21話 信頼
彼女を初めて見かけたのは温室で、車椅子の後ろ姿だった。
冒険者の叔父は国内外に知人が多く、冒険者仲間を屋敷に招くこともあった。師匠で友人のマサムネが率いる青い火の鳥など、叔父の屋敷を活動の拠点にするほど親しくしている。
温室のガラス越しに捉えたその人は漆黒の長い髪で東方諸島出身者だとすぐに予想がついた。叔父に尋ねると、怪我の療養中の客人だと返事があった。
「へえー、それは大変だね、冒険者仲間なの?」
「うーん、まあそうだなあ。今はまだなんだが、これからそうなるだろう」
はっきりとしない叔父の返答に首を傾げたが、この時はあまり深くは考えなかった。
ラウロはクラーラとの婚約解消がうまくいかなくて、気晴らしに叔父の屋敷を訪ねるのが増えていた。
ルフィーノは亡くなった母の影響か、東方諸島の品々で屋敷を飾りたてている。物珍しい品が溢れている叔父の屋敷はびっくり箱のようでラウロには面白かった。叔父も両親には言えない話を聞いてくれて、他言しないでくれているから、公爵家跡取りのラウロには気軽に寛げる貴重な場だ。
訪問の度に漆黒の後ろ姿を見かけた。図書室や庭の東屋にテラスで、と。
車椅子から普通に椅子へ腰掛けるようになり、立ち歩く姿へと変わっていき、回復していく様子が手に取るようにわかった。車椅子でも背筋を伸ばしていて、初めて見かけた時から感じていたが、立ち居振る舞いが優雅で身分の高い女性なのだろうと思っていた。
彼女と初めて言葉を交わしたのは三か月ほど経った頃だ。
久しぶりに訪問したラウロは鍛錬所で弓を手にした彼女ーーカリン・ミツフジと出会った。ラウロの予想通り、カンナギ国十二家の姫君ですっかりと回復していた。
声を失ったカリンは付き添っていたトーヤの手のひらに指で文字を綴り、トーヤが間に入っての会話だった。
冒険者になりたてのカリンをトーヤが指導していた。筋力の劣る彼女の得物に弓を選んで特訓中だという。
文字通り、手取り足取りで指導しているトーヤにラウロは自分でも驚くほど大きな苛立ちが湧きあがった。
「トーヤ殿、女性に教えるのですから、アイリ様のほうが指導役には相応しいのでは?」
「・・・姉に、教えろ、と? それは無謀ではないかと思うが」
トーヤが露骨に顔をしかめてため息をつく。
アイリは感覚派というのか、言葉で説明するのが難しいようで教えるのは下手だ。幼い頃から、姉の『あれ、それ、このくらいで』とか、『バアンときて、ズドオンってなって、ババババーンとなるのよ〜』という意味不明な説明に振り回されてきた弟にしてみれば、アイリに教わるほうが問題大ありだと思う。
「それでは、マサムネ様は? 叔父が優秀な指導者だと絶賛してましたよ」
「・・・その政宗から指導役を仰せつかった。花鈴はまだ自分の限度がわからないようで無理をしがちだ。
せっかく、大怪我から回復したのだ。限界を見極められなくて、身体を痛めては元の木阿弥だろう」
むすっと答えるトーヤの腕を引くようにして、カリンが文字を綴った。すぐにトーヤが通訳する。
「花鈴も政宗の指示に従うと言っている。私たちのパーティーに加入するのだから、無理なく最速で等級を上げてもらわねばならない」
「初心者をいきなり金剛と金クラスのパーティーに? そちらのほうがずいぶんと無謀ですよ」
「花鈴は我がパーティーの切り札となる。大海蛇退治には欠かせない重要メンバーだ。殿下のご意向なのだから、苦情は叔父上に申しあげてくれ」
トーヤは素っ気なく言い放った。
青い火の鳥はリーダーのマサムネが金剛クラスでアイリとトーヤの姉弟が金クラスにあがったばかりだ。
時折、叔父も限定的にパーティーに参加することがあり、金剛クラスのルフィーノは準メンバーという立ち位置だ。そこへ、いきなり初心者を投入するとは実力差がありすぎた。意外に思うのは当然だった。
「花鈴の闇魔法は我々よりも優れている。彼女の闇魔法で大海蛇を海底から誘導できれば討伐しやすくなる」
大海蛇の出現で東方諸島への航路は大回りを余儀なくされている。すぐに海中深くに潜られてしまうので、退治に苦心しているのは周知の事実だ。
ラウロは苦々しく思った。
叔父に憧れて冒険者になりたかったが、公爵家の跡取りである彼には冒険者登録の許可が降りない。高位貴族でも次男三男なら冒険者になることができるのに、跡取りには危険だからと認められていないのだ。ラウロは跡取りの教育を受けて理解してはいるが、未だに未練たらたらで諦めきれなかった。それが、初心者がいきなり叔父に見初められて期待されているなんて、羨ましいどころではない。
しかも、その相手は自分より数歳上くらいのご令嬢だ。やっかんで羨み、認めたくないと激しい反感を覚えた。
「カンナギ国では冒険者家業を推奨されているのに、ミツフジ嬢は今まで何をしていたのですか? 冒険者登録は15歳以上なのに。
失礼ながら、15歳以上にお見受けしますが?」
今まで無駄に遊んでいたのか、と無意識に冷ややかな声がでた。トーヤが無表情ながら、ぴくりと片眉をあげた。
「・・・花鈴、事情は人それぞれだ。無理して伝えることはないぞ」
トーヤの言葉にカリンは首を傾げてから、ゆっくりと首を横に振る。
トーヤは実に嫌そうに口を開いた。まるでラウロには知らせたくないようだ。
「もともと、花鈴には冒険者になる予定はなかった。婚約解消で故国をでたから、身を立てる生業として選ぶしかなかったのだ」
「え・・・」
ラウロは思わず声に詰まった。
いくら冒険者家業が盛んなカンナギ国でもラウロのように冒険者登録を認められない者もいる。病弱な身体だとか、一人っ子で他に跡継ぎがいない場合などで、特に深窓のご令嬢は嫁ぎ先が認めなければ無理だ。
冒険者には危険がつきものだから、奥方となる女性には傷がついてほしくないと思う男性が一定数いるものだとマサムネに聞いたことがある。
カリンもそういう例だったのだろう。
それなのに、婚約解消だなんて、女性には非がなくてもどうしたって外聞が悪くなる。出国するほど醜聞に苛まされたのだと容易く想像がついて、ラウロは八つ当たりで相手を貶す言葉を吐いてしまったと後悔した。
「あの、非難するつもりではなくて・・・」
狼狽えるラウロにカリンがふるふると首を横に振る。そして、にこりと微笑んだ。
「気にしないでほしいと、言っている。謝罪は無用だ」
トーヤの愛想もない通訳にこくこくと頷くカリンは無理をしているようには見えなかった。ごく自然な笑顔だ。
ラウロは婚約解消をモノともせずに優美に微笑むカリンに見惚れた。すっとトーヤが前に出て、カリンを背後に庇う。
「すまないが、鍛錬の途中なのだ。ラウロ殿、予定を押している。今日はこれで失礼させていただきたい」
言外に『さっさと帰れ』という圧を感じる。ラウロはムッとしたものの、邪魔をしている自覚はあるので素直に引きさがった。
帰り際に振り向くと、真剣な顔をしたカリンにトーヤが親身に寄り添っていて面白くなかった。
ラウロは偏食が多い子供だった。主食のパン以外には肉と果物しか食べない。野菜や乳製品は嫌っていた。
だが、カリンに出会ってからは好き嫌いを抑えるようになった。美肌にはバランスよく栄養を摂るほうがいい、と母が言っていたのを小耳に挟んだからだ。
ラウロは美容には興味がなかったが、来年には貴族学園に入学する年だ。そろそろ、社交にも力を入れねばならず、ニキビだらけの肌を改善する必要があった。断じて、白い肌のカリンと並ぶと見劣りするとか、精悍な男前のトーヤに張り合おうとか思ったわけではない。
食改善に伴い、急激な成長期が訪れた。これまでは偏食で栄養バランスがよくなかったのだろう。
成長すると護身として学ぶ剣技にも力が入ってメキメキと上達し、学園では女子生徒から熱い視線を送られるようになった。ちょうど、クラーラとの婚約解消が整った頃で、見目麗しく成長したラウロは余計に人気がでた。
すでに年が近い高位貴族の令嬢は婚約済みだったので、婚約者に選ぶのは年下か格下の相手だ。
よりどりみどり選び放題だなと友人に揶揄われたが、ラウロにはどんなに可愛い女の子でも、綺麗な令嬢相手でも心が動かなかった。彼の脳裏に浮かぶのは真っ直ぐに背筋が伸びた黒髪の後ろ姿だ。媚びて甘い声で擦り寄る令嬢よりも、真剣に訓練に励み冒険者の腕前をあげていく彼女の姿に惹かれていた。
ラウロがはっきりと恋心を自覚したのはカリンがトーヤお手製の木笛を大事そうに手にしていた時だ。
彼女の少しはにかんだ嬉しそうな笑みを見て、自分に向けて欲しかった。あの笑顔を引きだしたのが自分だったらどんなによかったことかと悔しく思って、初めて気づいたのだ。
自分の力で幸せにしたいと思った初めての女性だ、と。
トーヤが自分のお守りを作り直してまで贈ったと聞いて心底から驚いた。カンナギ国の御神木は世界で唯一無二だ。かつて、滅びる前の文明の遺産とも語られている。貴重で付加価値が高い特別なものだ。
その御神木で作った笛は見た目は素朴でも効果は絶大だった。
つい高級品の横笛を彼女に贈ってしまったのは、明らかに恋敵に張り合っていた。贈る寸前で急に怖気づき、つい『友人として』などと口走ってしまったのは失態だった。カリンは喜んで受け取ってくれたが、トーヤが面白くなさそうに『彼女にはラウロ殿くらいの弟がいたから』と牽制してきたのにはムカついた。
時々、カリンが親しげな目で見つめてくるのは感じていたが、まさか弟扱いだとは思いもしなかった。モテ期を迎えたラウロには何気に大ダメージだ。
学園の女子生徒から言い寄られることもしばしばで、年下でも少しはカリンにも意識されているだろうと思っていたのだから。
改めて異性として強くアプローチせねば、と決心した矢先に、トーヤとの婚約を知らされてラウロは膝から崩れ落ちた。
ヘタれずに恋心をアプローチすべきだったと、ものすっごおおおく後悔した。それでも、諦めきれずに正式な婚約が整うまではと大奮闘した。
叔父から『心ゆくまで悪あがきすればいいさ。未練が残らないように、ね』と玉砕覚悟の応援(?)を受けて山の王国へ出向いたのだがーー
見事に惨敗である。
カリンにアプローチどころか、トーヤにことごとく妨害されまくって時間切れとか。何のために大人ぶって紳士の振る舞いをしていたのだか、虚しくなる。
どよよよんと落ち込んだラウロだが、叔父との約束だ。すっぱりきっぱりはっきりと諦めなければならない。
死んだ魚の目をしたラウロが帰国の挨拶に訪れると、巫女姫は顔色が悪かった。貧血で途中退出したと知らされて、ラウロはさあっと青ざめた。
「サクラ様、申し訳ありません。私がきちんと最後までエスコートすべきでした」
ラウロがサクラを気遣ってすぐに辞去しようとすると、呼び止められた。サクラはどこか思い詰めたような顔をしている。
「あの、ラウロ様。・・・ラウロ様がクラーラと婚約解消したのはクラーラの態度が悪かったからですよね?
お見舞いに来てくださったのに、本当は体調が悪くなくて好き勝手にしていたから。
ラウロ様はクラーラを嘘つきだと思いましたか?」
「そうですね、信頼できない相手だと思いました。彼女はこれまでの信用を見事に完全に粉微塵にぶち壊したのですよ」
「え、ぶち壊した?」
サクラはラウロがしかめ面になったので驚いた。
年下だが、物腰柔らかな紳士として振る舞っていたラウロには似つかわしくない言葉だ。取り繕いを忘れるほど、苦い思いをしたということか。
「ええ、どんなに親しい間柄でも嘘や虚言で誤魔化してくる相手のことなんか信じられないですよ。
もし、何か事情があってのことだとしても、説明はムリでも誠意を示して謝罪するものでしょう。それがないどころか、開き直って罵ってくるとか、あり得ない。
彼女とはお互いに尊重し合える関係になれるとは思えませんでした。
信頼できない相手とでは政略上でもメリットよりもデメリットのほうが大きくなる。解消の理由には十分です」
ラウロはあっさりと肩をすくめた。
彼の中ではクラーラとのことはもう終わったことだった。クラーラが何かやらかしたとしても無関係で、心配するような情など残っていないのだ。
「そ、う、ですか・・・」
「もしかして、サクラ様にも何かあったのでしょうか? もし、そうなら、侯爵家相手だからと遠慮することはありませんよ。
巫女姫は高位貴族に匹敵するお立場です。ドナート嬢とは対等な関係なのですから」
「わたしとクラーラが対等?」
「ええ、もとよりお二人は友人同士と伺っています。友人ならば、サクラ様が巫女姫でなくても対等な関係ですよ。
もしも、相手が身分を振り翳して無理強いしてくるならば、そんなのは友情ではありません。逆に権力濫用だと訴えてやればいいのですよ」
ラウロは力強く頷いている。サクラは不安そうに顔を歪めた。
「でも、この世界は身分社会なのだから、上の者に下からは逆らえないでしょう?」
「確かに身分が上の者ほど権力は大きいですが、だからといって何をしても許されるなんてあり得ません。そんなことをしたら、権力者がやりたい放題の恐怖政治になってしまいます。
千年ほど前にこの世界が一度滅んでいるのはご存知でしょう?
時空装置の制御の失敗が原因なのですが、そもそもの発端は恐怖政治による民意の不満の爆発なのです」
サクラは学園で習ったこの国の歴史をぼんやりと思い出した。確かにラウロの言う通りだが、詳しい原因までは教わった記憶がない。
「あの、わたしの不勉強で申し訳ないのですが、詳しい原因までは知らなくて」
「あ、失礼しました。一般ではそこまで詳しい話は伝わっていなかったですね」
ラウロはうっかりしていたと、首を横に振った。
王家に連なる公爵家だからこそ、詳しい原因まで教わっていた。貴族学園ではそこまでは教えていなかったことを忘れていた。
ラウロはバツが悪そうに「ここだけの話ですが」と前置きした。
「時空装置の管理者は平民層の技術者が多かったそうです。横暴な貴族による理不尽さに耐えられなくなって、装置を暴走させたらしいのです。権力者に対する抗議活動のつもりだったようです。
まさか、大陸全土の全ての装置が連動して破壊するとは誰にも予想外だったらしいのですが。
そのような過去の教訓から、恐怖政治は世界各国の非難の的になりますし、上位者が理不尽な命令を下したり、横暴な振る舞いをするのは忌避されます。貴族社会では下の者から告発されるのは恥なのです。
しかし、告発を潰そうとする悪徳者もいますので、告発には細心の注意と準備万端の根回しが必要ですけれど。要はやり方次第ですが、下の者は黙って泣き寝入りしなくてもよいのですよ」
「・・・そうだったんですか」
サクラは気が抜けたように呟いた。
クラーラがよく『平民如きが』とか、『たかが下級神官のくせに』という言葉遣いをしていたから、厳しい身分社会で上には絶対に逆らえないものと思い込んでいた。でも、よくよく思い出してみれば、他の人からは聞いたことがない。
ただ、身分に応じた礼節は大事だとマナーを厳しく指導されたくらいだ。考えてみれば、『身分』を『年齢や役職』に置き換えれば、自分より上の立場の相手に礼節を尽くすのは故郷の日本でも当たり前だった。切り捨て御免でないだけ、この世界の身分社会はそんなに厳しいものではない。
知らないうちにクラーラの言い分を鵜呑みにしていた。洗脳とは言わないが、彼女の価値観に毒されていたようだ。
「ラウロ様とお話ができてよかったです。わたしは高位貴族の考え方を気にしたことがなかったから」
「いえ、サクラ様のお役に立てたなら光栄です」
心なしか、サクラの顔色がよくなったようで、ラウロはほっとした。念の為に早めの休息を勧めて、辞去することにした。
サクラは侍女にお休みくださいと寝室に押し込められたが、休む気にはなれなかった。ラウロの話が気になって仕方がない。
クラーラとは友人を装った協力者だが、ラウロの言う通り、嘘や誤魔化す相手は信用できない。
彼女との関係は見つめ直したほうがいいだろう。
サクラは難しい顔をしてずっと考え込んでいた。




