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本能寺の変が起きなかった先にある未来  作者: 田丸 彬禰


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不穏な平穏 

そして、高野山が信長に事実上の降伏をした頃、とりあえずの平穏を保っていた関東にも不穏な空気が流れ始める。

それは信長から「関東御取次役」を任じられていた滝川一益が上杉攻めから上野に戻ってきたところでそれは始まる。


信長は織田家に敵対する勢力はもちろん、将来敵対しそうな勢力も一掃する腹積もりであった。


むろん、そこには関東の雄北条氏も含まれる。

これまでは難敵武田及び上杉牽制のために北条と懇意にしていたが、武田に続いて上杉が消えた現在、目障りなだけの存在である。

しかも、武田攻めの際には信長の意向とは違う場所に兵を出している。


不要。


一方、北条も将来的に織田とぶつかることは避けられないと悟っていた。

と言っても、織田と戦うことは避けるべき。

そして、その方法として考えたのは、婚姻。

北条家当主氏直の妻に信長の娘を迎えたいと申し入れ、その時点ではまだ武田が健在だった信長もその申し出を受け入れていた。


史実では本能寺の変により、その縁談は白紙に戻り、結局氏直の妻は家康の次女督姫となるのだが、本能寺の変が起こらなかったこの物語においてもその縁談は天正十年後半には半ば立ち消え状態となっていた


そして、もうすぐ冬になるという時期に、婚姻の催促にやってきた北条方の使者に対し、一益が示した信長の意向は武蔵国の割譲だった。


唐突かつ理不尽極まる。


それが北条側の率直な感想だった。


武田家滅亡とそれに続く滝川一益の上野領有によって北条氏の上野と下野の領地は消えている。

いや。

武蔵国についても有名な忍城の成田氏長など北武蔵の国衆は織田への臣従を誓って北条から次々と離脱している。

だが、武蔵国のすべてを失えば、石高はそれまでの四分の一程度になるだけではなく、下総や常陸への影響力も消える。

北条としては絶対に武蔵を失うわけにはいかなかったのだが、逆に信長としてはそれが狙い。

ちなみに、その石高は、信長が領有を認めるとしている相模と伊豆はそれぞれ二十万石と七万石程度。

それに対し、武蔵は七十万石弱。

これを見ても武蔵国を失えば、北条の力は相当弱まる。


戦うべし。


なにしろ織田は多くの場所で戦いをおこなっているので関東に割く兵はそれほどではない。

滝川だけなら勝てる。


主戦論を唱える者はそう主張した。


実際に史実でも本能寺の変後の戦いでそのように推移したわけなのだが、史実とこの物語との違いは、史実では織田方は各地で敗走し滝川一益は単独で戦わなければならなかったのに対し、ここでは北条領の西側には織田方が控えているということだ。

甲斐には川尻秀隆、南信濃には毛利長秀、さらに徳川家康も加わる。

そして、織田と北条との戦いとなれば、関東の国衆の大部分も風向きの良い織田方に与するのは確実。


戦いが始まったら最後、各地から領内に侵入され、滝川勢に集中できないまま敗北を重ね、相模へ退却、小田原城籠城へと追い込まれる。

むろん、小田原城は難攻不落。

だが、織田方は難攻不落の城の包囲戦は大阪本願寺の戦いで経験し、戦い方を熟知している。

しかも、本願寺とは違い、北条には包囲の外からの援軍はない。

さらに、包囲軍の指揮官は万事やることに抜かりのない滝川一益。

包囲戦が始まった時点で北条の命運は決まったのと同じことになる。


戦いか恭順か。


天秤は揺れる。


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