色当て
学生証と青年の顔を交互に見る。間違いない、本人のものだ。
「だけど、あなたがあたしの知っているハストちゃんだと決まったわけじゃない」
そっぽを向きながら呟く。
「それを言われたらどうしようもないよ」
困惑の声が背中にちょこんと飛び乗ってくる。
「まぁまぁまぁ」
おばあさんはクスクス笑いながら、あたしたちの空いている手同士を繋いできた。
「え、ちょっ」
あたしは人生で初めて、手を繋いだ。
「友達なんだったら仲良くせんとねぇ」
おばあさんはニヤついたまま、あたしたちの背中を押してくる。
「私の家は信号を渡ってすぐのところだから」
十分とかからないその距離を、どうしてこの青年と手を繋ぎながら進まないといけないのか、あたしには理解できない。
「僕はこうして、アリスと仲良くしたかった」
地面に転がる小石を蹴っていると、青年が独り言のように呟き始めた。
「あの時の僕はアリスのことを理解しようとしてなかった。施設を離れる日、アリスが僕に抱いてくれていた気持ちに気づいたんだ」
蹴っていた小石が側溝に落ちてしまった。
「だからこうして再会できて、僕の名前を覚えててくれてとても嬉しかったんだよ?」
近くにちょうどいいサイズの石を探すも、どこにも見つからない。
「ねぇ、聞いてる?」
左手に力が加わるのを感じる。
「聞いてるけど」
自分でも何に煩わしさを抱いているのかわからないが、あたしが発する言葉にはどれも毒が含まれている。
「他に何を見せれば僕が"ハストちゃん"だって信じてくれるのさ」
毒の含んだ言葉を耳にした青年は、頬を膨らませて悔しそうな表情を浮かべている。
「ハストちゃんは、女の子」
悔しさをあらぬ方向へ跳ね飛ばすように、あたしはそう答えた。
「……アリスもそうやって僕のことをからかうんだ」
大粒の言葉が飛んできて、あたしは視線を青年の方へ勢いよく向ける。
「学ラン着てるじゃん!僕は男の子だよ!身長は小さいし、まつ毛は長いし、性格は控えめだけど、ちゃ、ちゃんとついてるし!」
青年は自らの股間をポンっ!と叩き、一人でに悶絶し出した。
「何してんの」
冷ややかな目で見つめるあたしとは裏腹に、おばあさんは青年の背中をさすっている。
「僕の、苗字は後藤に変わったけど、心にはずっと佐藤としての、過去の自分も生きてるんだよ」
あたしの口から"佐藤"という言葉は出していない。
ハストちゃんの苗字である"佐藤"のことを知っているということは、本当に本人なのかもしれない。
「じゃあ、」
あたしは数メートル先にそびえ立つ信号を指差す。
「あたしたちがあそこに辿り着いた時の信号の色を当てられたら信じてあげる」
本心では目の前にいる人物がハストちゃんであることがわかっているのかもしれない。
けれど、それを素直に受け入れられる寛大な自分がどこにもいない。
そんな自分を探すための時間稼ぎとして、信号当てゲームを持ちかけたのだ。
「もちろん、青だ」
青年は自信満々に答えるも、どうしてその答えを選んだのか理解できない。
目の前にある信号は押しボタン式のもので、周囲にも、その奥にも歩行者は誰一人としていない。
つまり、このまま進んでいけば信号は赤の状態であたしたちを迎えることになる。
あたしが答える立場なら間違いなく赤を選ぶ。それなのに青年は、青を選んだのだ。
「お嬢ちゃん、勝負師やねぇ」
おばあさんが咳を一つしてから、メラメラとした声を青年にかける。
「僕はこれでも、男ですから」
青年がそう返すと、おばあさんは目をまん丸にしたまま数秒間固まってしまった。
風が頬のすぐ横を通り過ぎたのを合図に、あたしたちは歩き出す。信号が何色を示すのか知るために。
近づいても近づいても、信号の色が変わる気配はない。
あたしは視線だけを青年へと向ける。
──焦りすぎでしょ!
青年は歯をガタガタと音が鳴るほど震わせていた。
「男ならもっと堂々としてればいいのに!」
耐えかねて声をかける。
「……へ?なんだって?」
あたしの声を受信できないほどに焦ってやがる。
だったら尚更赤を選んでおけばよかったのに、どうして青だと言い出したんだろう。
正直なところ、彼がハストちゃんかどうかは二の次になってしまっている。今は彼がどうして青を選んだのか、ただそれだけが頭の中で引っかかっている。
「ほら、行くよ」
止まった足を再び動かす。
一度離れてしまったものの、あたしたちの手は自然と繋がれていた。
右手が空いていないのに、左手が空いてるのが不自然だったのか、今のこの状態がとてもしっくりくる。
「うん」
青年はあたしに引っ張られるように、一歩ずつ踏み出している。
「もし、赤のままだったら」
波線のような弱々しい声を、あたしの耳が受け取った。
「結果はあと少しでわかるんだから!弱気になんないでよね!」
波線をジグザグ線に変えて喝を入れる。
「……わ、わかった!」
今度は青年があたしの手を引っ張るように歩き出した。
あたしは負けじと急いで横に並ぶ。
未だ信号は赤のままだ。
おばあさんはワクワクした表情で、あたしたちの後ろにくっついている。
閑散とした住宅街に、年の瀬を報せるかのような冷たい風が吹いている。
防寒具を身につけてこなかったことを後悔していると、信号機はどんどん視界を埋めていく。
──ほら、赤のまんまじゃん。
あたしは自慢気に青年の方へ顔を向けると、彼は、笑っていた。
「僕の勝ちだね」
青年は焦り二割、安堵八割の割合の笑顔を浮かべながら言ってきた。
その言葉を耳にして、まさかと思いながら信号の方へ視線を戻す。
信号の色は、青に変わっていた。




