26話 卒業記念パーティー(後編)
ジルベルタの取り調べの最中に緊急報告があった。公爵夫人が娘を気鬱の病と触れ回っていて、その対処を問うものだった。
驚くアルフレードにジルベルタは諦めたような笑みを浮かべた。
「お気になさらずに。母は、そのう・・・、少々被害妄想気味なところがあるのです。ここから出て、わたくしの無実が証明されれば大人しくなりますわ」
「それはまだ時期尚早だろう。夫人のことは公爵に対処してもらったほうが無難だ」
「父はまだ領地から離れるのは難しいでしょう。早急な対処を考えるならば、わたくしをここから出してくださいな。
わたくしには事件を起こす動機もメリットも何もないのだから」
「本当にそうかい? 君はドナート嬢やサクラ嬢に思うところが何もなかったと証明できるのかい?」
「はい? どういう意味なの、アル?」
ジルベルタは思いがけない問いで言葉遣いが乱れて私的なものになってしまった。
公式記録が残されるため、公爵令嬢として第一王子に応じていたのが、私人としての物言いだ。
アルフレードは気難しげに顔をしかめた。
「ドナート嬢は君と並んで私の婚約者候補だった。サクラ嬢は今はまだ下級神官だが、希少な光魔法を扱える。もっと、慣れてくれば巫女に昇格は間違いない。もしかしたら、トップの巫女姫にだってなり得る。
そんな彼女たちと私が交流していて気にならなかったと言えるのかい?」
「・・・何を言っているの、アル。どうして、わたくしが接点のないお二人を気にしなければならないの?
あまり話したこともないのよ?」
「君が二人を排除しようとしたのではないか、という意見がでているのだが・・・。
もしかして、君は彼女たちに嫉妬したのではないか?」
「はっ?」
ジルベルタは紫紺の瞳を瞬かせた。意味不明だと頭を横に振る。
「ドナート様には婚約者がいるし、サクラ様は神殿所属だわ。嫉妬する要素なんてないでしょう? 貴方は知人として交流しているだけなのだし」
ドナート家の次男はアルフレードの学友だ。早くから騎士になって独り立ちすると決めていて、卒業後すぐに近衛隊に入った。
クラーラは彼の妹で、サクラはさらにその友人だ。他の令嬢よりも親しくしているが、飽くまで知人の枠内である。
「しかし、私たちは政略上の婚姻だ。将来的に、君に子供が生まれなければ側妃をとることもあり得る。その時に二人は候補に上がるかもしれない」
「せい、りゃくって・・・、そんな。だって、わたくしたちは・・・、そうだけど。いいえ、それだけではなくて・・・。
もしかして、貴方は、お二人を、側妃候補として、みて、いるの?」
「ジル?」
アルフレードは血の気が引いたジルベルタにびっくりした。蒼白な顔になった彼女は今にも倒れそうになって、必死に卓にしがみついている。
政略結婚だが、ジルベルタはアルフレードを慕っていた。初恋だった。
彼が学園に通う時に、他の女の子を見てほしくなくて告白した。
『心よりお慕いしています』と真っ赤になって告げたジルベルタにアルフレードは優しい笑みをくれた。『嬉しいよ』と言ってくれた。
彼とは同じ気持ちだと思っていたのに・・・。
「ジル、顔色が真っ青だ。気分が悪くなったなら、休ませるから。誰か、医務官を呼んでくれ」
アルフレードが付き添いの侍女に声をかけた。人の出入りが慌ただしくなる中、ジルベルタの表情は失せて死んだ魚のような目になっていた。
アルフレードが取り調べでジルベルタに問うたのは全て事情を知る臣下からあがった意見だ。アルフレード自身は微塵もそんなことは思ってもいなかった。
公式記録でジルベルタに堂々と否定してもらって、裏付け調査をとれば誰も文句など言えはしない。彼女の容疑を完全に晴らせると思っていた。
だが、ジルベルタは公爵夫人が触れ回った通り、気鬱の病にかかったようになってしまった。無気力で何を問うても、『殿下のよきように』としか答えない。
アルフレードの思惑通りにはならずに焦っていたところに神託がくだってーー
アルフレードは片手で顔を覆った。
公式記録など気にせずにジルベルタに伝えるべきだった。彼自身は臣下の意見に同調していない、彼女を信じている、と。
何も言わなくてもジルベルタはわかってくれていると思っていた。疑いを晴らすために必要なことなのだから。
だが、後から記録を目にした母に激しく叱責された。
ただでさえ、ジルベルタが身に覚えのない容疑で拘束されて不安になっているのに、婚約者が言葉を惜しんでどうする。実家がアテにならない以上、頼れるのは婚約者のアルフレードだけだ。王族として公平な立場で取り調べなければならないが、それでジルベルタを追い詰めるなど愚かだ、と言われてしまった。
第一王子ではなく、婚約者として寄り添うべきだった。
記録を気にするなら、言葉をかけなくても手紙で伝えればよかった。花束やお菓子の差し入れにメッセージカードをつけて彼女の心を気遣うべきだった。
貴族牢は外に出られないだけで暮らしぶりは貴族家と変わらない。手紙や差し入れは検閲が入るが、危険がなければ認められるものだ。
それなのに、婚姻前から側妃候補を見繕っているかのような発言をしてしまった。
王国では一夫一妻が基本だが、唯一の例外が国王だ。
婚姻して五年以内に王妃に子が望めなければ側妃を娶る。側妃は跡取り目的で娶るため経産婦が望ましく、既婚者でも本人や夫の同意があれば可能なのだ。過去には離縁して国王に嫁いだ例もあった。
後悔しても今更なのだが、もっと物言いに気をつけるべきだった。
項垂れるアルフレードの耳に素朴で優しい笛の音が響いた。船上で聞いた子守唄だ。
はっとして顔をあげると、目の前に黒髪の少女がいた。
お日様色のドレスにサファイアのブローチと髪飾りをつけたジルベルタ。婚約式の装いだった。
ジルベルタにアルフレードの色のドレスと装飾品を贈ると、頬を染めて嬉しそうに笑っていた。初めてエスコートの手を差し伸べると、おっかなびっくりに手を重ねてはにかんだ笑みを浮かべた。
かわいいなぁと妹のように思っていた。
少女がくるりと身を翻すと、少し成長した姿に変わる。
青いドレスとシトリンの装飾品を身につけたジルベルタ。アルフレードの学園入学前に正式に婚約者のお披露目をした姿だった。
ジルベルタはデビュタント前だったが、お披露目のために特別に夜会に参加した。ファーストダンスを踊ったら王族席で挨拶を受けて早めの退場だ。彼女に付き添って会場を後にするアルフレードにジルベルタは告白してくれた。
政略で結ばれたがお互いに好意があるのはわかっていたから、改めて告げられてアルフレードはくすぐったかった。言葉少なに答えて、自分の思いをはっきりと言葉にはしなかった。後から思いきり悔やむことになるなんて、この時は思ってもみなかった。
ただ、嬉しすぎてふわふわと浮かれていたのだ。愛おしさがあふれでて、言葉にならなかった。
再び身を翻し、ジルベルタは白いドレス姿になった。彼女のデビュタントだ。
アルフレードから贈られたスターサファイアのネックレスとイヤリングを身につけていた。すっと手が差し伸べられて、アルフレードは手をとった。
流れるように、ダンスが始まる。
『アル、これからずっとダンスのパートナーは貴方だけよ。わたくしがミスしても笑わないでよ?』
『ミスなんかしないさ。私がパートナーなんだから、絶対にフォローするよ』
『ホント? 期待しているわよ、わたくしの王子様』
『ええ、姫君。ご期待には必ずやお応えしますよ』
くるくると踊りながら二人で約束した。ダンスだけでなく、生涯のパートナーなのだから、彼女とはずっと支え合っていくと思っていた。
どんな人生を歩もうとも、隣には彼女がいるはずだった。
「・・・ごめん、ジル。君を守れなくて。あんなこと、本心ではなかった。私も、君が好きだったんだ」
アルフレードが呟くと、ふわりと花が開くようにジルベルタが笑った。いつの間にかに笛の音が止まっていた。
ジルベルタの姿がすうっと薄れていく。その場に現れたのは紅のドレスのカリンだ。
『殿下、ジルベルタ様とお別れはできましたか?』
アルフレードは瞬きを繰り返して、もう二度と訪れない夢のようなひと時を噛み締めた。
「まあ、英雄様。このようなところにおられたのですね」
トーヤが語尾にハートマークがつきそうな甘ったるい声に顔をあげると、自称フェデーレ家の親類と婚約中とかいう令嬢だ。
歓迎会でカリンに値踏みするような視線を向けるから早々に追い返した。名前も覚えていない。
「わたくしの妹の婚約者が卒業しましたの。お祝いでわたくしどもも参りましたのよ。あちらに妹たちがいますの。わたくし、英雄様にご挨拶を申しあげたくて」
令嬢がしなだれかかってきたが、トーヤはすっと身体を斜めにして交わした。バランスを崩して倒れかかった令嬢が掴まろうとして手を伸ばしてくるから、仕方なく手をとって側の椅子に押し込んだ。すぐに手を離してハンカチで拭っていると、令嬢が頬を赤く染めて見あげてきた。
「まあ、紳士でいらっしゃるのね。倒れかけたわたくしを助けてくださるなんて」
「別にすっ転ばせても構わなかったが、いちゃもんをつけられては面倒だからだが?」
トーヤが淡々と述べると、令嬢の顔が一瞬だけ引き攣った。すぐに笑みを取り繕って、今の言葉は聞かなかったことにしたようだ。
「お一人では退屈でございましょう。わたくしどもとご一緒に」
「迷惑だ。断る」
「・・・まあ、パートナーが他の殿方と逢引なさっているのに、ずいぶんと寛大なのですわね?」
「阿呆か、貴様」
「なっ」
令嬢は冷ややかなトーヤの眼差しに硬直した。
テラスにアルフレードと向かい合っているカリンの姿が見えるが、適切な距離をとっていて怪しまれるものではない。
「カリンは我が国の国宝級の装飾品が損傷した件で、第一王子と内密な話し合いをしているだけだ。それを曲解した悪意まみれの醜聞にしたりしたら、貴様の一族郎党並びに婚約者の一族も無事では済まないぞ。
その覚悟があって口にしたのだろうな?」
「そ、そんな悪意だなんて、誤解ですわ」
令嬢は青くなって否定した。
フェデーレ家から流れた装飾品がカリンの手元に集まっている話は社交界では有名だ。
祖母へ形見わけの品を渡すために選んでいる最中に幾つかの装飾品に微かな傷が見つかった。どうやら、雑に扱って手入れもろくに行わなかったようで、職人の元に修理にだされた品もある。密かな噂となっていたはずだが、目の前の相手は興味がなかったのか、知らなかったようだ。
「使用した相手に損害賠償の訴えを起こしてもよいのだが、下位相手にそこまでするのも大人気ないしな。どうしたものかと思案していた。
殿下から何らかの形で責任を問う手段がないか、打診しているだけだが?」
トーヤの話は前半だけ真実で、後半は嘘も方便というやつだ。本当は面倒な相手とこれ以上関わり合いたくないから不問にしたのだが、令嬢には嫌味に聞こえただろう。
令嬢は『使用した相手』と言われてびくりと身を震わせた。
彼女は歓迎会で身の丈に合わない装飾品をつけていた。婚約者からの贈り物だと自慢げにしていたが、フェデーレ家から形見わけでもらった品だった。
強盗騒ぎで返却した腹いせでトーヤに絡んできたのだろうか。
「だ、だって、ミツフジ様は赤いドレスで、パートナーの色を纏ってはいないではありませんか! 貴方と不仲だから、殿下に色目をつかっているのでしょう⁉︎」
「妄想癖がある上に、無知無教養な輩と話す必要を認めない。さっさと失せろ」
「そんな!」
令嬢が抗議の声をあげて立ちあがると、絶対零度の紫紺の瞳に見下された。令嬢は殺気に気圧されて、膝がガクガクと震えて椅子にへたり込んでしまう。
トーヤが侮蔑を含んだ声でぼそっとこぼした。
「ああ、面倒だな。警備兵を呼んだほうがいいのか」
「申し訳ありません、ナナミネ様」
謝ったのは令嬢の叫び声で近寄ってきたコルラードだ。後ろにドロテーアとアイリもいる。
「まさか、東方諸島の慣習に疎い者が我が国の貴族でいるとは思いもしませんでした」
「ええ、パートナーの色に関しては有名な話ですのに」
ドロテーアも困った顔をして扇でため息を隠した。
「そうねえ、皆さん、ご存知のようで、わたくしの誕生月は二月かとよく聞かれたわ」
紫のドレス姿のアイリが肩をすくめた。イヤリングとネックレスもドレスと同じ紫の宝石でまとめられている。アメジストだ。
アイリはにこやかな笑みを浮かべているが、貴族のご令嬢に向ける視線をしていなかった。まるで、その辺に落ちているゴミでも見ているかのようだ。
「東方諸島の住民の容姿は暗くて濃い色が特徴ですのよ、ご存じないのかしら? 祝いの正装には向かない色だわ。
我が国の正装では自分かパートナーの誕生石を身に纏うのが常識なの。花鈴の誕生石は真珠で桐也は紅玉、ルビーね。衣装も誕生石と同じ色が好まれるわ。
だから、桐也の色を纏っている花鈴は婚約者と良好な関係なのよ、言いがかりも甚だしいわねえ。
どこかの令嬢もどきさんにはお分かりにならなかったようですけれど?」
うふふっとアイリが令嬢を嗤った。
東方諸島でアメジストは二月の誕生石だ。それで、アイリは二月生まれかと聞かれていた。
もどきと揶揄された令嬢が悔しそうに唇を噛み締めるが、第二王子のコルラードの前では文句など言えない。
コルラードが背後を見やって合図すると、給仕の青年がすぐにやってきた。
「こちらのご令嬢が気分を悪くされたようだ、休憩室に案内してくれ」
「はい、かしこまりました」
給仕が速やかに令嬢を回収して行った。
「ナナミネ様、申し訳ありません。ご不快な思いをさせてしまって。私が兄上の憂いを取り除いてほしいとお願いしたから」
コルラードが恐縮したようにテラスを見やった。カリンがお守りの笛を吹いているところだった。
サクラの襲撃事件はコルラードの耳にも入った。兄が取り調べに関われなくて落ち込んでいたから、カリンの笛を聴かせてあげてほしい、と依頼した。歓迎会での幻想を見て、カリンの闇魔法の素晴らしさを実感したからだ。彼女の笛の音で兄を励ましてほしかった。
「貴方が悪いのではありません。貴方は兄君を心配しただけだ。無知無教養な阿呆のために頭を下げることはない」
「そうですわ。弟の言う通りですもの、お気になさらないで」
ナナミネ姉弟からフォローされて、コルラードはほっと息を吐いた。
自分の依頼のせいで兄とカリンの間に変な噂でもたてられては堪らなかった。
「明日以降が色々と大変だろう。殿下にはきちんと休んで体調を整えてもらわないと困るからな」
「はい、お気遣いありがとうございます」
コルラードが素直に受け止めると、トーヤは若干気まずそうな顔になった。
カリンと引き離された恨み言で少々嫌味をかましたのだが、全然通じていなかった。アイリが弟に呆れた視線を向ける。
「もう、本当に子供ねえ。そう拗ねないの」
「別に、拗ねてない」
姉弟のやり取りにコルラードとドロテーアは顔を見合わせた。お互いの顔に???が浮かんでいるが、口を挟むのは悪い気がして聞き流すことにする。
しばし、歓談していると、カリンが戻ってきた。アルフレードはまだテラスにいる。
『もう少し、お一人の時間を過ごさせてあげてください。殿下ならば、きっと気持ちの整理がつけられますわ』
「ミツフジ様、ありがとうございます。私の不躾な依頼を叶えてくださって」
「感謝いたします」
コルラードとドロテーアが頭を下げる。にこりと微笑んだカリンはトーヤの服の裾を引っ張った。
「少し花鈴を休ませてもいいだろうか?」
「ええ、休憩室にご案内いたします」
「いや、そこの長椅子で休憩させてもらえば大丈夫だ」
トーヤが壁際に設置してある休憩スペースを指差した。座り心地の良さそうなソファが並べてある。
トーヤがカリンをエスコートしてソファに座らせた。
「何か、飲み物でも取ってこようか?」
カリンはふるふると首を振って、ペちぺちと隣を叩いた。横に座れと促されている。
トーヤは少し間隔をとって腰掛けると、カリンの頭を撫でようとしてためらった。せっかく綺麗に結いあげている髪が崩れてしまいそうだと思い直したのだ。上げた手の置き場に困って肩に手を置くと、カリンが不思議そうに見上げてくる。
「その・・・、あー、あれだ。花鈴、お疲れ様」
トーヤは迷った末にカリンの背をそっと撫でた。カリンは隙間を気にせずにこてりと頭を彼の肩に預けて猫のように目を細める。
トーヤの不器用な労いが心地よかった。自分の居場所に戻ったのだと実感できる。
カリンが落ちつくまでトーヤはずっと背中を撫でてくれていた。
アイリは二月生まれ、ルフィーノとはまだ正式に婚約してないので自分の色を纏っています。ただ、ドレスも装飾品もルフィーノからのプレゼント。ルフィーノはようやく贈り物できる立場になったとご機嫌です。




