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真っ白

 真っ暗な世界に、三本筋の光が差し込む。

 あたしは今、保健室の掃除用具入れの中から外の様子を窺っている。


「ここには誰も来てませんから」


 保健室の先生と体育教師が言葉を交えている。


「確かにここに入ったのを見たんですけど」


 体育教師がやや押され気味か。頑張れ、保健室の先生。


「しつこいとセクハラで訴えますよ?」


 その言葉がトドメだったようで、体育教師は頭をボリボリと掻きながら保健室から出て行った。


「高くつくわよ?」


 頃合いを見計らって用具入れから身体を解放する。

 冬なのに日差しが強く、窓ガラスから照らされる陽の光に目がやられる。


「太陽、嫌い?」


 目を細めていたあたしに、保健室の先生が尋ねてくる。


「太陽は、好き、かもしれない」


 太陽は勝手に昇るのに、ハストちゃんは勝手に戻ってくることはない。今のところは。

 あたしがあの施設で生活している最大の理由は、ハストちゃんが帰ってくるかもしれないという僅かながらの期待を抱いているからだ。

 そんなものがなければとっくの昔にあたしは天国……いや、地獄に向かっていただろう。


「そう、私は好きじゃないわ」


 保健室の先生が回転する椅子をポンポンと叩く。


「いつまでも立ってないで座んなさいな」


 回転する椅子の方に向かって一歩踏み出すと、今までとは打って変わって、足取りが軽く感じた。


「どうかした?」


 あたしは首を振りながら回転する椅子に腰を下ろす。


「どうして太陽嫌いなの?」


 興味津々の瞳を向けながら尋ねる。


「それが原因よ」


 先生は顔を背けながら、あたしの瞳に指を差してきた。


「……目?」


 先生は勢いよく腕を下ろす。


「そう。だからその目、やめてちょうだい」


 その目をやめろと言われても、どうしたらいいのかわからない。


「……そっちの方がマシね」


 とりあえず、目を瞑ってみた。こうすれば瞳が先生の視界に映り込むことはないだろう。


「どうしてあたしの目が嫌いなの?」


 瞼を下ろしたまま尋ねる。


「あなたの目が嫌いなんじゃない。キラキラしたものが嫌いなのよ」


 キラキラしたものが嫌いなのに、学校の先生になってるのは矛盾してるってあたし思うの。


「目、開けていい?」


 念のため確認をとっておく。


「好きにしていいよ。眩しいものが嫌いなだけで、あなたが目を開けてダメな理由にはならないから」


 あたしはゆっくり、そーっと瞼を持ち上げる。


「……どこ見てんの、それ」


 あたしは幼い頃から変な特技を身につけることができた。

 例えば、顔を一回転させたり、指の関節をバラバラにできたり、知らぬ間に本が体にくっついていたり。

 小学校高学年あたりから自分は周りとは違うっぽいと感じ始め、中学入学と同時にそれは確信へと変わった。


「廊下と運動場」


 あたしは黒目をそれぞれ外側に向かせている。


「ちゃんと見えてるの?」


 黒目を先生の方に向けてから頷く。


「キモっ」


 素直すぎる感想が飛んできた。


「ひどいじゃん」


 咄嗟に泣くフリをする。


「あ、そうそう、ベッドの上に着替え置いといたから着替えなさい」


 先生は思い出したかのように、話題をすり替える。

 そういえば、制服が濡れていることをすっかり忘れていた。


「覗かないでよね」


 言いながら、カーテンを素早く閉める。


「絶対にね」


 顔だけ覗かせて、念を入れるように言葉を飛ばす。

 濡れた制服は肌に密着していて脱ぎにくい。それから気持ちが悪い。

 あたしも犬や猫みたいに体を震わせるだけで水分を飛ばせるようにならないかな。

 結局、先生は着替えを覗いて来なかった。


「先生って真面目なんだね」


 濡れた制服をハンガーにかけながら、背中で話す。


「真面目じゃないと先生になれないからね」


 至極真っ当な答えが背中に突き刺さる。


「あたしも、先生になれるかな」


 深い意図はなかった。会話の流れでつい口に出てしまった。


「なれるわけないでしょ。いじめてばかりのあなたが」


 先生と話すことで薄れていた"孤独"が濃くなっていく。


「そんでもって、やってきたことが自分に返ってきたから保健室に逃げ込んできたって、都合が良すぎると思うけどね」


 息が荒くなっていく。

 鼓動が速くなっていく。

 目の前の孤独を追いかけていたはずなのに、背後から孤独を纏った孤独が迫ってきている。


「噂は勝手に広がるものだし、転校しても、学校辞めても居場所はないかもね」


 逃げなきゃ。自由になるって決めたんだ。逃げれば自由を掴み取れるんだ。


「あれ、大丈夫?黙っちゃったけど」


 大丈夫。そう、あたしは大丈夫。大丈夫だから、大丈夫。大丈夫だと信じて、笑っていればいい。


「だ、大丈夫だけど、何か?」


 先生は、あの人と同じような顔をしていた。


「死にたいと思ってるのに大丈夫って、素直じゃなさすぎるでしょ」


 ……死にたいと思ってるって、あたしが?


「今、誰の話してるの?」


 尋ねると、先生はあたしに指を差してきた。


「いや、私が死にたいなんて、思ってなくはないけど、少なくとも今のあなたよりかは精神状態安定してるわよ」


 あたしは今、死にたいって思ってるんだ。


「死んだら、どうなるの?」


 先生はため息をつきながら、あたしがハンガーに雑にかけた制服を伸ばす。


「冷たくなるのよ」


 先生はその後に何か言葉を付け加えたが、あたしの耳には入ってこなかった。

 冷たくなる、それはあたしが最も望んでいないこと。

 あたしは温かくなりたい。家族を見つけて、温かくなりたい。

 友達がそばにいないあたしはちっとも楽しくない。楽しくなりたいから、みんなにちょっかいをかけた。

 でも、それは間違ってた。友達ができれば、家族もできるもんだと思ってた。

 それも間違ってた。あたしが歩んできた人生は、間違いしかなかったみたい。


「ハストちゃん……」


 会いたくなって、声を漏らしてしまった。


「これからどうする?」


 眩しい太陽をバックに、先生はあたしを見下ろしている。


「これから……」


 自由になりたい。友達が欲しい。楽しくなりたい。家族が欲しい。幸せになりたい。ハストちゃんに会いたい。


「死にたい、です」


 思ってもないことが口から飛び出て、一番に驚いてしまった。


「罪を犯しました。迷惑をかけてきました。あたしなんて生きてちゃいけません。死んだ方がマシです。助けてください殺してください見捨ててください楽にさせてください」


 肺から空気が完全になくなるまで一気に言葉として吐き出した。自分の意思に背くように。


「何……これ」


 見つめる両手には、何粒かの滴が垂れている。


「雨?」


 そんなわけはない。ここは室内だ。雨漏れもしていないし、今日は一日中晴れの予報だ。


「そう、雨ね」


 先生はカーテンを閉め、太陽を遮る。


「どう、気分は?」


 どうして泣いてるかもわからないし、何をしてたのか、何を考えていたのか、何に畏れていたのかも、うまく思い出せずにいる。


「真っ白」


 あたしはそのままを答えた。


「あなたの人生はあなたのものよ。良いか悪いか、人生の結果がわかるのは死んでから。それまでは自由に生きなさい。闇を追うんじゃなくて、光を追う方が最高に楽しいわよ」


 涙が止まらなくなり、次から次へと両手から溢れ落ちていく。

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