表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/19

1-7

 翌朝、ベルティーナは迎えに来たエルンストと共に伯爵邸を後にした。

 昨日は、大騒ぎを続ける親子三人を置いて部屋を退出していいと執事が取り計らってくれたが、夜遅くなっても話し合いは続いているようで、ベルティーナは柔らかなベッドの上にも関わらず針の筵に横たわる気分で夜を明かした。


 屋敷を出る時は、執事や家政婦長や庭師や犬のゾフィー、そしてなんと、お嬢様と伯爵夫人まで見送りに出てきてくれた。

 執事は報酬の入った袋をベルティーナに渡した。約束の倍近く入っていて目を見開く。

 伯爵は、貴女が仕事を十分以上に成し遂げたと評価しているのだ、と執事は言った。複雑な父親心理としてお嬢様のことは未だ受け入れられず、きっかけとなったベルティーナと顔を合わせる気にはなれないが、それはそれ、これはこれということらしい。


「理系屋さん、準備ができたら弟子入りに行きますので、よろしくお願いします」

 ドレスの裾を持ち上げカーテシーで挨拶する自称未来の『理系屋さん』。

「この先、もしうちの娘が行くようでしたら、できる範囲で結構なのでお願いしますね。生活費や授業料は持たせますから」

 色々緩いことを仰って伯爵夫人がおっとりと微笑む。後に勿論学校も入るが、まずは弟子入りしたいとのこと。

 ……えーと。まぁいいか。微笑んで頷く。

 ベルティーナ個人としては、理系女性の仲間が増えるのは大歓迎なのだ。




 黒馬トビアスの背に二人乗りで、ベルティーナの村へ向かう。

 うららかな春の陽を受け、道の左右には小さな草花がみっちりと我も我もと伸びている。木々は新緑。道と少し離れて並んで流れる小川はきらきらと光を反射し、宝石のように色鮮やかな鳥達が魚を狙い飛び込んではプルルと羽を震わせる。


「お疲れ様、ベルティーナ」

「エルンストもお疲れ様」

「いや、俺は屋根に上ったり扉を押したりの脳筋要員だから」

「いや、物理的にも助かったし、気持ち的にも本当に心強かったって。貴族の家にアウェーだよ?鬼の形相の伯爵様に説明する時とか、そこに居てくれるのがどれだけ支えになったか」

「そうかそうか」

 エルンストが弾んだ声音で言う。

 二人乗りなのでベルティーナからはエルンストの大きな背中しか見えない。


「ベルティーナは街に住む気はないのか?」

 微妙に緊張したような固い声音でエルンストが訊く。

「うん、ない」

「即答かよ!」

「空気が悪いから星が見え辛くて」

 ベルティーナは天文学者だ。多くの人は『理系屋さん』と認識し、忘れられているが。

「あー……そりゃ致命的だよなぁ」

 金髪の頭の上で犬耳が垂れて見える。

 ーー顔も見えないのに、声や背中の丸め方だけで、いつの間にこんなにエルンストのことが分かるようになったのか。

 皆がベルティーナを『理系屋さん』と呼んでも、変わり者と呼んでも、エルンストはベルティーナが専門の天文学を宝物のように大切にしていることを忘れないし、当たり前に尊重してくれるからだろうか。


「俺も村に住もうかな」

 うん、空気も自然も綺麗だから気持ちは分かる、とそういう所はきっちり斜め上でベルティーナは思う。でも。

「毎日街へ通うのは無理でしょう」

「村に騎士団の駐在を置いてはどうかって話も、あったりなかったり……」

「え?あるの?」

「あったりなかったり……が数年続いてて、身動き取り辛い」

「うわぁ、組織あるある」


「おーい!エルンスト!」

 後ろから声がかかる。

 ベルティーナが振り返ると、青い制服の青年を乗せた馬が近付いてくる。

「何かあったのか」

 エルンストが馬を止め振り返る。同僚のようだ。

「いやいや」

 同僚氏は手を振ってベルティーナに向き直る。

「噂の『理系屋さん』にぜひ!と騎士団支部一同から贈り物です。街で一番人気の店の焼き菓子です」

「え?あ、ありがとうございます……?」

 今度は一体何の『噂』なのか。渡された紙包みはほんのり温かく、バターと卵のいい匂いがふわりと立ち上る。

「あの、私は騎士団の皆様には何もしてないのですが」

「いやいやいや。伯爵家の事件を解決してくれたでしょう。俺達はどう手を付けていいかも分からなかったのに、鮮やかに解決!」

 結果的に騎士団のお役に立てていたらしい。しかし彼女は騎士団のために働いた訳ではなかった。

「お礼を頂くようなことでは」

 恐縮して包みを返そうとすると、青年はぱっと子供のように手を挙げて受け取らない。

「あ、気になるならエルンストと一緒に食べてやってください。家に着く頃には冷めちゃってるかもしれませんが、軽く炙ると美味しいですよ」

 お気持ちなら受け取った方がいいか。金銭という訳ではないし。

「おい」

 エルンストが苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「邪魔な伝令はもう帰ります。では!」

 春の嵐のように現れた同僚氏は、春の嵐のように去っていった。 


「仲間思いの同僚だなぁ。エルンストも功労者だもんね。うちに着いたらお茶を入れるから食べていきなよ」

「……お言葉に甘えさせてもらう。でも茶は俺が入れる。ベルティーナは長く空けた家が気になるだろし、荷解きもあるだろう」

「エルンストのオカン……」

 ベルティーナは微笑む。

 見上げた春の空は澄みきっている。今夜は星が綺麗に見えそうだ。



 街へベルティーナを呼ぶ時、なんで毎度エルンストが行くのか、ベルティーナはいつ知るのだろう。

 ベルティーナに会いに行く絶好の口実であり、また他の男を寄せ付けたくないというエルンストの想いをいつ知るのか。

 応援しつつも面白がる同僚達の賭けは熱を帯びるのだった。

 読んでくださりありがとうございました!

 第1章完結です。明日からの第2章もよろしくお願いします。


 舞台は架空の国ですが、キャラ名はドイツ名です。こんな意味があるそうです。

【ベルティーナ】聡明な

【エルンスト】真面目な、真剣な

【トビアス】神は恵み深い

【ゾフィー】知恵、叡智

【エリザベート】神の誓い

 ゾフィーは女性名です。ラテン語でソフィア、フランス語でソフィー。つまり大きなモフモフ犬ゾフィーは女の子です。



 理系題材のネタバレ裏話を少々。

 時代背景、科学的事実、謎解き的題材、という縛りがあり、下調べや確認に苦労した作品です(^^;

 但し、「この時代に、この科学知識を学ぶことができたか」は考慮しない方針としましたので、創作と了解の上で楽しんで頂けたらと思います。


【ドアの笛吹き】

実在のマンションで体験しました。本作では、密閉性のいい石造りのお金持ちの家だからこそ成立。


【ウォーターハンマー】

マンションにお住まい等でコーンという音に悩まされた方が居るかもしれません。作中は上流階級の家しか水道管がなかった時代なので、配管技術も未熟だったことでしょう。


【収れん火災】

ミステリー界では丸い金魚鉢を凸レンズに発火するのがお馴染みなので、凹面鏡にしてみました。ステンレス製のボウルは焦点位置がボウル内部になるので、ボウルの中に燃えやすいものを入れて日向に置くと危険です。水の入ったペットボトルも凸レンズになります。

ゴブレットの底程度の小さな凹面鏡で火災が起こった実例が見つけられず、可能なのか確認に苦労しました。コスメ売り場で売っていた直径6.5cm程度の凹面鏡が、収れん火災の注意書きがあり、且つ十分強い光の焦点を作ることが確認できたのでGOを出しました。

もし皆さんが、コスメ売り場で鏡を照明に翳して踊っている人を見たことがありましたら、それは私かもしれません。


【キョウチクトウ中毒】

アレクサンダー大王のインド遠征の際、一小隊がキョウチクトウを串焼き肉の串として使い中毒症で全滅したと言われるほか、現代でも人や牛の死亡事故が起こっています。大気汚染に強く枯れ辛いので車通りの多い道沿いによく植えられます。自治体が公式サイトで剪定枝の安全なごみ出しについて注意を呼び掛けてたりします。


【色の変わる独楽と錐体による色認識】

人気Youtuber「Physics Girl」ことダイアナ・カワーン様の動画の一つ「Does it look white to you?」が出典です。

MIT出の物理学者の米国女性ダイアナさんが、身近なことから最先端までワクワクする物理学を描く動画チャンネル。日本語字幕がないので英語が堪能でない私は英語字幕で一時停止連打しながら見ていますが、とても面白いのでご興味ありましたら是非ご覧ください。

BBCの動画「The Edge Of Science」にも招かれたほか、STEM教育(科学、技術、工学、数学教育)や理系女性の牽引役の一人として、講演やゲストにも引っ張りだこで、米国内にとどまらず活躍している方です。


 ベルティーナ達と一緒に、小説も、そして科学も、楽しんでいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ