表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪女と呼ばれた月下の真珠は、野獣辺境伯の妻になりました  作者: まるちーるだ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/49

Act.22 真珠を取り戻すために


Side バルク


最初から、疑う先は一つだった。


修道院と孤児院への寄付を中抜きしていた家。

そのうえで、オリバー嬢を愛人として差し出せなどと抜かした、あの考えなしの家臣筋。


消えたのがオリバー嬢だと分かった時点で、他を疑う方がどうかしている。


もちろん証拠は要る。

辺境伯家が動くなら理も要る。

だが、理屈を揃えている間に間に合わなくなることもある。


今回は、まさにそれだった。


情報が入ったのは、朝のうちだった。


「バルク様」


馬を出す支度をさせながら待っていると、斥候の一人が土埃まみれで駆け込んできた。


「申せ」


「例の家の息子が、夜中に辺境の砦へ入ったとのことです」


その一言に、周囲の空気がぴんと張る。


「一人か?」


「いえ。馬車で」


斥候は息を整えながら続けた。


「窓には厚いカーテンが掛けられており、外から中は見えなかったと。しかも、砦の半地下にある独房を使っているそうです」


そこで、思わず鼻で笑ってしまった。


「幼稚だな」


斥候が顔を上げる。


「隠すなら、もっと緻密にやればいいものを」


夜中に砦入り。

窓を隠した馬車。

半地下の独房。


これで怪しくありませんは通らんだろう。

辺境の人間を舐めすぎだ。

怪しいものほど目立つ土地で、こんな分かりやすい真似をすれば、そりゃ耳にも入る。


だが同時に、それだけ余裕がなかったということでもある。


あの倅は焦っているのだ。

オリバー嬢をどうにかして手に入れたくて、まともな算段もつけぬまま事を起こした。

辺境伯家が本気で動き出す前に、自分のものにしてしまえば勝ちだとでも思ったのだろう。


愚かだ。

ひどく、愚かだ。


「馬を出せ」


低く告げると、周囲の騎士たちが即座に動いた。


振り返れば、すでにグルドが馬へ跨っている。


完全な戦装備だった。


黒革と鋼の胸当て。

肩甲。

腰には剣。

魔獣討伐でも行くのかと思うような物々しさで、しかもその顔が、静かに冷えている。


怒鳴りもしない。

喚きもしない。


だが、あれはよくない。


昔からそうだ。

グルドが本当に怒った時ほど、声は低くなる。

表情は消える。

そして、目だけが獲物を見据えた獣みたいになる。


「グルド」


声をかけると、甥は一度だけこちらを見た。


「情報は?」


「砦だ。夜中に例の倅が馬車で入っている。半地下の独房使用」


それだけ告げれば十分だった。


グルドの手綱を握る指が、ぎしりと鳴るほど強くなる。


「……そうか」


たった三文字だったが、背筋が冷えるには十分だった。


後ろには、バントス辺境伯騎士団が控えていた。

こちらも完全武装。

槍、剣、弓。

馬上戦を前提にした装備で、砦一つ落とすつもりかと思うほどだ。


いや、まあ、そのくらいの勢いで行くつもりなのだろう。


私は思わず笑いそうになった。

笑える場面ではないのだが、これだけ揃えられると、もう笑うしかない。


まったく。


恋愛なんて面倒くさい。

結婚なんてどうでもいい。

令嬢方はすぐ倒れるから無理だ。


そういう空気を纏っていた甥が、今や完全武装で女一人を取り返しに行こうとしている。


見合いを何度組んでも響かなかった。

家を継いだ以上、妻を持てといくら言っても、面倒そうな顔しかしなかった。


だが、オクレール公爵が連れてきたあの美女が来てから、少しずつ変わった。


最初は怪訝そうだった。

噂を知っている分、警戒もしていた。

それが礼儀作法を叩き込まれ、叱られ、褒められ、困らされ、少しずつ目で追うようになった。


そして何より――。


久しぶりに、楽しそうな顔をしたのだ。


礼儀作法の練習で褒められた後。

オリバー嬢に呆れられながらも相手にしてもらっている時。

あの不器用な甥が、ほんの少しだけ口元を緩めるのを、私は何度か見た。


ああ、ようやくか、と思ったものだ。


遅い。

本当に遅い。

だが、その分、目に入ったものは深く刺さったのだろう。


グルドが望んだ真珠は、泥の中に落ちていた。


泥まみれだ。

世間の悪意も、親の愚かさも、自分への罰だと思い込む癖も、全部がまとわりついている。

けれど、泥は落とせる。


洗えばいい。

丁寧に、何度でも、根気よく。


だが、傷は違う。


一度つけば、元には戻らない。


だからこそ、今、取り返さねばならん。


「全力で駆けるぞ!」


グルドがそう叫ぶのと同時に、馬腹を蹴った。


その声に、馬が弾かれたように前へ飛び出す。

私も反射的に手綱を操り、その背を追った。

後ろの騎士たちも一斉に続く。


風が頬を打つ。

地面が蹄の音で震える。

朝の冷気が肺を刺すようだった。


それでも前を行く甥の背は少しもぶれない。

ただ真っ直ぐ、砦のある方角へ突っ込んでいく。


その背を見ながら、私は心の中でひとつため息をついた。


あの考えなしの家臣の倅は、たぶん、ただでは済まない。


済ませるつもりがない顔を、私はよく知っている。

子どもの頃から見てきた。

喧嘩で本気になった時も、魔獣を前にした時も、大切なものを傷つけられた時も、グルドはああいう目をする。


まして今回は――。


ただの客人ではない。

ただの公爵令嬢でもない。

自分がようやく見つけた真珠であり、手放したくないと初めて思った女だ。


そこへ汚れた手を伸ばした。


ならばもう、結果は決まっている。


私は馬をさらに前へ出した。


振り落とされぬように、部下たちも必死で食らいついてくる。

あちこちで鞭の鳴る音がした。


砦はまだ遠い。

だが、今夜が来る前に辿り着かねばならない。


間に合わなければ、グルドはきっと自分を許さないだろう。

そして私も、あの真珠に傷がつくのを黙って見過ごした叔父になる。


それは御免だ。


「待っていろよ、オリバー嬢」


風に紛れるほど小さく呟いて、私は甥の背を追った。


その先にあるのが、砦か、地獄かは知らん。

だが少なくとも、あの倅にとっては、どちらも大差ないだろうと思いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ