猛将も冬将軍には勝てず
いつ戦いが始まってもおかしくない状況、いや、陣立てと兵力の移動もほぼ終わりまもなく戦闘開始状態の奥州だったのだが、大いなる自然がそれを阻む。
雪。
十一月。
つまり、季節は秋から冬。
二十一世紀よりも遥かに厳しい冬に東北の内陸部で戦いをおこなうのは困難。
それどころか、包囲戦ですら難しい。
しかも、補給基地を確保したと言っても山越えをおこなう必要がある。
これは山を越えて攻める側には非常に辛い。
それに対し、伊達や最上は地の利があるうえ、補給も楽。
下手をすれば攻め手が全滅しかねない。
大軍で脅せばどのような条件でも飲むと思われた伊達と最上が戦う意志を見せ、短期決戦でケリがつく見込みがない以上、戦いは雪解けを待ってからおこなうべし。
主戦論に傾いていた旧上杉勢からの申し出に勝家も頷く。
そう。
勝家自身長く越前を本拠地とし、北陸地方の長く厳しい冬を経験していた。
しかも、これから攻め入る奥州と自分たちの本拠地である越前や加賀からは非常に遠い。
しかも、その間にある越中や越後はほんの少し前に落とした地であり反信長の残党が徘徊している可能性は考慮すべき案件。
まともに戦えば負けることはない。
ここで強引に攻めに出て無用の損害を出す必要などない。
冬季休戦やむなし。
越後を支配する金森長近と自身の側近のひとり佐久間盛政をその兵とともに新発田氏の居城新潟城に残し、一度本拠地へと引き上げることにする。
むろん信長への報告と指示を仰ぐという意味も含めて。
もちろん、伊達、最上もこの機に乗じて山越えをして攻め入ることはせず、戦力と物資の温存を図りながら、城の補修や陣地の増築に励むことになる。
こうして、一時的ではあるものの、奥州の戦火は冬将軍の到来によって弱まることになった。




