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「『笛吹きのホール』についてご説明します」

 四角い大きなホールの中でベルティーナは言う。

 ベルティーナは伯爵と夫人を前に、内心冷や汗だらだらだ。

 執事と家政婦長とエルンストも後ろに控えている。

 調査結果は全て執事に報告したのだが、伯爵と伯爵夫人が直々に聞きたいと仰るので、現場を示しつつ説明する屋敷内ツアーをすることになったのだ。

 引きこもりな学者で庶民のベルティーナには荷が重い。

 どうしてこうなった。あぁ、早く長閑な自分の村に帰ってのほほんと星を観測していたい、とベルティーナは心でぼやく。


「先日ここでパーティーを開いた時、演奏者もいないのに笛の音が聞こえた、とのことでした」

「あぁ。来客を含め沢山の者が聞いている。隙間風の音にも似ていると言われ、調べさせたがどこにも隙間はない。開けていた南側のガラス戸以外窓ははめ殺しで壁にも亀裂はなかった。唯一の出入口の戸はこの通り、厚くて隙間なくしっかり閉まる」

 伯爵は北側の戸を軽く手で叩いて見せる。

 そう、ベルティーナはエルンストと屋根にまで上って調べたが、天窓を含めはめ殺しの窓に隙間はなかった。

「仰る通りです。そこに『流体力学』の問題が起こったと思われます」

 ベルティーナの言葉に伯爵が目をぱちくりさせる。


「この部屋は南向きで、パーティー当日は南側に一面に並ぶバルコニーのガラス戸を全て開けていたと聞いています。そして北側に一ヶ所だけある戸は閉じていた」

「確かそうだった筈だ。南風が強かったが、客に庭を楽しんでもらうためバルコニーは開けなければならなかった。しかし北側の戸を開ければ部屋の中に風が強く入りすぎてしまうから閉じていた。使用人は西側の通路を通るが、そこは風が通らない構造だ」

「その通りです。大きな部屋の南側から風が吹き込もうとするのに、その風圧の唯一の逃げ場である北側の戸は閉じている。

その結果、北側の戸はこの狭い面積で、南の広い開口部から入った空気の圧力を一身に受けたのです。ーーこんな風に」


 ベルティーナが目配せすると、エルンストが北側の分厚い戸に両手を当て、腰から力をいれて全身で押す。青い騎士の制服に包まれた二の腕と肩の筋肉が盛り上がる。

 ぐぐぐ、と厚い戸が僅かにたわみ、上下に僅かに隙間ができるのを見て、伯爵が目を見開いた。

「『流体』とは、力を加えると容易に形を変え流れる液体や空気などを指し、その独特の挙動は『流体力学』で説明されます。

風のーー空気の力はささやかに見えますが、大きな窓から一度に入った空気の圧力が一点に集まれば、これほど厚い戸もたわませるのです」

 伯爵は呆然とした顔でベルティーナの説明を聞いた。


◇◆◇◆◇◆


「ここが『水浸しの廊下』ですね」

 屋敷内ツアーは廊下に立ち止まる。床の絨毯の一部に微かに染みの跡がある。ここが何度も水浸しになったそうだ。

 執事が補足する。

「はい。といっても、毎回床下の水道配管が壊れていて、そこに貯まった水が床に染み出していることは分かっています。けれど、何故そこの管だけいつも壊れるかが分かりません。老朽化や管の強度の問題ならここだけということは不自然です」

「恐らく、ウォーターハンマーです」

水槌ウォーターハンマー?」

伯爵が怪訝そうに顔をしかめる。

「これとは別に、コーンとか、ゴンッと棺の釘を打つような『不気味な金槌の音』がするという話も聞きました。それもウォーターハンマーで、床下の水道配管がたてる音です。どちらも先程と同じ『流体力学』の問題です」


 ベルティーナ達が配管図片手に屋敷のあちこちの床下を調べていたのはこのためだ。

「今回の流体は空気でなく水です。

水道管の中を流れている水は、水道のコックを閉めると、勢い余って『行き止まり』の壁をハンマーのように叩きます。この水圧は想像以上に大きなものです。

コーンという音は、水が水道管を内側から叩く音です。

そして管が直角に曲がる場所でも同様のことが起こります。管の中を直進した水は、正面の壁にぶつかってから左右に曲がる。始終こうして水のハンマーに叩かれることで、曲がる部分の管は弱り壊れやすくなります。

必ずしも何度も壊れるとは限りませんが、配管の配置や水の圧力や量など、悪い条件が重なってしまったのでしょう。

コックをゆっくり閉めたり、配管や水圧を工夫することで、何度も壊れるようなことはなくなると思います」

 伯爵はいたずら妖精に騙されたような、困惑と行き場のない不機嫌の入り交じった顔をした。


◇◆◇◆◇◆


「『謎の放火』についてご説明します。伯爵様の部屋の机で火が燃えていたと聞きました」

 伯爵の私室の中は、落ち着いた雰囲気ながら実に豪華だ。自分の人生でこんな部屋に入る機会があるとは思わなかった、とベルティーナは遠い目になる。


「発火の原因は恐らくこの銀のゴブレットです。ボヤが起こった日、机の上にこのゴブレットが転がっていたと聞きました」

 予め執事が用意していたゴブレットを渡される。高価なので手の脂で曇らせないようハンカチ越しに脚の部分をそっと持つ。そして脚の裏側を見せる。少し反り返った底もよく磨かれ、差し示したベルティーナの指先がはっきり映る程だ。

「これが凹面鏡になって、太陽の光を集めます。その光で机の上の本が熱を帯び自然発火した、『収れん火災』と思われます」

「凹面鏡?」

 伯爵が怪訝そうな顔をする。

「凹んだ曲面の鏡です。ルーペ(虫眼鏡)はご存じですよね。あの凸レンズも、焦点に太陽の光を集め火を着けることができます。凹面鏡は、曲面の形と焦点の向きは逆ですが、似たように、光を集めてしまう性質があります」

 光を収れんさせて起こるから収れん火災。

 ちなみに、凹面鏡は物を拡大して映すので、凹面鏡を利用した天体望遠鏡も存在する。


「実際にやってみましょう」

 ベルティーナは窓側へ行き、太陽の光を少し斜めに受ける角度にゴブレットの底を傾け、それと向き合うように紙をかざした。

 紙の上に、一際強く輝く光の点が現れた。伯爵が息を飲む。


 どの角度と距離が焦点になるかは曲面の曲がり方による。

 エルンストと二人で陽当たりのいい庭でゴブレットと紙を陽に掲げ、右に左に、立ったりしゃがんだりしながら確認して、これが一番説得力あると結論した位置で示してみせる。

「この光の点の位置はやがて高温になり自然発火します。

ボヤがあった日は冬で太陽の高さが低く、部屋に陽が入りやすかった。そして、たまたま飲み物をお召しになった後のゴブレットが、風か何かで転がって運悪く『丁度いい』角度になってしまった」


 伯爵が不機嫌そうな唸り声をあげたのでびくっとする。

 不敬と首をはねられたらどうしようと胆が縮む。ちらりとエルンストを盗み見る。

 職務中なので無表情だが、自分が斬られそうになったら、貴族相手でも彼はきっと助けてくれるだろう。彼はそういう人だ。ベルティーナはそれを全く疑わない。それが心の支えだ。

「『理系屋』、お前の言う通りのようだ」

 伯爵が絞り出した言葉に、ほっと息を吐く。

 いや、それ勝手に付けられた呼び名で私の名前じゃない、という言葉をベルティーナは賢明にも飲み込んだ。

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