わたしの永遠の故郷をさがして第二部 第二十七章
『一億年』などという時間は、一人の人間にとって、いったいどんな時間なのだろうか。
正当性のある記録の限りにおいて、一億年を実際に生きて過ごした個人としての人間は、まずいないだろう。
しかし、リリカの精神は実質一億年にあたる時間を経験した。
肉体がないから、生きていたとは言えないかもしれないが。
ところが、偶然同行することになった、自称「弘子」は、こう言った。
「一億年なんて、すぐよ。」
確かに、過ぎ去れば、それはそれだけのことになる。
「見えた。ほら現実との境目。いい、チャンスは一回。しかっりつかまってなさい。」
リリカの精神にも、何だかよくは分からないが、ある種の亀裂のようなものが見えている。
二人の精神は、その裂け目に向かって突っ込んでいった。
まるで大気圏内に、宇宙船なしで突っ込んでゆくような感じ。
リリカは、猛烈な力に自分のすべてが引き裂かれるように感じ、それから「ぽん」とどこかに開放された。
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「さて、ここはどこかな? ああ、幸子さんのお城ね。いい、わたくしたちは今、人間には見えないの。わたくしは、でも人間に話しかけることができるわ。あなたは、わたくしにくっついていなさい。行方不明になんかならないでね。私が見えてるかな?」
見える、確かに弘子が見えている。
やや薄い褐色の肌が、きらきら輝いているように見える。
長い髪も、不思議なほどの神秘的な微笑みを浮かべた口元も、大きな胸も、引き締まった腰から美しい足まで。
薄い、ほとんど透き通った様なベールを、まとっているだけに見える。
「はい、あの、確かに見えていますけど・・・あの・・・」
「オーケー。けっこう、あなたに見せるだけで、大きな物理的なエネルギーがいるのよ。現実には存在しない、わたくしなのに。」
「え?え?」
「まあいいじゃない。さあ、皆さんにご挨拶しましょう。まだあなたには、人間に乗り移る能力は与えられていない。あなたはわたくしとは全く違う、ある存在なの。でも、よく似てもいる。まあ、そこで見てなさい。あまりふらふらしないでね。探すのめんどくさいから。」
「はあ、はい。」
二人が出現したのは、『不思議が池の幸子さん』の寝室だった。
リリカの時代から二億五千万年は向こうの、未来の地球。
「弘子」は、同じように人間には見えない「リリカ」の精神とともに、隣の部屋の中に入って行った。
そこには、二人の女性・・・ひとりは「弘子」と瓜二つの少女の姿の、もう一人は、少し年上の妖しい美しさに満ちた女性・・・これは人間だろうか?・・・がいて、それから、さらに非常に強そうな成人の男性がいた。
「見えない」弘子は、彼女とまったく同じ姿の少女の中に、すーっと入っていった。
乗り移ると言うのは、まさにこういう事、という見本のような光景だった。
乗り移られた少女の表情が、ほんの少しだけ変化した。
「幸子さん、分かりませんか、わたくしが・・・。」
「え?」
問いかけられた、妖しい雰囲気の女性がびっくりして言った。
「聞いているのです。答えなさい。幸子さん、わたくしが、分からないのですか?」
「え、その調子は、まさか、女王様・・・・・ですか?」
幸子さんと呼ばれた、その何か人間離れしている雰囲気の女性が、慌てたように答えた。
「その通りです。私は、女王ヘレナです・・・。」
『やはり、ヘレナ女王だったのか。まあ、当り前だけれどな。』
リリカの精神は、ようやく納得した様に感じた。
『でも、私の時代の女王じゃないのだろう。遥か未来の女王陛下。つまり、火星の未来がすべてわ かっている、女王陛下か。』
ヘレナ女王は、今度は、もう一人の男に向かって話しかけた。
「副所長様、お久しぶりですね。五千年ぶり、ですか。すこし変ですが。しかし・・・」
「しかし?」
男は不審そうに尋ねた。
「わたくしにとっては、二億年以上経過してしまいましたけれど。」
「二億年?ばかな。いい加減にしろ。まったく姉妹そろって・・・・」
その男は怒鳴り散らしていた。
無理もない。
リリカの精神とて、こうして経験してきていなかったら、そう言うだろう。
「なんで、じゃあ、おまえがここにいる。今まで何処にいた?」
「確かに、わたしは、あなたの目の前で殺されました。今から五千年後にね。体は、ですけれど。私の本体は・・・、迂闊にも次元の隙間にはまり込んでしまいました。勢いよくね。それで、元のこの空間に戻れなくなってしまった。・・・ちょっと考えてなかったです。人間に、こんなことが可能だとは。さすが、でしたね。」
「じゃあ、その、実際に女王様を殺した、いえ、殺そうとした、かな、という『さすが』の犯人は、誰なんですか?」
妖しい女が尋ねている。
「ほら、ここにいるじゃないの。」
リリカの本体は一瞬ドキッとした。
しかし、指さされたのは、女王が乗り移っている少女自身だった。
「え?」
妖しい女が理解できないようにつぶやいた。
「ほら。ここ。」
女王は、自分の顔のあたりを、指さしていた。
「ええー。じゃ犯人は・・・・」
「そう、この子よ・・・・」
女王は、リリカの精神が知らない遠い未来の話をした。
どうやら女王様は、未来の地球でこの姿の双子の少女に乗り移っていたらしい。
そうして、未来の地球を支配していたのだろう。
それは、リリカ(精神)にはよくわかる。女王様にとって、惑星ひとつを支配することなど、簡単な事だ。
しかし、双子の妹が、女王様の独裁に反発した。そう、ダレルや、自分のように・・・。
それから、この時代からさらに五千年後に、その妹は策を図って、女王様を殺し、その本体は次元の隙間に追放された。
長い長い時間をさまよっていた女王様の本体は、やがて、やはり同じように次元の隙間に転落していたリリカの精神に、奇跡的に出会った。
「・・・・・まあ、でもおかげで、わたしは、地球征服のやり方を、変えることにするわ。地球も、火星も、太陽系全体も、直接支配するのは、妹や『リリカ様』たちに任せることにする・・・・」
『え? なぜそこに『リリカ』が出てくるの? それは私の事?』」
「そうすれば、幻想の未来は、すべてひっくり返るってわけね・・・・。」
『幻想の未来? これは幻想なの? それとも本当の未来?』
リリカの精神は、少し混乱してきていた。
「そうそう、幸子さんがお望みならば、この方を差し上げますよ。最高の夫にも、僕にもなりますよ。」
「ええー。びっくり。もう、あり得ない。すごーい。」
妖しい女が飛び上がって喜んだ。
男が大きな声で怒鳴った。
「この化け物め。汚らわしい・・・。独裁だって、地球支配だって? 冗談じゃない。まともじゃない。あきらかに、どうかしている。」
ヘレナ本体が・・・妹の体が・・・答えた。
「ありがとう。だから、わたし、そう言われるの、大好きだって、言ったでしょう。それって、もう最高の誉め言葉よって。力のない、愚かな独裁者は、人々を苦しめ、挙句に国を、そうして世界を滅ぼすわ。でも永遠の命を持った、最高に優れた独裁者が、完璧な管理をしたら、世界は本当に平和になるわ・・・。何か反論できますの?。副所長さま。」
「あたりまえだ、人間は、苦労して、苦しみながら民主主義を勝ち取るんだ。与えられるんじゃない。努力するから意味がある。お互いに議論して決めるから価値がある。お互いの立場や、自由や、言論や、小さな弱い命を尊重するから、お互いが大切なんだ・・・」
「でも、一向に平和は達成できないわね。お互いが自分達の理想をぶつけ合っているだけで。このままなら、永遠に無理ね。どこかに間違いがあったのよ。よく考えてごらんなさい・・・。」
『ああ、そうなんだ。結局地球も火星の二の舞を演じようとしているのか。これは、よく本当に考えな くてはいけない状況らしい。女王様は、この時代の地球をよく見て帰れとおっしゃるわけね。』
見えないリリカの精神は、地球人と女王ヘレナのやりとりを、とても興味深く聞いていたのだった。
やがて『副所長』と呼ばれる男が言った。
「この、悪魔め、鬼め、魔女め! いったいおまえの正体は何なんだ?」
『ああ、そうなのね。女王様の正体はここでもなお、謎なわけか。』
「だから、ありがとう、と申し上げておりますのよ。さあ、みんな、あるべき時に帰りましょう!幸子さんもね。話はそこからですわ。」
ヘレナ女王の本体は、ふわっと、妹の体から抜け出した。
そうして、リリカに向かって言った。
「どう、少しは状況がわかったかな?」
「あの、まあ、あまり良くは・・・。」
「そりゃそうよね。じゃあ、これから地球のこの時代を見て回りましょうか。いい、あなたに人間に乗り移る力をあげるわ。ここから出て、適当な体を見つけましょうか。さ、いらっしゃい。」
リリカの精神にだけ見えているヘレナは、彼女を連れて『不思議が池』から飛び出した。
*** ***
「思ったより、王宮は静かね。」
リリカ(複写=アンナ)がつぶやいた。
「ええ、ただ、誰がブリューリ様に変貌したのか、いまどうなっているのか、まだ分からないのですから、気を付けなければ。」
アリーシャが答えた。
王宮の通用門。
門衛の兵士たちには、動揺の色はまったくない。もっとも彼らは、何が起こっても動揺しないように、女王によって精神誘導されている。それはよい事なのだが、異常事態の時には、多少何かしらの緊張感とか雰囲気が出ないと、周囲はさっぱり分からないという逆の問題がある。
「中の様子はどうなのですか?」
リリカ首相が尋ねた。
「特に異常はありません。ただし、王宮内への出入りは禁止されております。首相閣下とアリーシャ様は例外となっております。」
「あ、そう。何があったの?」
「事情は知らされておりません。」
「そう、いいわ、入れて。」
通用門とは言え、巨大な鋼鉄の門が二重に設置されている。
検索機械による、危険物のチェックも行われている。
登録されていない危険物が通過しようとすれば、すぐに止められて厳しくチェックされる。
果物ナイフひとつでも、引っかかるものは確実に引っかかる。
危険物でなくても、そうなり得るものも、すべて検査される。
「ダレル副首相は?」
「外出中です。」
「そう。」
二人は、ゆっくりと門を通過して、王宮の裏側に回った。
「車止め」で下車し、係官が自動車の処理を引き継いだ。
「さて、入りますか。こういうときは、王宮はあまりに大きすぎで、本当に幽霊とか怪物とか、いっぱい出そうよね。」
リリカがささやくように言った。
「はい。確かに。」
アリーシャは、まったくユーモアは感じていなかったらしい。
これはしかし、いつもの事だ。
周辺の広い庭園には、明るい照明があちこちに灯っているので、このあたりは、そんなに暗がりという雰囲気ではなく、上手にライトアップされた観光地と、そんなには違わない。巨大なスケール感が、違うだけだ。
けれども、庭園の奥の方に行けば、暗黒の世界が広がっている。夜間、そこに出入りする人間は、普通いない。ブリューリはよくそこを散歩していたらしい。
女王の命令で、そこに放たれる、何らかの罪を犯した人間が時々あった。
もちろん彼らは、朝になっても、帰ってくることはまずないのだが。
しかし、一人だけ無傷で帰ってきた人間がいた。
ほかならぬ、ダレルだったのだ。
女王は、この時一回だけ、ダレルを窮地に追い込む作戦に出た。
まだ十歳くらいだった生意気なダレルが、思いっきり女王に逆らったのだ。
普通の親ならば、押し入れに入れるところ、女王はブリューリに御仕置を依頼した。
もちろんブリューリと話は出来ていて、最終的には消化しないで、生きたまま開放するつもりだったが、一晩ブリューリの体内で反省させる積りだったらしい。
が、なぜか、彼を、ブリューリは捕まえることさえできずに終わった。
それがどうしてなのか、女王は追及もしなかった。
朝になって、ダレルがあいさつに来た時も、女王はまったく動じなかった。
ブリューリ曰く、「誰もいなかったぞ。」であった。
リリカは、その話を面白可笑しくダレルから何回も聞かされた。
ダレルは、どうやって怪物ブリューリが、周囲を見ているのか考えた。どんな波長でも見えなくなればいいわけだと考えたダレルは、一種の「隠れ蓑」を工作した。
「うまくゆくなんて思わなかったよ。視覚だけじゃなくて、嗅覚や聴覚やテレパシーなんかも効かないような工夫はしたけどね。やり方は秘密。」
リリカは、そのことを思い出していた。
「あのね、ダレルさんは、ブリューリ様を確実に退治するような術は、まだ見つけていないけれど、身を隠す技術はもっているはずなの。」
「はあ、でも、今回、とうとう見つけたのかもしれませんね。」
「だとしたら、もう力ずくでやった訳よね。ご自分の母親も犠牲にして。」
「うまくいったのでしょうか?」
アリーシャは、気になっていたことを尋ねた。
「当然、私も気になってるわよ。わからない。」
「そうですよね。」
二人は、再び門衛の確認を受けて、王宮の中に入った。
がらんとしていて、人間の姿はない。
まあ、夜の王宮の中は、大体こんなものだ。
事務官たちが忙しく働くエリア以外は、ほとんど用がない。
ただし、勿論、厳重な警備は行われている。
あらゆるところが、コンピューターによって監視されてはいる。
「ちょっと、第一警備室に寄ってみましょう。」
リリカが提案した。
「わかりました。」
第一警備室は一階の、もう少し向こう側にある。
広い広い通路を右に曲がる。
それから、左に曲がって、真っすぐ行く・・・
「あら、ここ、ドアが開いてる。閉め忘れかな・・・。」
『広報第三応接室』
リリカは、ふと少しドアが開いたままの、その部屋をのぞいた。
真っ暗・・・
「あ、何か動いたわ。誰かいる?」
用心深くリリカは中に入り、明かりを灯そうとした。
アリーシャも続いた。
バタン、とドアが閉まり、どさっと何かが天井から降ってきた。
冷たい、ゼリーのようなものが、むっちりと、のしかかってきた感触がリリカにあった。
「ああ、リリカ首相。」
アリーシャが叫んで、衝撃銃を撃った。
リリカには、べつに何も衝撃は感じられなかったが、そのむっちりとした感触は、ずるずると後ずさりした。
すぐに明かりが灯った。
銃を構えたアリーシャが天井方向を睨みながら、仁王立ちになっている。
「上です。空気穴から出ました。」
アリーシャが言った。
「ふう。食べられるところだったわね。でも、助かった。ありがとう。」
「いえ、さっぱり銃は効いていなかったようですが。」
「そうね、あなたの声の方が効いたのかも。私がリリカと解って、手を引いた。」
「なるほど、閣僚は食べない、と。」
「まあ、ありがたいような、悔しいようなね。行きましょ。警備室。まだうろついてる。」
「了解。」
二人は第一警備室に急いだ。