わたしの永遠の故郷をさがして第二部 第二十九章
ダレルは極秘で打ち上げた軍事衛星との通信にやっきになっていた。
ソーには強気で言ったが、作業車一台と天井に乗っかった、おそらくブリューリだけを、うまく異空間をすべらせて、自分の秘密研究所(秘密と言っても周囲から見えているが)の密閉室の中に落っことすというのは、王立撞球場にある、「賞品」を小さなクレーンでつまみあげて、出口にまで持ってゆくゲームより難しい。
引き換えになっている時間だけはどんどん減ってゆく。
ソーは、しかし冷静に天井の上の見えていない物体とにらめっこをしている。
相手は、職場の休憩時間に昼寝をしている王宮の職員のように動かない。
天井から追い払うだけなら、高圧電流を車体に流してやるとかすれば、できるかもしれない。
しかし、ダレルは、あきらかにサンプルを欲しがっている。
絶好のチャンスなわけだ。
それにしても、なんでこいつはじっとここを狙って動かないのだろうか。
何かの意図があるのか?
見た目は怪物だが、元はおそらく人間だ。
飛行作業車の構造も知っている人間と言えば、範囲は限定されてくる。
知人かもしれない。
通信ができれば、ある程度の特定は、すぐできるかもしれない。
「あと、10分ですよ。」
ソーが、後ろに言った。
「了解。」
返事が返ってきた。
ダレルは、小さな声で空間に話しかけていた。
「アーニー、聞いてるのかな。」
返事がない。
「もしもし、アーニー君、助けてくれないかな。」
返事がない。
「やれやれ、自分の都合でしか応答しないか・・・。まあ、女王の僕だもんな。くそ、うまく調整できないな。これが限界か。範囲を広げたらできるが、それじゃあ研究所を押しつぶしてしまう。もう少し研究出来たら、もっとうまくできるだろうに。」
「息苦しくなってきましたよ。開放しませんか。」
「相手は?」
「まだ、余裕で待ってますよ。僕が食べられてる間に逃げませんか?」
「外に出たら、どっちが先に襲われるかは分からない。」
「そりゃあぼくが、一歩先に出ればよい事です。」
「うまくゆく保証がないし、第一君を犠牲にできない。」
「はあ、でも窒息したらばからしいですよ。」
「そうだね、まあ、それもいいさ。女王様が勲章をくれるさ。」
「まさか、ごほごほ・・・・。」
「くそ、時間切れか・・・。」
『調整完了。移動開始。』
突然アーニーの声がして、空中作業車は消滅した。
「さて、東京見物はこれでおしまい。いよいよ、王国に行かなくては。」
「あの、女王様、とお呼びしてよろしいですか。」
姿の違うリリカが言った。
「まあ、街中ではいやよ。」
美術館側にある、駅ビルの中の「食堂・喫茶店」だ。
「すみません。でも、ずっとこの体のままでは、このご本人にも迷惑が掛かるでしょう?」
「あなたらしいわね。そうね、そろそろ返してあげましょうか。いい、わたくしは、いま、地球のタルレジャ王国の第一王女です。そうして、このあとついに地球侵略を開始します。大きな声では言えないけれどね。今夜わたくしは妹と、そこのホールで演奏会があります。なので、もう、一旦おうちに帰らなければなりません。私の本体には、すでに私の分身が移動して支配しています。でも、美味しい場面を分身に取られるの嫌だものね。」
「じょ・・、いえ、ヘレナ様は同時に多数の人間を支配できることは知っております。」
「多数じゃないわ、無数よ。」
「ああ、はい、すみません。でも、わたしは、どうすればよいのですか?」
「大丈夫。わたくしの身の回りの世話をする女官の体に入れてあげるから。いやでも、わたくしに同行することになる。まあ、多少ごたごたはあるでしょうが、間もなくタルレジャ王国に行くことになるわ。そこで、ブリューリ退治の特効薬を差し上げます。作り方も一緒にね。そのあと、火星に帰りなさい。ただし、ちょっと昔のをあげます。現在の薬は、今の地球人に悪影響が出ないように工夫しているけれど、このままではあなたの時代の火星人に、ちょっと良くない成分が含まれているから、少し昔のをあげるの。あとは自分で研究なさい。」
「どうやって、昔に帰るのですか?」
「前も言ったけれど、地球の未来人が、良い乗り物を持ってきてくれてるの。そいつを、私の作った地下高速移動網に紛れ込ませているの。まあ、ほってたけどね。うまい具合に今回手に入ったから、ちょっと手を加えて活用しましょう。火星に行くルートも作っているようだから。で、その技術もいただいて、少し未来にはね、乗り物なんか使わない、空間トンネルを張り巡らせるつもりなの。つまりどの時間や空間をも、自由に歩いたり自転車乗ったり、その他いろんなやり方で自由に移動可能になる。火星にだってすぐ行けるようになる。過去も未来も、その限りでは関係なくなる。少し未来の私が、それを作ればね。今のこの時代でも、もちろん使えるようになる。でも、まだ、このわたくしが作っていないから使えない。もし、ここに未来のわたくしがいたら、使うことができる。しかし、使える人は限定される。それ以外の人には、全く関係性がない。その関係を作れるのは、当面、未来のわたくしだけ。わたくしは未来の私じゃあないから、使えない。」
「ううん。たぶん、あり得ないように思います。」
「そう? 試してみる?」
「え?どういうことですか?」
「未来のわたくしに、来てもらえばいいことなの。」
「そんなことできるのですか?」
「簡単。すぐにここに来てって、伝言版に書けばいいの。それだけ。ただ伝言板の場所は決まってる。廃棄されたりはしにくい場所を決めてる。向こうが見てくれさえすればいい。そう、その方法で、火星に帰りますか?この場合、歩いて帰ることになる。でも、いくら歩いても時間は同じよ。」
「あの、乗り物のほうが良いです。」
「そう、じゃあ、そうしましょう。あなたやはり素直ね。本当に歩くつもりだった?」
「女王様の性格は、ある程度わかっておりますから。」
「あらま。いいわ、じゃあこの体とはここでお別れ。帰りましょう。」
二人は、精神だけになって人間の体から脱出した。
残された二人は、少し可哀そうな気が、リリカの精神はしていた。
空中作業車は、ダレルの研究所内の大きな隔離室に放り込まれていた。
「こんなことができるんだったら、最初から協力しろよな。」
ダレルは、アーニーに文句を言ったつもりだった。
「え、なんですか?あなたがやったのでしょうに。」
ソーが不審げに言った。
「ごめん、君じゃない。アーニーさ。やったのは、ぼくじゃない。」
「はあ?」
「まあ、ここに来れば、こっちのほうが有利だ。とにかく、空気を注入しよう。」
いくつかのパイプが周囲から伸びてきて、作業車に連結された。
車の上からは、頑丈だが透明なケースが高速で作業車の天井に張り付き、内部の物体を吸入して蓋が閉じた。
さすがのブリューリも、不意を突かれたらしく、あっさりとケースに閉じ込められてしまった。
「いやいや、ほらこれだよ。気味悪いなあ。」
「これが、ブリューリですか。粘性の高いジュースみたいだ。」
「固形化もするし、ゲル状にもなるのだろう。人間にも、どんな動物にもなるようだ。ただし、多分こいつはもともと人間だがな。しかし、詳しい事は、何もわかっていない。徹底的に調べてやる。いいかい、ソー、誰がいなくなってるか、ちゃんと確認してくれよ。最後まで残ったのが、こいつだからね。もっとも、先に自分から正体を現すかな。まあ、どのみち、ブリューリ様を捕獲するのは違法だから、内証にしてくれ給えよ。」
「嬢ちゃんが、消えたらしい、って?」
マ・オ・ドクが、デラベラリに言った。
「そのようですな。わが方の情報網も、少し混乱しているが、女王の姿が消えていることは確かなようですな。」
「ふうん。」
「昨晩、第一大陸の巨大食糧倉庫で事故が起こったことは間違いないですな。ほら、これ映像です。」
「ううっむ。吹っ飛んだのか。」
「そうですが、これは普通の爆発じゃあないでしょう。跡形もなく消えてる。残骸もない。きれいさっぱり消滅ですな。女王の大好きな、アイスクリームをほじくったように。しかも、これですな。わが方のスパイ衛星からの映像で、ちょっと角度が悪くて、しかも遠いですが、ほら、これですな。」
「なんだか、レーザーのようなものが一瞬走ったか。」
「そう、一瞬、ですな。スローにします。ほら。」
「ここには、何かあるのか?」
「ええ、見えてないですが、軍事衛星と思われるものがあります。」
「分子崩壊銃とかで、消滅させた、とか。」
「まあ、しかしものすごいエネルギーが必要ですな。このくらいの小さな衛星では無理でしょう。」
「ふうん。じゃあ、何?」
「転送させた、のかも。」
「転送? 女王の大嫌いな?」
「まあ、そうです。ちょっと、まだ良くはわからないですな。しかし、ほら、時間進めますよ。ほらこれです。」
「うん?」
「ここですよ、拡大しますね。この少し後、一時間ほどね、の時間です。ここ。何か光ったでしょう、小さいですが。」
「確かに。」
「同じ場所すが、ほんの小さな反応ですな。肉眼では確認できないくらい。でも、何かが再び起こった。」
「ふうん。」
「いずれ、問題はまず、この大きい反応ですな。何かが宇宙空間に飛び出していないか確認しています。」
「よろしく頼むよ。嬢ちゃんに何かあったら、大変だ。」
松村弘子と道子、双子の姉妹の演奏会は、大勢のファンが詰めかけていて、大盛況だった。
リリカの精神は、こんどは、この二人の御付きの女官に乗り移っていた。
こと音楽に関する限り、地球人の能力は、この時点ですでに火星人を超えていることは明らかだ。
あえて言えば、火星人は芸術としての音楽には、あまり深い興味がなかった。
音楽は、非常に実用的な、道具の一つだから。
これは、しかし興味深い事だ。
地球人の関心は、こうした抽象的な方向にも限りなく伸びているということだ。
リリカの精神は、タルレジャ王国で、また別の側面も見る事になるが。
ところが、この演奏会を境にして、事態は急激に動き出した。
演奏会の途中で、リリカ率いる火星人たちが、地球の侵略に乗り出したのだった。
リリカの精神は、事件の初めからの様子を、控室のテレビで見ていた。
彼女は、テレビの映像の中に、なつかしい自分の姿を見た。
ニ億年を超えて。
『火星のリリカ』は、地球人たちに『無条件降伏』の勧告を行ったのだった。