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ヒロイン

 監獄はまだまだ奥に続き、目的地にはまだ着きそうにないため、先ほどの謎の音について少し考えてみようと思う。

 そもそもどんな音なのか、私にはわかっていない。その音はワタガシにだけ届いていた。

 私とワタガシとの違いは、完全AIであるか否かである。

 私の耳は人間のもので、ワタガシの耳は元は人間のものではあるものの、AIとしての機能を備えていれば高性能なものになっているはずだ。

 何の音もしないこの空間でなら、小さな音だとしても私も違和感を抱くくらいはできるだろうから、大きさの問題ではないと考える。

 おそらく、音の高さが関わってくる。人間の耳では判別できない音。そう、モスキート音や超音波の類いだと、私は勘繰っている。


「どんな音が聞こえたの?」


 答えてくれないと思いつつも、前方を歩くワタガシに尋ねてみる。


「もうすぐ着くぞ」


 返ってきたものは質問の回答ではなかった。つまり、答える気はないということだ。

 高音が聞こえてきたとして、その音は一体誰が何のために発したのだろうか。

 私に向けてのものなら、聞こえない音を用いるわけないし、ワタガシに向けてのものならワタガシにもわかるよう伝えるはず。

 私たちのどちらも的確に受け取ることのできない音を発した目的が全くわからない。そのため、誰が発したのかの予測すら立てられない。


「え、今もうすぐ着くって言った?」


 質問の回答ではないことしか認識していなかったから、ワタガシが何と言ったのかは遅れて頭に入ってきた。


「お前の耳はクソが詰まってるんじゃないか?」


 これでも私、女の子なんですけど?


「少しはレディに対する言葉遣いを覚えたらどう?」

「れ、れでぃ……人間の言葉は難しいな」

「都合良くAI振るのは逆に人間らしすぎるわよ」


 ワタガシは綿加シドウに操られていた時から人間と接する機会はあったはず。その際にこういった冗談や言葉の使い回しを学んだのだろう。

 つまるところ、操られていた時から自我は芽生えていたということになる。


「もうすぐ着きそうって割には、まだ真っ暗な道が続いてるように見えるけど?」


 私の目には全く景色の変わらない道が延々と続いているようにしか見えない。


「お前は目にもク……おクソが詰まってるのか」

「文字の頭に"お"をつければなんだって丁寧語になると思ってるでしょ」


 ワタガシは少し間を開けてから口を開く。


「ここだ」


 ワタガシは急に立ち止まり、すぐ右にある牢獄の方へ体を向ける。


「……また私を閉じ込める気?」


 ワタガシの視線が斜め上を向く。


「言い方を変えればそうとも言えるな」


 私は一歩引き下がる。


「私からは逃げられんぞ」


 ワタガシは咄嗟に私の背後に回ってきた。


「大きい体の割に俊敏なのね」


 ワタガシが牢獄の中を指差す。


「この中は教室となっている」


 「教室?」と聞き返すと、ワタガシは牢獄の鍵を開け、中へ入っていく。


「さぁ、お前も入れ」


 おそるおそる牢獄内に足を踏み入れると、ジメッとした空間に椅子と机が散乱した状態で置かれている。


「ここが、教室?」


 椅子と机があるだけで、とても教室とは思えない。

 椅子や机だって学校で見るような木製のものではなく、鉄で製造されたであろう、硬くて重そうなものである。


「私たちの世界はこの空間から始めようと思っている。お前はやっていたんだろう?先生というやつを」


 あー、なるほど、そういうことね、はいはい。


「あのね、勘違いしちゃってるようだけど、私は先生でも教える先生じゃなくて癒す先生なの。さすがにそういうところはAIかぁ……ま、仕方ないよね!」


 私のことを「学校の先生」としてワタガシの間で情報のやり取りが行われていたとしたら、教える側の人間だと認識するのは当たり前の話だ。

 私は授業なんて開いたこともないし、知識は十年以上も昔に置いてきた。

 試験に受かれば、勉強してきたことを全て忘れてしまうなんて当たり前のことよね。


「だから?」


 ワタガシは険しい表情で言う。


「だから……だから?いや、だから、私は何かを教えられる人間じゃないんだって」

「そんなことは関係ない。今から教えられる側の人間になればいい。そもそも私たちは人間ではない。お前はAIにすら教えることもできないのか?」


 ピッキーン……


「そういう感じでくるんだ。わかった、わかったわよ。やってやろうじゃないの」


 と、ワタガシが私にしてもらいたいことが明確にわかったところで、これ以上ワタガシに付き添う必要はなくなった。


「ここで少し待っててくれ。何人かAIを連れてくる」


 ワタガシがこの教室から出ていくことは、私を閉じ込めることを意味すると考えた私はワタガシを必死に止める必要がある。


「ちょっと待って!まだ、まだ聞きたいことがあるのよ!」


 閉じ込められてしまったら、アルタイルが目を覚ましたり、何か他の方法でヤイチたちの元に向かえる手立てが生まれたりしても、何も動くことができなくなってしまう。


「手短かに頼むぞ」


 特に聞きたいことなんてないため、私とワタガシの間にはいくつもの静寂が往復している。


「なんだ?何もないのか?」

「ある!あるわ!今頭の中で整理してるところだから!」


 アルタイルぅ……早く起きて、起きてよぉ……


「私が戻ってきてから話を聞こう。時間を無駄に浪費したくない」

「あっ……!」


 ワタガシが教室から出て、扉を閉める。


「鍵は閉めておくぞ。逃げ出さないようにな」


 ワタガシは自身の指を鍵穴に差し込み、捻ろうとするのだが、


「……誰だ?」


 何かの気配を察知したのか、鍵穴から指を引っこ抜いた。


「どうかしたの?」


 私にはワタガシが誰に対して声をかけたのか理解できていない。


「私たちは、二人きりで歩いてきたよな?」


 ワタガシからの問いに、首を縦に振って答える。


「……私のこと疑ってる?」


 ワタガシは何の反応も示さず、私に背中を向ける。


「コソコソとするくらいなら出てきたらどうだ」


 ワタガシがそう言うも、何かが姿を現すことはない。


「さすがに気のせいでは済ませられん。確かに感じた人の……いや、神の気配。いるなら出てこい」


 すると、全く音を立てることなく、ワタガシの背後に人影が突然現れた。


「おっかさんを解放して。話はそれから」


 ふんわりとなびく金髪を目の当たりにして、私の鼓動は波打たされた。

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