表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/49

Act.35 穏やかな商談


Side バルク


ロジェ商会が来るとは聞いていた。


聞いてはいたのだが――。


「……なんで、本人が来るんだ?」


思わず漏れた声に、隣のギルバートが静かに視線を上げた。


「バルク様、声をお控えくださいませ」


「いや、だっておかしいだろう!?」


屋敷の玄関前。

磨き上げた石段の下に止まった馬車を見ながら、私は本気で頭を抱えたくなっていた。


まず一台目。

ロジェ商会の紋章を掲げた馬車。


ここまでは分かる。

分かるのだ。

花嫁の宝飾品を整えるために、王都でも名の知れた商会が来るというのは不自然ではない。


だが、扉が開いて降りてきたのが、ロジェ商会会長その人となると話が違う。


ヴィルヘルム・ロジェ子爵。

商人としても貴族としても抜け目のない男で、笑顔のまま会話の主導権を奪うことで有名な、国内最大の商会の長だ。


そして問題は、そこでは終わらなかった。


二台目の馬車から降りてきた人物を見た瞬間、私は本気で固まった。


「……は?」


銀を散らした髪。

彫りの深い端正な顔。

年を重ねてもなお崩れぬ威厳。

冷ややかに見えるほど整ったその姿には、今もなお“氷の公爵”の名残がある。


ルードヴィヒ・バランド前公爵。


国内最大の領地と財を持つ公爵家の前当主。

今は爵位を譲っているとはいえ、存在感だけなら現役と大差ない。

というか、普通に怖い。


「ギルバート」


「はい」


「私は何か聞き逃していたか?」


「いいえ。ロジェ商会が来るとは伺っておりましたが、バランド前公爵閣下がご同席とは、私も今、初めて存じました」


「だよな!?」


思わず声が上ずった。


なんで。

なんでわざわざ本人たちが来る。

しかも片や国内最大の商会の会長、片や国内最大級の公爵家の前当主。

うちは辺境伯家だぞ。

いや、辺境伯家だから軽んじられていないのは分かる。分かるが、それにしたって顔ぶれが重すぎる。


その時点で、今日の『商談』がただの商談ではないことは察した。


「バントス辺境伯家、バルク・バントスにございます。本日はようこそお越しくださいました」


どうにか顔を作って頭を下げると、ロジェ子爵が人好きのする笑みを浮かべた。


「急な来訪を許していただいて感謝しますよ、バルク殿」


その隣で、バランド前公爵も静かに頷く。


「こちらこそ、突然で悪かった」


穏やかだ。

穏やかなのだが、どちらも穏やかすぎて逆に怖い。


そのまま応接間へ通し、茶が出され、表面上は何事もない商談が始まった。


表面上は、だ。


卓の上にはいくつもの箱が並べられている。

開かれた中には、青、銀、白、透明――様々な色の宝石が静かに光っていた。


その向こうに座るグルドは、いつになく黙っていた。


礼装ではない。

だが領主として客を迎えるに足る、簡素で隙のない服装。

鍛え抜かれた肩と腕は布越しでも分かる。

頬の傷も隠さず、背もたれに寄りかかりもしない。


なるほど、と私は思った。


たしかにこれは、王都の連中から見れば“辺境の野獣”だ。


大きい。

強い。

怖い。

そして今のグルドは、余計な愛想まで削ぎ落としているせいで、なおさら獣じみて見えた。


ロジェ子爵が、最初の箱をこちらへ向ける。


「お求めがアイスブルーと聞きましたが、こんな感じのアクアマリンでいかがですかな?」


柔らかな声。

商談としては、何もおかしくない切り出し方だ。


だが、空気がぴりついた。


ロジェ子爵は笑っている。

バランド前公爵も、静かに座っているだけだ。

なのに応接間の空気は、魔獣の縄張りへ足を踏み入れた時みたいに張りつめていた。


これは宝石の話ではない。


値踏みだ。

グルドがどういうつもりでオリバー嬢を妻に迎えようとしているのか、それを見ている。


そう気づいて、私は余計な口を挟まぬよう黙った。


グルドは卓上のアクアマリンへ視線を落とした。

それから、まっすぐロジェ子爵を見返す。


「悪くない」


「ほう」


ロジェ子爵の口元が、ほんの少し深くなる。


「花嫁の瞳の色ではありませんな」


その言葉に、私は内心で呻いた。


攻める。

ひどく穏やかな顔で、一番面倒なところを突いてくる。


一見ただの会話だが、実際には逃げ道を潰しに来ている。

『なぜその色を選ぶ』

『誰のためだ』

『どういう意味で贈るつもりだ』

全部そこに乗っていた。


少なくとも、叔父の私の目には、グルドは少しも怯んで見えなかった。


「俺の目の色だ」


応接間がしんと静まる。


ロジェ子爵が面白そうに片眉を上げた。


「辺境伯様ご自身の?」


「ああ」


そこで、グルドは当然のことのように言った。


「俺の色をまとわせるのが悪いのか?」


私は危うく咳き込みそうになった。


真正面から行くのか、お前は。


だが、言われた側の二人は笑わなかった。


ロジェ子爵はじっとグルドを見つめたまま、やがてゆるく口元を和らげる。


「……いえ。悪くはありませんな」


だが、その隣のバランド前公爵は容赦がなかった。


「では聞こう、辺境伯」


低く、よく通る声だった。


「オリバーは悪女と呼ばれているが?」


空気が、さらに冷える。


私は息を止めた。


いきなりそこを刺すか。

しかも一切の遠慮なく。


グルドは眉一つ動かさなかった。


「知っている」


「毒婦とも、傲慢とも言われている」


「ああ」


「母親は狂い、その悪名を姉娘も背負った。父親は隠し子を作り、家は歪んだ。そういう女だぞ」


それは、わざとだ。


人が一番言われたくないことを、あえて綺麗に並べ直して叩きつけている。

本気で見極める気なのだろう。


バランド前公爵はさらに続けた。


「攫われたあとでもある」


さすがに私も顔をしかめた。


おい、それは――と口を開きかけた瞬間、ギルバートが無言でこちらを見た。

口を挟むな、という目だった。


その通りだろう。

ここで私が庇えば、安い庇い方になる。


グルドは、なおも黙って前公爵を見ていた。


「それでも、お前は欲しいと言うのか」


長い沈黙のあと、グルドが口を開いた。


「悪女と呼ばれていたのは知ってる」


低い声だった。

だが、一言ずつはっきりしている。


「毒婦だ、傲慢だとも聞いた」


「ああ」


「だが、俺が見たのは違う」


そこで、グルドの声音がわずかに硬くなった。


「修道院で働いて、技術を教えて、子どもらに慕われて、母親の暴走を一人で受けてた女だ」


ロジェ子爵も、バランド前公爵も何も言わない。


グルドはその沈黙を押し切るように続けた。


「悪女だろうが何だろうが、俺は俺が見た方を信じる」


その返答に、ロジェ子爵がわずかに笑みを消した。


「なるほど」


「それと」


グルドの目が、ほんの少し細くなる。


「あの人を『攫われたあとでもある』なんて言い方をするな」


応接間の空気が、ぴんと張った。


「責められる筋合いは、あの人には一つもない」


その声音には、獣じみた低さがあった。

怒鳴ってはいない。

むしろ静かだ。

だが、本気で牙を見せる直前の獣みたいな声だった。


ああ、と思う。


これだ。

これが王都で言う“野獣”なのだろう。


人前用の綺麗な怒りではない。

噛み砕けるものなら噛み砕く、そういう怒りだ。


ロジェ子爵がそこで、わずかに息を漏らした。


笑った、というより、感心した顔だった。


「怖いなあ」


「怖くて結構だ」


グルドは即座に返す。


「俺はあの人を、ああいう目に遭わせたことを“後でもある”で片づけるつもりはない」


「では何だ?」


バランド前公爵が問う。


「傷か?」


「違う」


「汚れか?」


「違う」


「腫れ物か?」


「違う」


そこで、グルドは一息置いた。


「俺が守り損ねた相手だ」


その一言に、今度こそ応接間が静まり返った。


私は何も言えなかった。


ロジェ子爵がじっとグルドを見つめる。

バランド前公爵の目元も、わずかに動いた。


グルドは、そこから視線を逸らさず続ける。


「次は取りこぼさない」


低く、静かな断言だった。


「だから妻にする」


ロジェ子爵が、そこでふっと息を吐いた。


「なるほど」


それから、穏やかな声音で言う。


「オリバーはね、親友の孫だ。相手を見極めたいと思うのが爺心だろう?」


その言い方に、私はほんの少しだけ肩の力を抜きかけた。

だが、まだ終わっていない。


バランド前公爵は、なおもグルドを見ていた。


氷の公爵。

なるほど、昔そう呼ばれたのも分かる。

あの人は黙って相手を見るだけで、こちらの腹まで凍らせてくる。


「一つ聞く」


「何でしょう」


「もしオリバーが、また『家のため』だの、『自分はこれでいい』だのと言い出したら?」


「止める」


「聞かなければ?」


「聞かせる」


「力ずくでか」


「必要なら」


そこでロジェ子爵が吹き出した。


「ははっ、辺境の野獣らしい!」


「笑い事か」


バランド前公爵が冷ややかに言う。


「いやいや、ルード。ここで綺麗事を言われるより、ずっと信用できるよ」


ロジェ子爵は笑いを含んだまま続けた。


「『君の幸せを尊重する』だの何だの言って、結局一人で抱え込ませる男よりはましだ」


……私には、過去に向けた皮肉にも聞こえた。


バランド前公爵は返さない。

だが、その視線はわずかに鋭さを失っていた。


そして、なおも問いを重ねる。


「王都で悪意を向けられても、お前はあの子を庇いきれるか」


「庇う」


「どうやって」


「隣に立つ」


あまりにも即答だった。


「俺が辺境伯だ。あの人に向ける言葉は、そのまま俺に向ける言葉になる」


静かに、だが一切ぶれずに続ける。


「それでも言う奴がいるなら、二度と言えないと思わせる」


その言い方に、ロジェ子爵がまた楽しそうに笑った。


「やっぱり野獣だ」


「文句あるか」


「いや、今は褒めている」


そこで、初めてバランド前公爵がわずかに口元を緩めた。


笑った、と言うほどではない。

だが、氷に細いひびが入ったみたいに、表情が和らいだ。


「少なくとも」


その声音は、先ほどまでより少しだけ低かった。


「お前が、オリバーを駒として見ていないことは分かった」


そこで初めて、バランド前公爵は卓上のアクアマリンへ視線を落とした。


「……この石では足りん」


グルドの眉がわずかに動く。


「何?」


「バランド領で今年採れた中に、もっと澄んだものがある。花嫁に纏わせるなら、そちらを出す」


ロジェ子爵が、にやりと笑った。


「おや、ルード。ずいぶん気前がいい」


「認めたわけではない」


バランド前公爵は冷ややかに返した。


「ただ、孫娘に半端な石を纏わせる気はないだけだ」


それは、ひとまずの合格と言っていいのだろう。


だが次の瞬間、バランド前公爵はぴしゃりと続けた。


「だからといって、まだ認めたわけではない」


「だろうな」


グルドも平然と返す。


「見極めると仰っていたでしょう」


「その通りだ」


その受け答えに、私は内心で少しだけ感心した。


礼儀作法だの社交だのでは散々叩き直された甥だが、こういう真正面のやり取りになると強い。


ロジェ子爵が、卓上のアクアマリンを指先で示した。


「では、こちらは押さえておきましょう。辺境伯様の色を、花嫁に纏わせるのでしたな」


「頼む」


グルドはそう答えたが、その顔には少しも照れがなかった。


いや、内心は知らない。

知らないが、少なくとも今ここで妙な照れを見せないのは偉い。

たぶん後で私のいないところで真っ赤になる。


「いやあ」


ロジェ子爵が満足そうに笑う。


「今日は来た甲斐があった」


「私はまだ半分だ」


バランド前公爵が冷静に言う。


「宝石の話は表向きにすぎん。本題は、あの子が本当にこの婚姻を望んでいるかどうかだ」


「手厳しいな」


「当然だ」


低く返しながらも、その声音には先ほどまでの鋭さが少しだけ薄れていた。


少なくとも、門前払いにするつもりはなくなったのだろう。


それだけで十分だ。


私は卓上の宝石を見ながら、ようやく小さく息を吐いた。


穏やかな商談などではなかった。

最初から最後まで、甥の腹と覚悟を値踏みする場だった。


だが、悪くない結果だったと思う。


「……バルク殿」


不意にロジェ子爵がこちらを見た。


「はい?」


「よい甥御さんだ」


その一言に、思わず間の抜けた返事になる。


「は……はあ」


「叔父としては胃が痛いだろうが」


「ええ、そりゃもう」


正直に答えると、ロジェ子爵が声を立てて笑った。


バランド前公爵も、今度は露骨に肩を揺らした。

ああ、この人、笑えるのか。


その光景を見て、少しだけ肩の力が抜ける。


国の重鎮二人がわざわざ辺境まで来た意味は、よく分かった。


ただの宝石選びではない。

孫娘の未来を託せる男かどうか、その見極めだ。


そして、今日のところは。


少なくとも叔父の私の目には、グルドは逃げなかった。


それだけで、たぶん大きな一歩だったのだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ