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破滅の英雄 ──心を失った亡命王女が触れたもの──  作者: 綾沢恵理子
第2章 旅の途中で

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8、感情のない金色の瞳

 ……あれから三回も季節は巡ったのか。


 そんなことをぼんやりと思い耽っていたからか、ルーク・キャイルノーリンは油断していた。


 しまった、と白い馬を巧みに操りながら心の中で呟く。オオカミがいるこの草原を、日が出ているうちに通り過ぎて、向こうの山の麓にある小さな町アルサー町に行きたいと思っていた。しかし、いろいろと手こずってこんな夕方になってしまった。道に迷うことなくコンパスの示す通りに北に進めば良かったものを。


 ルークはもっと速く走れと言わんばかりに馬の脇腹を足で蹴った。その合図すると、馬のマーラはスピードをさらに上げて走り出した。


 オオカミがよだれのついた舌を出しながら走ってきている。右後方に一匹、左上後方に一匹。こんな場所で馬の足を傷つけられ走れなくなったのでもしたら、オオカミに追いかけ回される夜になるだろう。そうすれば時間の問題。自分ともども夜のオオカミの餌食になってしまう。それだけは避けたい。まだやり残したことがある自分には、こんなところで死ぬわけにはいかない。腰につけた剣と背中につけた小さな盾が揺れるたびに音を立てる。自分の身を守るものがあると少し安心する。


 すると、そのときだった。視界が大きく傾き、気が付いたらルークは草の上に放り出されていた。とっさに受身をとり痛みを感じなかったのは故郷で鍛錬をしたおかげだろう。しかし愛馬のマーラは倒れていた。地面に擦れた足からは血が滲んでいた。


 マーラの近くには小さな岩があった。この岩につまづいた拍子に転けたらしい。あんまりスピードを上げすぎたから、馬も小さな岩があることに気がつかなかったと見える。


 馬のスピードを上げすぎた自分の失態だと反省する間も無く、オオカミが待ってましたとばかりにゆっくりにじり寄ってくる。立とうとしても立ち上がれない馬。オオカミより速く走ることのできない人間。獲物が二つあるように、このオオカミたちには見えるようだ。どちらを先に食べようか、怪しく光る瞳が覗き込んでいる。グルル……とオオカミが喉を鳴らす。


 オオカミが選んだのはまず手前にいたルークだった。ルークは咄嗟に剣と盾を構えた。


 飛びかかり頭を狙ってきたオオカミにルークはタイミングを合わせて剣を大きく振りかざす。

 左からきた一匹目のオオカミはその攻撃から逃れることができず剣の一撃をくらった。オオカミの喉から絞り上げるような声とともに、草の上にぐったりと倒れた。


 もう一方からもオオカミがルークに襲いかかってきた。ルークは焦らず静かに剣を横一線に描く。オオカミの腹に命中し、このオオカミもぐったりと力なく草原に倒れた。


 ふうとルークは息をつく。このくらい簡単に倒せなければ鍛錬した意味がない。故郷では頼りにされていたものだ。オオカミをここで倒さなければ自分が危なかった。なんとか自分に危害がなくて良かった。


 剣の血を拭い、鞘に戻した。


 さて……。


「どうしようか、マーラ」


 マーラにルークは優しく声をかける。


 困ってしまった。馬の足は傷を負ってしまった。倒れた拍子に骨折でもしてしまったかもしれない。ここはだだっ広い草原の真ん中。山の麓にあるアルサー町まで距離はまだある。馬で行けば数時間で行けるものを、一番恐れていた事態が起こってしまった。マーラは痛そうに足を気にしている。骨折しているのか、怪我が深いのか、とても起き上がれそうにない。


「オオカミも出るようなこんな草原の真ん中だ。マーラが動けなくなって……どうしようか」



 シャン、シャン、シャン……。



 ルークは思わず顔をあげた。今音がしたような。


 後ろを振り返ってみると、あっと驚いた。長い金色の髪の毛を靡かせ、白いワンピースの女性が歩いてきている。腰には茶色のベルトが付けられ、銀色の鈴がぶら下がっている。このシャンシャンという音は、この鈴から聞こえるものだろう。女性が歩くたびに音は鳴った。


 女性はルークに近づいてくるものの、硬い無表情を変えない。ルークは何か言おうとした。金色の瞳は輝きもなく夜のように暗く沈んでいて、思わずルークは言葉を失ってしまった。唯一でた言葉は、「あの……」だけだった。そんな声をかけられた女性は興味なさそうにルークの前を通りすぎた。


 倒れたマーラの前で座りこむ。マーラの怪我した足を女性は見た。


「えっと、その、さっきオオカミに襲われて、怪我をしてしまったんです」


 ルークがそう説明する頃には、女性は手のひらをマーラの傷口にかざし手から光を放っていた。マーラの傷口が光だす。みるみるうちに傷が塞いでいく。ルークは目を見張った。


 光が消えるとマーラの傷はどこにも見えなくなった。


 足はもう痛くないのだろう、マーラは立ち上がった。傷を負っていた足を動かし地面を少し掘ってみせた。すっかり大丈夫そうだ。


「魔法……?」


 マーラは女性に鼻を近づけ女性は手で鼻を触ってみせた。……女性は表情一つ変えない。マーラに対しても表情を一切変えない。


 そしてマーラから離れたと思ったら何も言わずに歩き出そうとする。


「待ってください」


 思いきってルークが声をかけると、女性はようやく存在を認めたように振り返った。


 ルークの緑色の瞳と、輝きを失ったような金色の瞳が交差する。


「あの、ありがとうございました。マーラの怪我を治してもらって」


 にこりともしない。ただ見つめるだけ。


「動けなくて困ってたんです。そしてこれからどうしようかって思って」


 女性が固く閉ざしていた口を開けた。

「そうなのですね」

 それだけだった。でもルークはやっと話してくれたと心の中で舞い上がる。


「魔法が使えるなんてすごいですね。僕は使えないのでマーラの傷が治せなくて」


「そうでしたか」


 会話が、続かない。ルークが次の言葉を探していると女性は振り返ろうとした。話は終わり、歩き出そうとしている。


「こんな草原を一人で歩いていたんですか? 危なくないですか? もしよかったら」


 もう一度女性はルークを見た。


「山の麓にあるアルサー町まで、一緒に馬に乗って行きませんか? ほら、その……お礼がしたいんです。一人で歩くより早いし安全だし」


 ルークは女性の興味なさそうな瞳に、断られると思った。でも、恩返ししたいのは事実だ。自分にできることはそれしかないと考えた。


 女性はそこまで考えるそぶりもなく、こう言った。


「いいですよ」


 ルークにとっては思いがけない反応だった。

「本当ですか!?」


 夕日で女性の金色の髪が輝いて見える。思わずルークは息を呑んだ。


「なら一緒に行きましょう」


 名前を呼ぼうとして、まだ何も知らないことに気がつく。


「もしよかったら、お名前をお聞きしてもいいですか? あっ、僕の名前はルークと言います。ルーク・キャイルノーリンです」


 金色の瞳は、輝きがない。失ったのか、元からないのか、ルークにはわからなかった。表情を変えることなく、女性は答えた。


「ラーナです。ただのラーナ」

 ラーナはそれのみを答えた。


「ラーナさんと言うんですね。よろしくお願いします」


 何も反応がない。相手から言葉が返ってくることはなかった。


「えっと、それでは、早速馬に乗りましょう。初めての方だと不安でしょうから、僕が……」

「馬には乗ったことがあります」

「そうなんですか?」

「はい」


 早速マーラに乗り込もうとするラーナを、思わずルークは止めた。


「いけなかったですか?」

「いえ、いいんですけど、手伝いとか……乗ったことがあるから怖くないのかな……」

「では、失礼します。一人で乗れますよ」


 ラーナは手慣れた様子で荷物を避けつつ馬に乗り、ルークが乗る場所もあけた。二人乗りの乗り方をわかっているとは、誰かと乗ったこともあるのかもしれない。ルークは思った。


「僕も乗りますね。早くしないと日が暮れてしまいます」


 ルークはマーラに乗り込む。今までマーラとルークの二人で旅をしてきたから、二人の人間を乗るのはマーラにとって初めてだ。ルークはマーラの首をやさしく撫でた。


「頼むぞ、マーラ」


 ラーナは驚いて声を出すのかと思ったが、全く平気そうだった。やっぱり表情を変える様子はない。今までこの人が驚いている様子も笑っている様子も楽しそうにしている様子も一度も見なかった。馬に二人で乗ると、ラーナとの距離が近い。ルークはマーラの手綱操作に集中しなければと自分に鞭を打った。ラーナに気を取られてはならない。


「ラーナさん、振り落とされないように、僕の背中に捕まってください」


 返事がない。ルークはとあることに気がついて後悔した。


「すみません、まだ出会ってちょっとも経ってないのに、こんなこと言われたら困りますよね」


 後ろにいるラーナの顔が見えないのでわからない。一方でルークは顔が熱くなるのを感じた。顔が真っ赤になっているところを、ラーナに見られたくはないと思った。


 話を切り替えようとルークは話題を探した。


「そうだ。今から馬で走るとスピードが出るので風で寒くなります。見たところ上着も着てなくて寒そうです。もしよかったら僕の上着を羽織りますか? ……あっ」


 穴があったら入りたい。初対面の男の上着を着るなんて嫌に決まっている。


「……すみません、二度もすみません」

 ルークは力なく謝っていた。


「どうして謝るのですか?」

 後ろから声がした。


「え、だって、気分を害してしまったのかと思って」

「なにも害していませんよ」

「それなら……安心しました。気を遣わせてしまいましたね」

「それに私、寒いと感じません」

「感じない……? 今は夕暮れだから上着を着ていても僕は少し寒いですけど」

「いえ」


 ラーナはそこで一度言葉を切った。


「寒いと感じないのです」


 感じない? なんだかルークは引っかかった。でも次の言葉が出ない。返事だけはした。


「そうなんですね、わかりました。夜が近づいています。馬で行きますし、なにか困ったことがあったらなんでも言ってください」


 ルークは馬のマーラに合図した。マーラはゆっくり動き出した。急がないと夕暮れだ。


「あの、ラーナさん。こんなオオカミの出る草原に一人で歩いていて、怖くなかったんですか」


「怖くありません」


 迷うことがない様子で断定した。


「いくら魔法が使えても女性一人だし」

「怖くありません。怖さを全く感じないのです」


 ルークは心の中で一人で驚いた。


「怖さを感じない……すごい方なんですね。僕なんていくら鍛えても怖いと思うことばかりなのに」


 本当は魔法がすごく強いのかもしれない。


「恐怖という感情を感じないのです」


 ラーナは同じような言葉を繰り返した。なんだか引っかかる。


「……感じない?」

「はい」


 短い返事だったが聞き逃さなかった。


「もしかして」

 ルークは言葉を選んでから組み立てた。

「過去になにかあったんですか? その、精神的なもので」


 ラーナから、返事が返ってこなかった。なんの反応もない。


「いえ、なんでもないです。すみません。変なことを聞きそうになりました。忘れてください」

 言葉がバラバラと崩れていく。過去に嫌なことがあったとしたら、蒸し返すのは違う。

「もう夜が近いです、急ぎましょう」


 ルークはマーラの走るスピードを速めた。


次は11月6日12時の投稿となります

ブクマなどしていただけると見逃さずに確認できるかと思います!

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