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悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


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Act.29 武装する花嫁


Side グルド


朝から、情報量が多すぎた。


まず、ターシャ夫人が泣きながら乗り込んできた。

しかも腹には子がいる。

その状態で『我が姉をポイ捨てするようなクズを出しなさい!』と叫ばれた時には、本気で頭が止まった。


次に、オリバー嬢がターシャ夫人を抱き締めて泣き止ませた。

その流れで『私ね、グルド様に妻に望まれたの』と言った。


さらにその後、ターシャ夫人に『野獣』と呼ばれた。


どれも一つずつなら対応できたかもしれない。

だが、全部まとめて来るとさすがにきつい。


「で」


応接間へ落ち着いて、温かい飲み物が配られ、ようやく一息つける空気になった頃。

ステファンが、いつもの柔らかい顔のまま口を開いた。


「義姉上は、グルドとの婚姻は不本意じゃないね?」


その問いに、部屋の空気がすっと静まる。


ターシャ夫人が息を止めた。

俺も、知らず拳を握っていた。


オリバー嬢は膝の上で指先を組み合わせ、小さく息を吸う。


逃げるなよ、と、心のどこかで思った。

ここでまた綺麗に笑って、全部ごまかして終わりにはしないでくれと。


「……ええ」


そしてオリバー嬢は、はっきりと言った。


「不本意では、ありませんわ」


その言葉に、肩から力が抜けたのが自分でも分かった。


あまりに露骨だったのか、オリバー嬢が少しだけ目を丸くする。

それだけで、今度は別の意味で胸がざわつく。


だがそこで、満足そうに微笑んだのはステファンだった。


「うん。なら、話は早い」


嫌な予感しかしない笑い方である。


「オクレール公爵令嬢を、バントス辺境伯へ輿入れさせる」


「……え?」


声を上げたのは、オリバー嬢だった。


本気で驚いた顔をしている。


「い、いま、何と……?」


「だから」


ステファンはさらりと言う。


「オクレール公爵令嬢をバントス辺境伯へ輿入れさせる。一度、義姉上は王都へ来てほしい。最低限の輿入れ道具は用意したいからね」


オクレール公爵令嬢。


その言葉に、オリバー嬢は言葉を失った。


自分はもう、その名では呼ばれないと思っていたのだろう。

修道院へ送られた時点で、とうに家からも切られたのだと、そう思い込んでいたのかもしれない。


「……え?」


今度は、さっきよりもずっと小さな声だった。


「私は……除籍されたはずでは?」


それに答えたのはターシャ夫人だった。


「いいえ?お姉さまは除籍されておりませんわ」


あまりにあっさりした言い方だった。


「……お母様は、されてしまいましたけれど」


その一言に、応接間の空気がわずかに揺れる。


オリバー嬢は、ただ呆然とターシャ夫人を見ていた。


「されて……いない?」


「ええ」


ターシャ夫人は強く頷く。


「ですから、何度も帰ってきてほしいと言ったではありませんか」


「……今更、変えるつもりもありませんでしたわ」


オリバー嬢は、かろうじてそう返した。


「それに、お母様のことを考えると、なおさら……」


そこで言葉が切れる。


俺は黙ってその横顔を見た。


複雑なんだろう。

そりゃそうだ。

自分はもう家の外の人間だと思っていたのに、実は切られていなかったと言われたら、すぐに受け止められる話じゃない。


そしてたぶん、あの人はまた、余計な方向へ考え始める。


だから、気づいたら身体が動いていた。


何も言わず、オリバー嬢の隣へ寄る。

そのまま肩を抱き寄せると、驚いたように身体がわずかに強張った。


「このまま、うちにいるんじゃ駄目なのかよ」


低い声でそう言うと、オリバー嬢の心臓が跳ねたのが腕越しに伝わった。


だが、その直後だった。


「駄目ですわ!」


ぴしゃりと、ターシャ夫人が言い切る。


俺は思わず目を瞬く。


「お、おお……」


「お姉さまは国王陛下の御前で、あなた様と一緒に挨拶をしなければなりません!そこで半端な格好などさせたら舐められますわ!社交界はそういうのが大好きですからね!」


勢いがすごい。

妊婦とは思えない迫力だ。


「聞いておりますの、その野獣様!」


「誰が野獣だ」


反射的に返したが、相手がオリバー嬢の妹では強く出づらい。

しかも泣いたあとだ。なおさらだ。


ターシャ夫人はまったく怯まず、さらに身を乗り出してくる。


「貴方はすぐに、野獣カラーの最高級の宝石を用意なさい!お姉さまが一番輝くような、最高級の宝石を!」


「野獣カラー……?」


本気で意味が分からん。


隣でステファンが、やれやれと肩をすくめた。


「あとでロジェ商会を紹介するよ」


「ロジェ商会?」


「それと宝石は、できればバランド公爵領で採れたものにしてあげてほしい」


今度はオリバー嬢が聞き返す。


「バランド公爵領?」


ステファンは当然のように答えた。


「ターシャと義姉上の母君は、バランド公爵の妹だろう?先代のバランド公爵は、義姉上のことを気に掛けている。できれば宝石の件は、相談の手紙を出してあげてほしい」


その言葉に、オリバー嬢は小さく息を呑んだ。


また驚いている。

しかも今度の驚きは、少しだけ戸惑いが混じっていた。


気に掛けられていた。

家族に繋がれていた。

切り捨てられていたわけではなかった。


そのことが、今さらみたいにあの人へ届いているのだろう。


だが、ターシャ夫人がそこで、ぐっと姉を見つめた。


「お姉さまがどれほど反省して、どれほど努力したか、わたくしは知っておりますわ」


その声は、先ほどまでの勢いとは少し違っていた。

怒っているのに、泣きそうでもある。


「でも、お姉さまは自分に厳しすぎます!」


その言葉に、オリバー嬢は目を丸くした。


それから――ほんの少しだけ、頬が赤くなった。


ああ、と思う。


そういうところだ。


こういう、真正面から愛情をぶつけられた時に、あの人はすぐ赤くなる。

困ったような顔をして、でも嫌そうではなくて、逃げるくせに、ちゃんと嬉しいのが顔に出る。


素直じゃない。

本当に素直じゃない。


だが、その赤くなった横顔が、妙に愛しかった。


ターシャ夫人は気づいているのか、いないのか、そのまま言葉を重ねる。


「お姉さまは、もっと大事にされてよいのです!」


オリバー嬢は、今度こそ言い返せなかった。

ただ困ったように睫毛を伏せて、小さく笑う。


その笑みもまた、前みたいな作ったものじゃない。

ちゃんと照れて、困って、嬉しそうにしている笑みだった。


ステファンがそこで、にっと笑った。


「まあ、頑張りなよ。ロジェの会長も、バランドの先代も、なかなかに喰えない御仁だから」


げんなりした。


「それ、俺に対する励ましになってるか?」


「まったく」


「だろうな……」


ぼやきながらも、腕はまだオリバー嬢の肩に回ったままだった。


すると、ターシャ夫人がじっとこちらを見てから、改めてオリバー嬢へ向き直る。


「お姉さま」


「何?」


「今度こそ、逃げては駄目ですわよ」


その一言に、オリバー嬢が少しだけ目を伏せた。


ターシャ夫人の声音は強い。

だが、よく聞けば震えている。

また姉がどこかへ行ってしまうのが、本気で怖いのだろう。


オリバー嬢は、そっと微笑んだ。


「ええ」


それから、穏やかな声で続ける。


「今度は、ちゃんと考えるわ」


その言い方に、俺は少しだけ眉をひそめた。


『ちゃんと考える』。


あの人がそう言う時は、大抵一人で全部抱え込もうとしてる時だ。


だが、その前にターシャ夫人がぐいっと姉の腕を取った。


「でしたら、王都へ来てくださいまし。お姉さまの輿入れ道具は、絶対に半端なものにはしませんから」


「ええ……でも、そんなに大袈裟にしなくても」


「何を仰いますの!」


ターシャ夫人は即座に言い返した。


「お姉さまは、今までずっと遠慮しすぎたのです!」


オリバー嬢は、また少しだけ赤くなった。

言い返そうとして、結局言葉にならず、ただ困ったように笑う。


その様子を見て、胸の奥が少しほどける。


この人は、本当に分かりやすくない。

いや、違うな。

分かりやすいところだけ、妙に分かりやすいのか。


ふと、その視線がこちらを向く。


目が合った。


その瞬間、また少しだけ頬が赤くなる。


「……何だ」


思わず低く問うと、オリバー嬢は首を振る。


「なんでもありませんわ」


「そうか?」


「ええ」


そう言いながら、どう見ても『なんでもなくない』顔をしている。


その様子があまりに可愛くて、俺は危うく笑いそうになった。


「……お前、ほんとに素直じゃないな」


ぽろっと出た本音だった。


その瞬間、オリバー嬢の目が丸くなり、次いでますます頬が赤くなった。


「……っ」


言い返したそうに唇が動く。

だが結局、何も言えずに視線を逸らす。


その反応がまた可愛くて、今度こそ口元が緩みそうになる。


ターシャ夫人がそこで、じろりとこちらを見る。


「野獣様、今、お姉さまをからかいましたわね?」


「からかってない」


「からかいましたわ」


「してない」


「しました」


面倒くさい妹君だ。

だが、こういう面倒くささなら悪くない。


隣ではステファンが、そんなやり取りを見ながら面白そうに肩を揺らしている。


「まあ、頑張りなよ、グルド。義姉上本人もだけど、その前に家族方面の攻略も必要そうだから」


「お前が一番厄介そうなんだが」


「光栄だね」


どこまでも食えない男だ。


それでも、今この場の空気は悪くない。


泣いて怒鳴って姉へしがみつくターシャ夫人。

そんな妹を困ったように宥めるオリバー嬢。

その横で、どう見ても野獣扱いされている俺。

それを見て笑っている周囲。


騒がしい。

落ち着かない。

だが、不思議と嫌じゃなかった。


むしろ、こういう賑やかさの中にあの人がいるのを見るのは、少し嬉しい。


「お姉さま」


ターシャ夫人が、また呼ぶ。


「絶対に、ちゃんと輿入れ道具は整えますわ。誰にも舐められないように」


「……ええ」


「約束ですわよ」


「ええ、約束するわ」


オリバー嬢はそう答えて、今度ははっきり笑った。


その笑顔を見ながら、俺は思う。


ああ、やっぱり。


この人といるのは、嬉しいのだと。


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