九州攻め 前哨戦
規模な遠征をおこなうために多くの兵員や物資を集める必要や船の手配がある。
なによりも受け入れ側でも大友氏への連絡があるので、畿内から九州へ使者が送られるので、そこから九州への大規模な遠征が始まることは素人でもわかる。
当然ながら中国や四国だけではなく畿内にも間者を送り込んでいた島津にはその情報はすぐに伝わり、少し遅れて龍造寺氏も織田軍の九州遠征が間近であることが伝わる。
むろん、その対応策が練られるわけなのだが、島津と龍造寺はほんの少し前まで肥後の覇権を得るために戦っていた。
連携して戦うことはもちろん、情報交換をすることもなかった。
それどころか、お互いに織田と和議を結び、刃を自分たちに向けないかと警戒する。
そして、織田の主力が相手に向かうように祈祷する。
一方、最初の戦場のひとつとなる九州北部の国衆たちは次々と織田方への恭順の意を示し、とりなしを求めて大友義鎮へ使者を送る。
もともとこの地は小領主が群雄割拠状態で混在し、「昨日の敵は今日の友」、より実情に近づければ、「昨日の友は今日の敵」なのだから、大友氏に近かった立花氏などはもちろん、龍造寺側に立って戦っていた者たちもこれまでのことがなかったかのように大友氏にすり寄るのは当然の動きと言える。
だが、それが彼らの願い通りに通るのかといえば、そうはならない。
なにしろ信長の目的は九州を平定し自身の息のかかった者たちを支配者として送り込むこと。
そのためには現在の国衆はできるだけ消し去りたい。
むろん、その筆頭は島津と龍造寺。




