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悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


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Act.34 祖父の見極め


Side ルードヴィヒ


オリバーの様子を見て、ルードヴィヒは静かに息を吐いた。


やはり、放置したのは良くなかった。


応接間で顔を合わせた時から分かっていた。

あの孫娘は、こちらをきちんと見ていた。

言葉も返す。

礼も崩さない。

感情をぶつけることも、責め立てることもない。


だが、それが余計に遠かった。


あれは、許している顔ではない。

心を閉ざしている顔でもない。

もっと厄介なものだ。


線を引いたまま、礼儀だけで接している顔。


クロエに似た黒髪。

自分によく似た顔立ち。

それなのに、向けられる気配はどうしようもなく他人行儀だった。


あれほどのことがあったのだ。

当然だと言えば当然だろう。


それでも、胸の奥がわずかに軋む。


もしもっと早く手を伸ばしていれば。

せめて、修道院へ送られた時にでもきちんと会いに行っていれば。

こうはならなかったのではないか。


そんな考えが、今さらのように頭をよぎる。


しかも、今日のオリバーは落ち着かなかった。


真実を聞き、礼を述べ、こちらへきちんと頭を下げた。

そこまではよかった。


だが、そのあとが早かった。


「少し、失礼いたしますわ」


そう言って、まるでこれ以上ここにいてはならないとでも思ったように、すぐさま部屋を辞してしまったのだ。


止める間もなかった。

止めたとしても、あの顔では意味がなかっただろう。


気まずかったのだ。


責めるでもなく、縋るでもなく、ただあの場にいること自体が気まずくなってしまった。

そういう逃げ方だった。


「……難しい顔だな、ルード」


向かいから、ヴィルヘルムが呑気な声で言った。


ロジェ子爵。

ロジェ商会の会長。

そして、エレーナの母方の祖父。


昔から、この男は変わらない。

人好きのする顔で笑い、場を和ませ、こちらが構えた時ほど肩の力を抜いた声を出す。


今も応接間では、ターシャがその相手をしていた。


「いいえ、こちらこそ」と笑みを浮かべ、

「お茶のお代わりはいかがです?」と気を回し、

祖父二人の間で自然に会話を繋いでいる。


あれは明らかに、姉が逃げたあとの穴を埋めている顔だった。


気を遣わせている。


それが、また苦かった。


「しているか」


ルードヴィヒが低く返すと、ヴィルヘルムは肩をすくめた。


「しているとも。君は昔から、困ると眉間に皺が寄る」


「お前ほど分かりやすくはない」


「はは、それは光栄だ」


まるで光栄そうではない顔だった。


ターシャは、こちらの重たい空気に気づいているのだろう。

それでもあえて、明るい調子を崩さない。


賢い子だ。

本当によく育った。

そしてあの賢さが、オリバーには余計に眩しいのだろうとも思う。


ターシャとオリバー。


並べばどうしても、違いが見えてしまう。


ターシャは感情を外へ出す。

怒りも、喜びも、心配も、全部そのまま前へ出す。

だから人も寄ってくる。


オリバーは違う。

呑み込む。

整理する。

礼儀で包む。

そして、自分から引く。


ターシャと並べば並ぶほど、あの子は自分の疎外感を意識するだろう。


あの場にいるのが辛くなったのも、たぶんそのせいだ。


「……やはり、もっと早く手を打つべきだったな」


ぽつりと漏らすと、ヴィルヘルムが少しだけ目を細めた。


「今さらだろう?」


「分かっている」


「分かっていて言うのが君だ」


ルードヴィヒは返さなかった。


今さらだ。

今さらだが、それでも考える。


祖父というものは、そういうものだろう。


そこで、ヴィルヘルムが唐突に口を開いた。


「ところでだ」


嫌な予感がした。


この男がこの調子で話し始める時は、たいてい何か腹にある。


「君のところの領地で、アクアマリンは採れていないか? できれば最高級品を頼みたい」


「ん?」


ルードヴィヒは目を瞬いた。


話があまりに唐突だった。


「この前、出たはずだが?」


「おや、それはちょうどいい」


ヴィルヘルムがにやりと笑う。


その顔に、ルードヴィヒは小さく目を細めた。


「……何を企んでいる」


「失礼だな。商談だよ」


「その顔で言うな」


「ははっ」


まるで堪えていない。


ヴィルヘルムは身を乗り出し、声を少しだけ落とした。


「『バントス辺境伯様』が『アクアマリン』をお求めでな?」


その言葉に、ルードヴィヒの目がわずかに動いた。


アクアマリン。


海を閉じ込めたような青。

オリバーの瞳とは違う。

だが、辺境伯が求めるとなれば、花嫁の装いに合わせる宝石である可能性は高い。


「……交渉はいつだ?」


ヴィルヘルムの口元が深くなる。


「明日」


「同席させてもらおう」


即答だった。


するとヴィルヘルムが、いかにも予想通りといった顔で肩を揺らした。


「そう言うと思ったさ」


「当然だ」


ルードヴィヒは低く返す。


「……万が一、オリバーが『家のため』とでも思って婚姻を考えているなら、王家の命があろうとも、この婚姻は潰す」


その声音に、ヴィルヘルムは少しだけ笑みを薄めた。


冗談ではないと分かったのだろう。


ルードヴィヒ自身も、本気だった。


オリバーが望むならよい。

オリバーが自分の足で歩くなら、何も言うつもりはない。


だが、もし『またしても家のため』だの、『周囲のため』だの、『自分はこれでいい』だの、そういう理由で嫁ぐつもりなら話は別だ。


そんなものは、繰り返させてたまるか。


今度こそ止める。


たとえ、王家が認めようと。

たとえ、相手が辺境伯であろうと。


「ははっ! 変わらないな、君は」


ヴィルヘルムが、懐かしそうに笑った。


「孫娘の幸せのためだ」


ルードヴィヒは視線を逸らさずに言う。


「……娘も、幸せになれんかった」


その言葉に、ヴィルヘルムの笑みが、わずかに静かなものへ変わった。


彼もまた、娘を持つ父だ。

いや、持っていた、というべきか。


「なっただろう?」


意外なほど穏やかな声だった。


ルードヴィヒは眉をひそめる。


「何?」


「君も見たはずだ。クロエが泣きながらも、彼の腕の中に戻れたのを」


その一言に、胸の奥が鈍く痛んだ。


あれは、間違いなく幸福の顔だった。

長い年月を経て、ようやく取り戻したものを前にした女の顔だった。


「私の娘とオクレール前公爵は、墓の中でも一緒になれなかった」


ヴィルヘルムが淡々と言う。


「だから、少なくともクロエは、最後には手が届いたんだろう」


ルードヴィヒは黙った。


慰めではない。

だが責めでもない。

ただ事実として置かれた言葉だった。


「……すまん」


気づけば、そう口にしていた。


ヴィルヘルムは肩をすくめる。


「いや、君の判断が国を救った。謝ることじゃない」


「……だが」


「生きている人間に視点を向けるんだ」


今度の声には、わずかに鋭さがあった。


「そうじゃないと、オリバーも幸せになれない」


ルードヴィヒはしばらく答えなかった。


視線をやれば、ターシャがまだこちらを相手に笑っている。

だが時折、廊下の向こうへ目をやっているのが分かる。


姉が気になっているのだろう。

当たり前だ。


それでもこの場を回している。

その姿に、胸がまた少し痛む。


「……分かった」


低く、そう答える。


ヴィルヘルムが、ようやく満足げに頷いた。


「よし。では、明日はバントス辺境伯に会いに行こう」


「見定める」


「はは、怖いな」


「当然だ」


ルードヴィヒは立ち上がった。


バントス辺境伯、グルド。


辺境の英雄だの、野獣だの、傷持ちだの、色々と聞く男だ。


だが、そんな噂に意味はない。


見るべきは一つ。


あの男が、オリバーを『誰かのための花嫁』として扱うのか。

それとも、『オリバー本人』を妻に望んでいるのか。


そこだけだ。


もし前者なら、この婚姻は壊す。

後者なら――その時は、祖父としてすべきことを考えよう。


「ルード」


ヴィルヘルムが気安く呼ぶ。


「何だ」


「君、明日はたぶん怖い顔をするだろうけど、威圧しすぎないようにね。逃げられると困るから」


「逃げるような男なら、最初から認めん」


「それもそうだ」


まったく、軽い男だ。


だが、こうして並んで歩いていると、不思議と昔を思い出す。


娘たちがまだ幼かった頃。

あれこれと口実をつけて顔を合わせ、互いに娘の話をしたこと。


もう戻らぬ時だ。


ならばせめて、今生きている者たちのために動くしかない。


ルードヴィヒは最後に、応接間の入口へ目を向けた。


オリバーの姿は、もうない。

それがひどく胸に残った。


あの子は気まずい場所から、静かに身を引く。


怒鳴りもしない。

責めもしない。

ただ、自分がいない方が場が丸く収まると判断して去る。


そういう逃げ方をする。


だからこそ、もう放置はできない。


「行くぞ、ヴィル」


「ああ」


そうして二人の祖父は、翌日の商談のために動き出した。


表向きは、宝石の交渉。


だが本当は――孫娘の未来を託せる男かどうか、その見極めのために。


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