Act.14 告げてはならない想い
Side グルド
修道院と孤児院の資金の流れは、表向き何事もなかったように整えられつつあった。
中抜きしていた家臣筋の家は、証拠を固めたうえで静かに締め上げる。
修道院には辺境伯家から直接金を入れる形に変え、孤児院にも冬支度と衣類の予算を回す。
屋根の傷みは村の職人に見せ、備蓄も足りない分から順に運び込ませる。
オリバー嬢には、まだ何も言っていない。
言えば、あの人は喜ぶどころか、自分のせいだと考える。
そうバルク叔父上も執事も言ったし、実際その通りだろうと今では思う。
だから今は、何もなかったように水面下で片づけている。
けれど、調べれば調べるほど、胸の奥に重たいものが積もっていった。
あの女がどれほど修道院を支えていたのか。
どれほど少ないもので何とかしようとしていたのか。
どれほど自分を後回しにして、教会と孤児院を守っていたのか。
帳簿を見ても、礼状を見ても、聞き取りをしても、出てくるのは同じ話ばかりだった。
オリバー嬢がいたから持ちこたえられた。
オリバー嬢が教えたから、女たちにわずかでも稼ぎができた。
オリバー嬢が繕ってくれたから、子どもたちが冬を越せた。
そういう話ばかりだ。
そのくせ本人は、何でもないような顔をしている。
「まだ少し、肘が高いですわ」
礼儀作法の稽古でもそうだ。
「はい」
「ですが、視線の落とし方はよろしいです」
「……それは褒めてるのか?」
「褒めております」
そう言って、ほんの少しだけ笑う。
あの笑みを見るたびに、胸の奥で何かが燃える。
最初は鬱陶しい火種くらいに思っていた。
そのうち消えるだろう、どうせ一時の気の迷いだろう、と。
だが違った。
褒められるたびに、
呆れられるたびに、
真顔で叱られるたびに、
時々こぼれる素の笑みに触れるたびに、
火は消えるどころか、確実に大きくなっていった。
そして、ある時ふと、気づいてしまった。
妻に望むなら、あの人がいい。
そう思った瞬間、自分でも驚くほどすんなり腑に落ちた。
ああ、そうか。
俺はもう、そこまで来ていたのかと。
その夜。
執務室で書類に目を通していた時、気づけば口から言葉がこぼれていた。
「……オリバー嬢を妻に望むのは、駄目なんだろうか」
ぴたり、と空気が止まった。
机を挟んで向かいにいたバルク叔父上と執事が、揃って顔を上げる。
どちらも、珍しくはっきりと目を丸くしていた。
ややあって、バルク叔父上がにこりと笑う。
「オリバー嬢はオクレール公爵令嬢という扱いになるから、家格の上では問題ないと思うぞ」
「ええ」
執事も頷いた。
「オリバー様ほど、旦那様を尻に――失礼、うまく扱える方はそうそうおりません」
「今、言い直したな」
「気のせいではございません」
しれっと返される。
俺はこめかみを押さえた。
「つまり、賛成なのか?」
すると二人は、妙に揃って言葉を濁した。
「「えっと」」
その反応に、嫌な予感がした。
「何だよ」
バルク叔父上と執事が顔を見合わせる。
どちらも、さっきまでの軽さを引っ込めていた。
観念したように、先に口を開いたのはバルク叔父上だった。
「たぶん、オリバー嬢はお前の求婚を受けないよ」
「なぜ?」
即座に聞き返す。
「望んでいないからさ。自分の幸せを」
「意味が分からん」
「分からないのはお前だけだ」
深くため息をつく。
「オリバー嬢はな、自分が必要とされることにはしがみつく。けど、自分が幸せになることは拒む」
執事が静かに続ける。
「旦那様。あの方は、自分が役に立つ場所がある限り、どれだけ苦しくても生きる方です。けれど、その役目がなくなった時、非常に危うい」
ぞわり、と背中を何かが這った。
「危ういって、どういう意味だ」
バルク叔父上が、今度は笑わなかった。
「下手な告白をしたら、舌を噛み切るタイプだよ」
空気が、冷えた。
「物理的に逃げられるならまだいい。だが、あの人は違う」
執事が淡々と続ける。
「生きることから逃げられます」
ひゅっと喉の奥が鳴る。
「今まで、オリバー嬢が生きてこられたのは」
叔父上が指を折る。
「一つ、母親の怒りを受け止める役。
二つ、教会と孤児院を回す仕事。
三つ、お前の教育係としての役目」
指が机に落ちる。
「でも今は?」
言葉が出ない。
「母親は移された。資金も回り始めている。お前の教育も終わる」
執事が問う。
「その時、オリバー様は何を理由にここへ残るのでしょう」
背筋が寒くなった。
あの人は、ずっと『役目』で立っていた。
それがなくなったら。
「……まさか」
「そういうことだ」
叔父上が低く言う。
「逃げないように囲い込んで、必要だと思わせてから、その言葉を言え」
「囲い込むって」
「残る理由を増やすんだよ」
目は笑っていない。
「教会にも、孤児院にも、ここにも。自分がいていいと思わせる。そこまでやって初めてだ」
執事が頷く。
「好意は簡単に伝えられます。しかし、受け取れる状態かどうかは別です」
「……」
「今のままでは、理屈で断られるでしょう」
「それだけならまだいい」
叔父上が低く言う。
「最悪、自分を消せば済むと思う」
その言葉に、息が詰まった。
嫌だ、とまず思った。
あの人が消える。
それだけは、どうしても嫌だった。
「……対応を間違えるなよ」
重い声が落ちる。
「お前が好いた女性は、そういう人間だ」
「急ぐな。浮かれるな。先に地盤を整えてくださいませ」
何も言えなかった。
好きだと思った。
それは確かだ。
だが、その一言で壊れるなら、言うべきではない。
「……面倒くさすぎるだろ」
やっと絞り出す。
「そうだな」
叔父上が笑う。
「だが、お前にちょうどいい難題だろ?」
礼儀作法を思い出して、顔をしかめる。
「まずは、残る理由を増やすことです」
「……ああ」
「そして、必要だと分からせるのです」
「それ、俺にできると思うか?」
二人が揃って言った。
「「そこが問題です」」
「おい」
即答される。
頭を抱えたくなる。
好きだと言うな。
必要だと伝えろ。
逃げ道を潰せ。
間違えるな。
無理難題だ。
けれど。
それでも。
あの人が、そういう危うさの上に立っているのなら。
先にやるべきことがある。
俺は息を吐いた。
困る。
本当に困る。
だが――
もう、投げ出せる話ではなかった。




