高野山降伏
これまで何度も織田軍の攻撃を撥ね退けてきた高野山の僧侶たち。
だが、さすがに今回ばかりはそうはいかなかった。
なにしろ、前回までは反信長の仲間であった雑賀衆が織田方に加わり攻め手としてやってきているのだ。
さらに織田軍の本気度を示すような質と数。
むろん、外からの援軍などない。
九月の始め。
信長より書が届く。
降伏し、自分に従い永遠の武装解除を約束する。
匿っていた者たちを差し出す。
そして、これまでのおこないの罰として、領地をすべて差し出す。
それを了承しなければ全山焼き討ち。
その凄惨さは比叡山の比ではないことを覚悟せよ。
降伏か滅び。
不愉快極まる二択である。
実をいえば、これは史実にある秀吉による高野山攻めの際に出された際に示されたものとほぼ同じ。
今回出されたものは、そこに信長と高野山との諍いの原因のひとつとなった高野山に逃げ込んだ荒木村重の家臣の信長への引き渡しが含まれている。
そして、これに対する高野山側の対処であるが、これが通常の戦いであれば逃亡という選択肢も存在する。
実際、この時点なら逃亡は十分に可能。
そして、どこかで再起を図るということもできる。
だが、高野山に立てこもる者の多くはこの地域の寺院関係者。
拠り所としている寺を捨てるわけにはいかないのだ。
つまり、そこから離れられない。
それが最良の選択を捨てた理由となる。
さて……。
今回ばかりは戦っても絶対勝てない。
それが高野山の僧侶たちの一致した意見だった。
そうは言っても、脅されて戦いもせず降伏するわけにはいかない事情が高僧たちにはあった。
長年抗してきた信長の言いなりになる。
そのようなことをすれば、いきり立つ若い者に物理的な意味で背中を刺されかねない。
そうならなくても自身の権威は完全失墜。
降伏するにしても一戦交えねばならない。
結局、上に立つ者のメンツという歴史を俯瞰する者からすれば愚かな行為でしかない、勝てないとわかっている戦いに向かうといえる選択をする。
むろん、戦意旺盛の高野山の僧兵、そして、信長に下ることを良しとせず高野山にやってきた一部の雑賀衆、紀伊の国人の士気は高くよく戦う。
だが、それはあくまで善戦の範囲。
しかも、これまでと違い、織田軍も完全に本気。
撃退には至らない。
そして、三方向から攻め入った織田軍のうち、最も戦果を挙げたのは和泉から紀伊に入った津田信澄と丹羽長秀率いる二万だった。
以前からの同盟者根来衆、少し前に軍門に下った雑賀衆に加えて鷺森にいたかつての信長最大の抵抗者本願寺門主顕如の出迎えられた信澄らはそこを拠点に高野山からの攻撃を警戒しながら南紀州制圧をおこなう。
伊勢から紀伊に侵攻した信長の次男信雄軍がそれに続く。
信雄には伊賀攻めでの失態がある。
ここで前回のようなことが起こされては困る信長は弟織田信包を副将に据えただけではなく、目付として堀秀政と蒲生賦秀を信雄のもとに送り込んだのだが、どうやらそれが功を奏した結果となる。
その中で光秀と筒井順慶率いる高野山攻略の本隊の進みが悪かった。
今回の高野山攻めの最初の一手として高野山の入口となる紀の川まで南下したものの、そこで停止。
睨み合いに入ったまま動かない。
もっとも、これは光秀の戦略の一環。
この先は急峻な地形。
さらに多くの要害がある。
力攻めをして落とせなくはないが、地の利がないこちらの損害も大きい。
そこで、主力となる自軍を高野山の喉元に剣として突き付け動きを封じたところで、二方向から攻める軍で高野山の後背となる紀伊の掃討戦をおこなうことにする。
むろん、高野山側が浅慮を起こし背後で掃討戦をおこなおうと信澄、信雄軍に兵を動かせば、光秀軍本隊が一気に攻め上がる算段。
しかも、それを露骨に匂わす。
明智軍の四国での無双ぶりを知っている高野山側は当然動けない。
そして、二十日後。
国人たちは次々に織田軍に飲み込まれ短期間に紀伊は平定され、残りは高野山のみとなったところで、信長は本願寺門主顕如を高野山へ使者を送る。
時を同じくして朝廷からも高野山へ使者がやってくる。
むろん、これは信長からの要請である。
これが戦国時代。
民のため。
この世界の安寧のため。
正義を愛し、悪を憎む。
それはすべて口上。
実際は己の利のため。
むろん、目的のためには手段を選ばず。
昨日の敵は今日の友とは言わなくても、利用できるのであればすべて利用するのだ。
自身の目的のために。
天正十年十月二十五日。
領地の明け渡し。
咎人を匿うことはしない。
武装解除。
信長への反抗をおこなわない。
高野山側から信長の使者である顕如へそのような趣旨の誓詞が出され、事実上高野山の降伏で戦いの幕は下りる。
信長は申し出を受け入れ、高野山から差し出された領地のうち一万石を領することを認める。
また、高野山攻めの発端となった荒木村重の家臣たちは全員自刃して果て、その首は信長へ引き渡される。
そして、今回信長の使者として高野山に出向いた顕如にはその功を報いるため京都六条に寺社用地を与えられる。
こうして畿内に残っていた最後の反織田勢力は消え、また一歩信長の天下統一に近づく。
むろん、光秀ら高野山攻めに加わった諸将には新たな命が出される。
秀吉が中心になり中国衆、四国衆が準備している九州攻めへの参加である。
なお、これまでの功により、信長は光秀の長子十五郎光慶に自身の八女を嫁がせることを約束するのだが、この八女は史実では秀吉の側室となる三の丸殿である。
それにしても秀吉という男はほどほど下種である。
元主君の娘と姪を力と権力で側室にする。
しかも、自身五十歳、相手は十代前半。
現代であれば、気持ちの悪いロリコンエロ爺。
こんなのを、英雄と奉り、公共放送のドラマの主人公にしたうえ、聖人のような扱いにするというのはいかがなものかと、信長推しである私には思えます。




