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悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


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Act.30 政治の駒にしないで

Side グルド


ターシャ夫人がようやく落ち着き、オリバー嬢と並んで話し始めた頃だった。


「グルド、ちょっといいかな」


軽い声で呼ばれて振り向けば、ステファンがいつもの涼しい顔で立っていた。


「今か?」


「今だよ。むしろ今じゃないと駄目だ」


そう言って、顎で廊下の方を示す。


後ろを見れば、ターシャ夫人はすでにオリバー嬢の手を取って何やら早口でまくしたてていた。オリバー嬢も困ったように笑いながら、今のところはちゃんと相手をしている。


たしかに、あそこへ男が割って入る空気ではない。


「……分かった」


応接間を出ると、ステファンはそのまま少し奥まった廊下まで歩いていった。

人払いでもするような位置で足を止めると、くるりとこちらへ向く。


「ここからは男同士の話なんだけどね」


「急だな」


「急だよ。君、義姉上を妻にすると決めたんだろう?」


決めた、と言われて、胸の内がわずかにざわつく。

だが否定する気はなかった。


「ああ」


そう答えると、ステファンは満足そうに頷いた。


「なら、知っておいてもらった方がいいことがある」


その声色は軽い。

軽いのに、妙に真面目だった。


「あのね、さっきバランド元公爵がターシャと義姉上の祖父だって話をしたよね」


「それが?」


「バランド元公爵から頼まれていたんだよ。『オリバーを政治の駒にしないでくれ』ってね」


その一言に、俺は思わず眉をひそめた。


「……公爵らしくない話だな」


もっともだ。

普通、公爵家の娘や孫ならば、家のために婚姻を結ぶのは当然の選択肢だ。

むしろ、駒にするなとわざわざ釘を刺す方が珍しい。


するとステファンは、少しだけ苦笑した。


「そう思うよね。でも、理由を聞けば少しは納得する」


そこで一拍置いてから、あいつは静かに続けた。


「クロエ元公爵夫人。要するに、オリバー嬢とターシャの母親だね。この人、本当は好きな人がいたのさ」


「え?」


予想外の話だった。


「で、最悪なことに、嫁いだオクレール公爵――まあ、二人の父親ね。彼にも想い人がいた」


「うわあ……」


思わず声が漏れる。


ステファンが肩をすくめた。


「まあ、そうなるよね」


「よく婚姻したな」


「家のためだよ。オクレール公爵家に資金が必要だった。バランド公爵家から婚姻という形で支援しなきゃならなかった。だから政略の犠牲になったのがクロエ」


そこで一度、息を継ぐ。


「しかも、オクレール公爵は夭逝した」


「ああ……」


「で、追い打ちをかけたのが、前公爵に隠し子がいたこと」


「……王太子妃殿下か」


「そうそう。ターシャの妹、エレーナ様」


義理の妹の名を、あいつはさらりと口にした。


「自分は好きな人と結ばれず、愛してもいない男の子を産んだのに、夫には外で別の女との子がいた。しかも、その子は何の落ち度もなく、ひどく愛らしかった」


ステファンの声は、感情を交えないぶん、余計に重かった。


「そりゃ、狂うよ」


その言葉に、返す言葉がなかった。


分からなくもない。

いや、俺にそこまで分かるわけじゃないが、少なくとも、ただの『嫌な女』で片づけていい話じゃないとは思った。


「ま、知っての通り虐待さ」


ステファンが淡々と言う。


「ターシャがエレーナ様を上手く庇い続けたのは、みんな知っている話だろうけど」


その話は有名すぎた。

逆に、そのせいで悪名を背負ったのがオリバーと、その母親だ。


だが、ここで話は終わらなかった。


「で、この前、義姉上の母親を辺境の伯爵に嫁がせた話、したでしょ?」


俺は一瞬、『変態の』という言葉を飲み込んだ。

すると、ステファンはやはり見透かしたように笑った。


「ふふ、その伯爵さ、相当なロマンチストでね。初恋の人が好きでもない男に嫁いだのを知って、ずっと変態の振りをしていたらしいんだよ」


「は?」


さすがに間の抜けた声が出た。


ステファンは気にした風もなく続ける。


「彼の兄がね、幼女趣味だったらしい。でもその兄が急死した。なのに、兄の悪名のせいで何も知らない女の子が売られてくる。彼は兄の残した息子が成人するまで辺境伯代理でいなきゃならなかったから、表立っては動けない。だから裏で女の子を保護しつつ、自分が変態と呼ばれるのを耐えていたのさ」


「……なんだそれ」


「そうなるよね。でも今年、その正統後継者が成人した。だから彼は晴れて自由の身」


突然の話に、頭がうまくついていかない。


「でね」


ステファンが、少しだけ面白がるように口元を上げた。


「彼は真っ先に『初恋の人を嫁に欲しい』って、オクレール公爵家へ手紙を書こうとしたらしい」


「書こうとした、ってことは書いてないのか?」


「その前に、義姉上の近況も耳に入った。家族に愛されずにいるなら、変態と誤解されている自分なら、むしろ素直に差し出されるんじゃないかって考えたらしくてね」


「うわ……」


「で、義姉上本人への婚姻を打診してきた。なんなら母親も引き取る、と。数年だけ結婚したら、その後は義姉上をどこかまともな家へ嫁がせるつもりでね」


「え?」


そこで、嫌な脈が一気に繋がった。


「待て。そいつ……」


「うん」


ステファンが頷く。


「クロエ・バランド公爵令嬢を本気で愛していた。結婚の約束までしていたらしいよ」


そこで俺は、しばらく言葉を失った。


なるほど。

だから『政治の駒にするな』なのか。


オリバー嬢の周囲で起きていたことは、ただの甘やかしでも、都合のいい同情でもない。

大人たちが、それぞれ別の場所で、別のやり方で、『同じ過ちを繰り返させたくない』と思っていたのだ。


ステファンは静かに続けた。


「こういう理由で、バランド公爵も、前公爵も、義姉上を政治の駒にしないでくれって僕に頼んでいた。だから僕も、義姉上自身が婚姻を結びたいと言うまでは放置した。まあ、ターシャが色々と紹介しようとはしていたけどね。悉く断られていたんだけど」


「なる、ほど……」


ようやくそれだけ絞り出す。


ステファンはそこで、いつもの食えない笑みへ戻った。


「まあ、つまり」


「……なんだ」


「君が妻にしようとしている人間の周りは、想像以上に過保護だから頑張りなよ」


思わず、深く息を吐いた。


「肝に命じる」


「ふふっ」


ステファンは小さく笑った。


「まあ、君が義姉上を娶ってくれるなら、これほど安心できる場所はないよ。ありがとう、グルド」


その言葉に、俺は少しだけ目を細める。


ありがとう、なんて殊勝なことを言う男じゃない。

いや、言う時は言うが、今の言い方は妙に引っかかった。


こいつ。

もしかして、こうなるのをある程度見越していたんじゃないか。


そう思ってじっと見れば、ステファンはにっこり笑ってみせた。

その笑顔があまりに綺麗すぎて、問い詰める気が失せる。


「……お前、何か企んでただろ」


「人聞きが悪いなあ」


「その顔で言うな」


「まあ、義姉上が幸せになるなら細かいことはいいじゃないか」


誤魔化された。

完全に誤魔化された。


だが、腹は立たなかった。


たぶんこいつも、こいつなりにずっと見てきたのだ。

オリバー嬢のことを。

ターシャ夫人のことも、エレーナ様のことも、全部まとめて。


だからこそ、最後に選ぶのは本人にさせようとしていたのだろう。


「……面倒な家だな」


ぼそりと呟けば、ステファンが肩を揺らした。


「安心して。君のところも大概だよ」


「否定しづらいな」


「だろう?」


そこまで話したところで、応接間の方からターシャ夫人の明るい声が聞こえてきた。


「お姉さま、それは駄目ですわ!」

「でも、ターシャ……」

「でもではありません!」


その声に、思わず振り向く。


扉の隙間から見えたのは、妹に押され気味になりながらも、どこか穏やかに笑っているオリバー嬢の横顔だった。


その顔を見て、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「ああ」


思わずこぼれた声に、ステファンが横目でこちらを見た。


「何?」


「いや……」


少し考えてから、正直に言う。


「嬉しそうだと思ってな」


ステファンはほんの一瞬だけ目を丸くして、それから柔らかく笑った。


「そうだね」


その笑い方だけは、さっきまでの食えない公爵のものじゃなかった。


「義姉上、ずっとあんなふうに笑えなかったから」


その言葉に、俺は返す言葉を持たなかった。


ただ、もう一度だけ扉の向こうを見る。


ターシャ夫人が「お姉さま! お姉さま!」と騒ぎ、オリバー嬢が困ったように、それでも嬉しそうに笑っている。


たしかにあれは、守りたくなる顔だった。


「……行くか」


「ああ」


そう言って踵を返す。


過保護な家族だろうが、食えない公爵だろうが、喰えない元公爵だろうが、もう構わない。


あの人を妻にしたいと思った。

なら、その周りもまとめて受け止めるしかないのだろう。


それに。


あの人があんなふうに笑うなら、それも悪くないと思った。


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