第二章 拡大するシナリオ
二章 拡大するシナリオ
「初めまして、経済学部一年の松本結花です。よろしくお願いします!」
緊張と、これからの活動への高揚感が入り混じった瑞々しい声が、部室に響き渡る。
結果として、俺――淳田宗治は、紫陽の熱心な勧誘に折れる形でこの「冒険部」に籍を置くことになった。
右隣に立つ冴由をチラリと盗み見ると、ふとあの日の夕暮れが脳裏に蘇る。
――『一つ、冒険部の活動よりも私を優先すること。二つ、危ないことはしないこと』
あのとき、冴由が少しだけ拗ねたような真剣な顔をしたのを思い出し、思わず口元が緩む。
「おい、宗治。お前の番だぞ」
紫陽に肩を小突かれ、思考の海から引き戻される。
「あ、失礼しました。淳田宗治です。商業学部の一年です」
「は~い、それじゃあ一年生の挨拶はこれで終わりかな! 俺は商業学部三年、兼・冒険部部長の橘優也だ。みんなが安全に、かつ楽しめる部活にするからよろしくな!」
橘先輩の明るい声に続き、他の上級生たちも温かい拍手で新入生を迎え入れてくれた。アットホームな雰囲気に、少しだけ肩の力が抜けるのを感じる。
「んじゃあ、挨拶も一通り終わったことだし、早速だが『新入生歓迎合宿』の詳細について話すぞ~!」
橘先輩の号令とともに、部室の空気が一気に「部活モード」へと切り替わった。
それから一ヶ月ほどが過ぎた頃。いよいよ近づいてきた合宿の話題で、部内は連日持ちきりだった。
「なぁ宗治、お前、合宿の準備は進んでるか?」
授業終わりの廊下で、紫陽が唐突に話しかけてきた。
「準備って、パンフレットには特に個人で用意するものはないって書いてあったろ?」
「ばか、せっかくの泊まりだぞ! みんなで夜を盛り上げるアイテムが必須に決まってるだろ。酒はまだ二十歳になってないから無理だけどさ、トランプとか、みんなで心理戦ができるボードゲームとかさ!」
「紫陽、お前……それ完全に個人的な趣味だろ」
「いいじゃん、こういうのはノリと雰囲気だ! 部長たちが企画を用意してるかもしれないけどさ、『まだ楽しみ足りねえよな』ってなったときにサッと取り出すのが粋ってもんだろ」
「まぁ、それもそうか……」
呆れつつも、紫陽のこういうお祭り気質なところは嫌いではない。
そんな会話を交わしつつ、宗治は自身の準備として、まずは足元を固めることにした。
「……なぁ冴由。合宿の場所って山の中だろ? 流石にスニーカーじゃ心もとない気がするから、新しいトレッキングシューズでも買おうと思うんだけど、今度一緒に探すの付き合ってくれないか?」
宗治が少しすり減った靴底を見せながら尋ねる。ちなみに、紫陽と夜に遊ぶための「秘密のアイテム」をこっそり探すミッションも、このデートの中に組み込まれていることは内緒だ。
「うん、いいよ。私もそろそろ新しい服が欲しかったし、一緒に行こっか」
こうして週末の土曜日、俺たちは揃って駅前の大型ショッピングモールへと足を運んだ。土曜日ということもあり、子供連れの家族でにぎわっている。
「早速だけど、靴と服、どっちから先に見ようか」
「う〜ん、服は試着とかで時間がかかりそうだから、先に靴を買いに行こうか」
「了解。じゃあ、あっちのスポーツフロアだな」
宗治は靴屋の方へ歩き出すと自然に手を伸ばし、冴由の柔らかい指先を自分の手で包み込んだ。冴由は少し照れくさそうにしながらも、しっかりと手を握り返してくる。
「うーん……こういうの、どれがいいのかさっぱり分からないな。山登りなんて普段しないし」
店頭に並ぶゴツゴツとした登山靴の数々を前に、宗治は頭をかいた。
「変にプロ仕様のゴツイやつを買うより、自分の足に馴染みやすい軽めのハイキングシューズの方が歩きやすいんじゃない?」
「さすが冴由、言うことが的確だな。じゃあ、今履いてるスニーカーの形に少し近い、これにしようかな」
サイズを合わせてレジで会計を済ませたあと、俺たちはアパレルショップのフロアへと移動した。
「いや〜やっぱり冴由は何着ても似合ってたな」
「ふ~ん。わざと変な組み合わせにしたのに、『似合ってる』なんて言うんだ」
口には出さないが、どこか不服そうなオーラを漂わせる。
「それは……その……」
冷や汗をかきながら言い訳を探そうとした、まさにその瞬間だった。
宗治の頭の端がズキンと痛み、右視界が、激しく揺らぐ。
脳裏に焼き付いたのは、巨大なディスプレイ棚が前触れもなく手前へ倒れ込んでくる未来の光景。そして、その下に巻き込まれる小さな子供の姿だった。
宗治の未来予知は、これまで「自分が危機に直面したとき」にしか発動しなかったはずだ。だが今回は、自分以外の、見ず知らずの子供の姿までがはっきりと見えている。
「……っ!」
ハッと我に返った宗治は、周囲の視界を急いで走らせた。数メートル先、棚と棚の間から、未来の映像と全く同じ服を着た小さな男の子が走り出てくるのが目に入る。
(この子だ……!)
「危ないっ!」
思考よりも早く体が動いた。宗治は一気に距離を詰め、その小さな体を抱き上げるようにしてその場から力強く飛び退いた。
――ガシャアァァン!!
耳をつんざくような金属音と、衣服を引っ掻くような激しい摩擦音。一瞬遅ければ下敷きになっていたはずの空間へ、大量の商品を乗せた重い棚が盛大に崩れ落ちた。
「きゃあっ!」という周囲の悲鳴があちこちであがる。
「坊主、怪我はないか……?」
宗治は自分の腕の中にいる、まだ小学生にもなっていないであろう男児の顔を覗き込みながら、穏やかな声で声をかけた。
男の子はあまりのことに目を見張り、声も出せずにコクコクと頷くだけだったが、どうやら怪我はないようだった。
「宗治っ、大丈夫!?」
少し遅れて、青ざめた顔をした冴由が駆け寄ってくる。
「おぅ、なんとか無事だよ。この子もな」
宗治は子供をその母親の元へと優しく送り届け、駆けつけた店員たちの謝罪や対応にも落ち着いて対処し、その場を穏便に収めた。
しかし、無事に終わった安堵の裏で、宗治の胸中には拭えないざわめきが残っていた。
――あれは、俺自身の危機だけではなく、他人の未来までもが、なぜ俺の予知に映り込んだ……?
そのときの俺はまだ知らなかった。このショッピングモールでの出来事が、数日後に控えた山奥の合宿で起きる出来事の前兆に過ぎなかったことを。
数日後。
「よ~し、全員揃ったな! それじゃあ楽しい新入生歓迎合宿の始まりだ~! 早速だが、ここから目的地までは山道を歩いていくから、ちゃんとついてくるんだぞ。疲れたりしたら遠慮なく言えよ〜」
先輩たちの元気な声が、部員たちの不安な空気を少しだけ押し飛ばす。
――ゼェハァ。
それから一時間ほど山道を登り続けたその先に、ようやく木々の隙間から一つの建物が見えてきた。
「よ〜し皆いるな。ここが目的地の宿だ。じゃあ早速中に入るか」
「え……ここが宿、ですか?」
誰かがぽつりと言葉を漏らす。
目の前にそびえ立つ建物は、人気を全く感じさせず、何年も放置されていたかのように周囲の草木が生い茂る、およそ宿泊施設とは思えない廃墟そのものだった。
「ここはな、昔、経営者の脱税が発覚して夜逃げしたあと、そのまま経営が傾いて潰れた宿なんだ。ちなみにその経営者はまだ見つかっていないらしい。『逃げ切れない』と悟って、ここで首を吊って今もこの宿に怨霊として留まっている――なんて噂もあるんだぞ〜」
優也がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、皆の不安を煽るようにわざと声を潜める。
「っ……というのが、この冒険部に代々受け継がれている怖い話の一つ、だな」
優也が冗談めかして笑った、その瞬間。
宗治の頭にズキンと痛みが走り右視界が、激しく、かつてないほどのノイズを伴って揺らいだ。
――バターン!!
脳裏に響いた激しい衝突音。
「危ないっ!」
宗治は反射的に、隣にいた冴由の手を引いて大きく後ろへと飛び退いた。
そのコンマ数秒後。
『ガシャァンッ!!!』
中央ホールの高い天井近くに悠然とかかっていたはずの、巨大な古びた振り子時計が、轟音と共に真下の床へと盛大に崩れ落ちた。木端微塵に砕け散るガラス片。
「きゃああああっ!」
女性陣の悲鳴が、埃の舞う室内に響き渡る。
「おい、みんな大丈夫か……っ!?」
慌てた様子で、優也が血相を変えて駆け寄ってくる。
「はい、俺たちに怪我はないですけど……橘先輩、時計が……」
宗治が荒い息を整えながら、目の前の惨状に顎をしゃくった。
優也は冷や汗を拭いながらも、部長としての威厳を取り戻すようにパンと大きく手を叩いた。
「いや、人命第一だ! 時計なんて新しいのを買えばいいんだから心配するな。一応ここは冒険部の倉庫も兼ねているから、定期的に補強とかしてるはずなんだけど……そこはすっかり忘れていたな」
気まずさを誤魔化すように笑う優也の横から、冒険部の副部長・河野紗子先輩が、呆れたように橘先輩の頭を軽くポコっと叩いた。
河野先輩は橘先輩の幼馴染であり、日頃からその大雑把な性格をしっかりと支えている頼れる存在だ。
「挨拶の時に見栄張ったばかりなんだから、少しはちゃんとしたところを見せなさいよ。本当にごめんなさいね。みんな、怪我はない?」
河野先輩がおしとやかな笑顔で部員たちを気遣う。
「それじゃあ、気を取り直して。まずは三年で宿の中をもう一度、倒れそうなものがないか徹底的にチェックするわ。一、二年生は外で夜ご飯の支度と宿周りの草刈りをお願い。道具の場所は優也に案内させるから」
「これぐらいの山登りはな、これから色んなところへ行くための最低限の体力づくりもできて、合宿のメニューとしてもちょうどいいんだよ!」
先ほどのトラブルをなかったかのように、橘先輩がいつもの調子で明るく指示を飛ばす。
「夜はレクリエーションもあるから、みんな頑張れよ~!」
そう言いながら橘先輩は宿の方へ走って戻っていく。
「それじゃあ、料理班と草刈り班で分かれるか? 料理が得意な人は料理班って感じで……」
どう動くべきか戸惑う新入生たちを前に、紫陽が自然と声を張り上げる。そのおかげで部員同士がスムーズに役割分担を決め始めた。
――紫陽は相変わらず、こういうとき人をまとめるのが上手い奴だな。俺なら誰かが動くまでじっと待っているだけなのに。
紫陽の背中を見つめながら、宗治はふと中学時代を思い出していた。だからこそ、あの時も俺に声をかけてくれたのだろうか……。
「……? 宗治、確か料理は苦手だったよな。一緒に草刈り行こうぜ」
「あっ、おぅよ」
一方の冴由はというと、どうやら気が合う仲間ができたらしく、先ほどできたばかりの友人たちと一緒にそそくさと料理班の方へと向かっていった。
「皆お疲れさん! いや〜、指示する前に離れちまったけど、一、二年生でなんとか役割分担できたみたいでよかったよ。これならこれからも安心して任せていけるな」
満足そうに笑う橘先輩の背中に、再び河野先輩の容赦ないツッコミが飛ぶ。
「まったく、感心してる場合じゃないでしょ……でも、みんなが自主的に動いてくれたおかげで、予定していた作業もスムーズに終わりそうね」
夕暮れが近づき、山間の空気が少しずつ冷たさを帯びていく。
賑やかな笑い声が響く中、宗治のポケットの中で、自分のスマートフォンが微かに振動した。




