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わたしの婚約者の病弱な従妹  作者: 朝山 みどり


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9/11

レオン 1


 最初にエリーを見た瞬間のことを、俺はたぶん一生忘れない。


 王都の一角。

 石畳の広い通りに面した屋敷の前で、俺は思わず足を止めていた。


「本当にここか?」


 見上げた先には、地方ではまず見ない規模の屋敷がある。

 白い壁、手入れされた庭。

 正面扉に立つ使用人。


 これ、貴族の本邸じゃないのか。


 そう思った俺の横で、おじが鼻を鳴らした。


「何を固まってる。入るぞ」


「いや……人が住む家に見えなくてな」


「田舎者丸出しだな」


「実際、田舎者なんだが」


 そう返すと、おじは呆れた顔をした。


 遠縁。

 本当の伯父ではない。

 だが「おじと呼べ」と言われているので、そう呼んでいる。


 王都で働くようになってから、何かと世話になっている人だ。


 そのおじに連れられて、今日ここへ来た。


 婚約者候補に会わせる、と。


 正直、気が重かった。


 どうせ王都の令嬢だ。

 地方育ちの俺を見て、内心ではがっかりするだろう。


 それなら最初から断られたほうが楽だと思っていた。


 そんなことを考えながら応接間へ通されて――


 俺は、言葉を失った。


 窓際に、一人の女性が立っていた。


 柔らかな光が、淡い髪を透かしている。


 静かで、綺麗で、けれど近寄りがたい冷たさはない。


 むしろ、高貴で可愛い聖母みたいだと思った。


 なのに、目が合った瞬間。

 その人は少しだけ困ったように笑った。


「はじめまして、エリーです」


 声まで柔らかかった。


 あ、駄目だ。一目で、好きだと思った。


 同時に理解した。


 釣り合わない。


 こんな人の隣に立てる男じゃない。


 俺は地方領主の補佐官として働いてきた。

 仕事には誇りがある。

 それなりに成果も出してきた。


 だが、王都の社交なんて知らない。

 流行も知らない。

 言葉遣いも洗練されていない。


 服だって、地方で「きちんとしている」と言われる程度だ。


 この人の隣に並んだら、笑われる。


 そう思った。


 だから最初に、逃げ道を作った。


「婚約の話は、気にしないで欲しい」


 俺は頭をかきながら言った。


「俺はこういう男だ。王都の付き合い方もわからないし、令嬢相手の振る舞いも知らない」


 エリーは静かに聞いている。


 その視線が優しくて、余計に情けなくなる。


「だから、嫌なら遠慮なく断ってくれ。嫌なことをしたら、はっきり言って欲しい」


 沈黙。


 ああ、終わったなと思った。


 だが。


「はい」


 返ってきた声は穏やかだった。


「では、そうします」


「え?」


「嫌なことがあったら、ちゃんと言います」


 エリーは少し笑った。


「だからレオン様も、思ったことはちゃんと話してくださいね」


 断られなかった。


 それどころか、普通に話しかけてくれた。


 笑ってくれた。


 それが信じられなかった。


 だから努力しようと思った。


 せめて。

 この人の目に入る場所に立てる男になりたい、と。


 最初に変わったのは仕事だった。


 王都勤務になってから、俺は誰よりも早く出勤するようになった。


 朝の文官棟は静かだ。


 窓から差し込む光の中、机に積まれた書類を開く。


 中央独特の書式。

 根回し。

 会議用語。

 貴族社会の婉曲表現。


 地方では「結論を言え」で済んでいた。


 だが王都は違う。


 まず相手の顔を立てる。

 責任の流れを整理する。

 断定を避ける。


 正直、面倒だった。


 だがエリーは、それを自然にやっている。


 なら俺も覚えるしかない。


 夜遅くまで書類を読み込み、古参文官の会話を盗み聞きし、知らない単語を書き留める。


 地方訛りも直した。


 ある日、同期に笑われた。


「お前、最近しゃべり方おかしくないか?」


「そうか?」


「無理して王都風にしてるだろ」


「駄目か?」


「ぎこちないな」


 笑われた。


 でも、やめなかった。


 エリーの隣に立つなら、必要だと思ったからだ。


 服装も変えた。


 同期に頭を下げた。


「王都で恥をかかない服を教えてくれ」


「お前、急にどうした?」


「必要なんだ」


 真顔で言ったら、相手は吹き出した。


「好きな女でもできたか?」


 図星すぎて黙った。


「うわ、本当にいるのか」


「うるさい」


「ははっ、なるほどなぁ」


 結局、そいつは服屋まで付き合ってくれた。


 髪型も理髪師に相談した。

 礼儀作法も覚えた。


 何度も失敗した。


 舞踏会の夜のことを今でも覚えている。


 緊張で手のひらが湿っていた。

 エリーがいる。

 その一点だけを意識しながら、俺はぎこちなくステップを踏んでいた。


 踏む。また踏む。危ない。


「レオン様」


 エリーが小さく笑った。


「足元より、わたしの目を見てください」


 言われた通りにしたら、なぜかうまくいった。


 それからは少しだけ、怖くなくなった。


 だが、そのたびに覚えた。


 エリーの隣で浮かないように。


 「婚約者が田舎者でかわいそう」なんて言われないように。


 ある日の夜。


 仕事帰りの廊下で、偶然エリーと会った。


「レオン様、まだ残っていたんですか?」


「少し仕事を」


「最近、頑張りすぎでは?」


「そうか?」


「前より無理してます」


 どきりとした。


 エリーはこういうところが鋭い。


 誤魔化せない。


「エリー」


「はい?」


「俺は田舎者だからな」


 ぽつりと本音が落ちた。


「王都では足りないことが多い」


 エリーは静かにこちらを見る。


「あなたは綺麗で、頭も良くて、仕事もできる」


 俺は視線を逸らした。


「だから、せめて恥をかかせたくない」


 言った瞬間、後悔した。


 重い。

 格好悪い。

 こんなのただの劣等感だ。


 だが。


「レオン様」


 エリーの声は柔らかかった。


「わたし、初めて会った時から思っていました」


「なにを?」


「真面目な人だなって」


 俺は目を瞬いた。


「それに、一番にしてくれる人だなって」


 エリーが少し笑う。


「王都風じゃなくても、わたしは今のレオン様が好きですよ」


 心臓が止まるかと思った。


 好き。


 今、好きって言ったか?


 頭が真っ白になる。


 たぶん、間抜けな顔をしていた。


 エリーが慌てる。


「あ、えっと、その、人としてという意味で……」


「いや、十分だ」


「十分?」


「今ので半年は頑張れる」


 真顔で返すと、エリーが吹き出した。


 廊下に、柔らかな笑い声が響く。


 その笑顔を見ながら思った。


 もっと頑張ろう。


 この人の隣に立てる男になろう。


 できればいつか。


 その笑顔を、俺だけに向けてくれる日が来るといい。




いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくおねがいします。


書籍を出すことができました。

挿絵(By みてみん)




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