
「会いたいんだろう?」
思わず黙った。
すると、バルク叔父上の笑みがさらに深くなる。
「顔に出てるぞ」
「出てない」
「出てる」
「出てません」
ギルバートまで、実に穏やかな声で追撃する。
「旦那様、たいへん分かりやすうございます」
「お前ら、さっきから人のことを分かりやすいだの何だの」
「事実にございますので」
ばっさりだった。
その横で、メイドたちがまた小声できゃあと騒ぎ始める。
やめろ。
そういう時だけ声が弾むな。
けれど、否定はしきれなかった。
会いたい。
それは、そうだ。
さっきのやり取りを、オリバー嬢はまだ知らない。
祖父たちが辺境まで来て、どういう顔で俺を見て、何を聞いていったのか。
あの人は知らない。
知ったら、たぶんまた余計なことを考える。
自分のせいで、とか。
迷惑をかけて、とか。
そんなことばかり。
だから、会って話したい。
俺が逃げなかったことも。
祖父たちが、最初ほどは敵じゃなかったことも。
そして何より――。
俺が本気だということを、もう一度ちゃんと言いたかった。
「……会いたいな」
ぽろりと漏れた本音に、応接間が一瞬だけ静まった。
次の瞬間、メイドたちがまとめて顔を覆った。
「きゃーっ!」
「旦那様が素直!」
「いけません、これはいけません!」
何がいけないんだ。
「落ち着け!」
「無理です!」
「無理にございます」
ギルバートまでしれっと混ざるな。
バルク叔父上は、もう堪えきれないといった顔で腹を抱えて笑っている。
「ははははっ! いやあ、ほんと、恋ってすごいな!」
「笑い事じゃない!」
「いや、笑うだろう!」
「叔父上!」
「だってお前、さっきまで『辺境の野獣』だったくせに、今は完全に恋する男の顔だぞ!」
そこまで言われると、さすがに顔が熱くなるのが分かった。
くそ。
祖父たち相手には平然としていたのに、なんで身内相手だとこうも調子が狂うんだ。
「……うるさい」
絞り出した声に、バルク叔父上はますます笑う。
ギルバートは咳払いを一つして、ようやく助け舟らしきものを出した。
「でしたら旦那様、会いに行かれてはいかがです」
「今からか?」
「ええ」
「忙しいだろう、あっちは」
「忙しいからこそです」
ギルバートは静かに言った。
「旦那様が行かれれば、少なくともオリバー様のお気持ちは少し和らぎましょう」
その言葉に、胸の奥が少しだけ落ち着く。
そうかもしれない。
あの人はたぶん今も、王都の空気の中で少しずつ気を張っている。
家に戻ったばかりで、祖父たちとも顔を合わせて、王家からの下賜まで受けて。
あの人が平然としていられるはずがない。
「……行く」
立ち上がると、メイドたちの顔がぱっと輝いた。
「はい、旦那様!」
「どうか今度こそ逃がしませんよう!」
「いや、まだ逃げると決まったわけじゃ」
「オリバー様ですから!」
全員が揃って言い切った。
反論できないのが腹立たしい。
「……行ってくる」
短くそう言って、応接間を出る。
廊下へ出たところで、胸の奥が少しだけ騒いだ。
会いたい。
顔が見たい。
声が聞きたい。
そしてできれば、今度は逃げずにこちらを見てほしい。
さっきまで国の重鎮相手に平然としていたくせに、そのことを自覚した途端、妙に落ち着かなくなる。
本当に、どうしようもない。
けれど、そんな落ち着かなさすら、今は嫌ではなかった。




