人命救助
夜の浜辺での決意表明後、光斗は順調にヒーローになる準備を重ねていた。
中でも重要なのは自分の能力を知る事。様々な検証の結果、より理解が深まった。最高速度はマッハ一であり、小回りも効く上に初速でほぼトップスピードに至れるという化物具合だ。高速走行に適応するための意識の加速は、思考能力・反射神経・動体視力の全てに及んでおり、正に高速で走るために生まれた生物と化している。一見するとかなり地味だが、非常に有用な能力と言えるだろう。
問題があるとすれば、高速走行中に物を拾ったり抱え上げたりするのが難しい事か。幾ら水晶膜によって自身と周囲への影響を最小限に抑えているとはいえ、人間大の物体が高速で移動している事に変わりは無い。高速走行中に物を拾えば、物体は接触した瞬間にその速度で殴られたのと同じ衝撃を受けてしまうのだ。もし人間相手なら人助けではなく凄惨極まる殺人である。問題点が判明した時は早めに調べておいて良かったと胸を撫で下ろしたほどだ。
高速走行中の接触にさえ注意すれば、人助けにこれほど適した能力は無い。現場に高速で駆け付け、高速で対応を思考し、高速で対処できるのだから。後はそれを現場で実践できるかどうかがカギである。
『――速報です。双星市のデパートで火災が発生しました』
決意表明より十日後、四月二十一日。夜も更けた頃、全ての前準備を終えた光斗に遂にその機会が訪れた。星宮市の隣街にあるデパートで火災が発生したのだ。
早い段階でSNSにより情報を得ていたものの、PCでニュースを覗くと火事の壮絶さを臨場感を伴って感じられる。十階建ての建物の七階辺りが燃え盛っており、その階の全ての窓からもうもうと黒煙交じりの赤い炎が立ち昇っている。
『火元は七階と見られ、逃げ遅れ火災に行く手を阻まれた人々が屋上へ上がり救出を待っています。しかし付近の道路で事故が発生した影響により、消防車の到着が遅れているようです。現在屋上の人々の安否が懸念されております』
ニュースでは野次馬と燃え盛るデパートを背景に、リポーターが極めて深刻な面持ちで状況を説明している。
タイミングが悪い事に交通事故で一部の緊急車両の到着が遅れているのだ。火事の消火はもちろん、屋上に逃げた人々の救出すら始まっていない。七階全域が猛火に包まれているため下に降りる事も出来ず、屋上の人々は蒸し焼きになるか焼け死ぬかの凄惨な末路を辿る事だろう。火元が屋上に近いからこそ、事は一刻の猶予を争う。
「――初出動だ。見ててくれよ、父さん」
だからこそ、地上最速の速さを誇るヒーローの出番。
PCを閉じた光斗は、目出し帽にも似た黄色のマスクを被る。目と口元だけが覗く形状のマスクは、ネットショップで購入した衣装の一部だ。
すでに光斗は全身をヒーロー的な衣装で包んでおり、これで完全に変身完了というわけである。基本的には黄色を基調とした衣装であるが、さすがに全身タイツ系のコスチュームは恥ずかしかったので革製だ。そこに動きを損ねない茶色のブーツや金属を仕込んだグローブを合わせており、見る者が見れば正にヒーローだと断言する事だろう。
とはいえこのままではただのコスプレ。幾ら外面を整えても意味が無い。行動が伴い、初めて本物のヒーローが生まれるのだ。
「……行くぞっ!」
何度か深呼吸を行い精神を統一させた光斗は、自室の窓から夜の世界へ飛び出した。
瞬間的に全身を包む水晶膜が生まれ、全てが静止したかの如く極限まで遅く感じられるようになり、静寂に満ちた世界が現実のものとなる。家外の地面に着地する瞬間にはすでにトップスピード。そのままマッハ一という恐るべき速度で大地を駆け抜け、火事の現場へと向かう。
完全に能力を我が物とした今、最早肉体と精神の同期が取れなくなる事など無い。周囲の景色が霞んで後方に流れる中、車を追い越し通行人を躱し、最短距離を疾駆する。
現場までの距離は約十五キロメートル。常人なら走って一時間以上の距離であり、人助け以前の問題だ。しかし音速で走る光斗の場合は事情が異なる。
「――ここか!」
やがて光斗はデパートの正面、警察によって張られたらしき規制線の中に辿り着いた。水晶膜のおかげでだいぶ控えめではあったものの、強烈な旋風を引き連れて。
風の如く疾走した結果、到着に要した時間は僅か一分にも満たなかった
「うわ、何だあのコスプレ野郎……」
「こんな現場でコスプレ披露とか、頭おかしいんじゃねぇの?」
突如現れた黄色いスーツの少年の姿に、規制線の向こうから野次馬たちが侮蔑や嘲笑を向けてくる。中には携帯で撮影をしてくる者まで現れる始末。
止めるべきか少し迷ったが、正体を隠すためにわざわざおめでたい格好をしているのだ。今は野次馬にかかずらうよりも前にすべき事があった。
「――誰か助けてくれえぇぇぇっ!!」
「このままじゃ死んじゃう! お願い、助けてええぇぇっ!!」
それは屋上から助けを求める人々を救う事。
出火は七階だがすでに火の手は八階を焼き尽くし、九階に迫りつつある。彼らからすれば足を火で炙られている状態であり、恐怖と苦しみは想像を絶するものだろう。地上から見上げる光斗ですら、激しい火の手に汗が伝うほどである。
「何だ君は!? ここは危ないから早く離れなさい!」
再度度走り出そうとした直前、警察官が憤怒の形相で迫り掴みかかろうとしてくる。
傍から見れば光斗は規制線の中に入った頭のおかしいコスプレ野郎でしかない。多少乱暴にでも確保して外に追い出すのが賢い選択であり、彼は職務に忠実だと言えるだろう。
尤も邪魔はされたくないので、光斗は彼を無視して意識を加速させた。途端に警察官の動きは凍り付き、燃え盛る炎や野次馬の声すらも耳に届かなくなる。
今の光斗は音より速い。すなわち音が追い付けないという事。本気を出すと静寂に満ちた世界へ変貌するのも必然の事象であった。
「このくらいの高さなら……登れるっ!」
走り出した光斗は、ビルの入り口ではなく壁に向かって疾走する。激突する寸前、壁面に足をかけそこを大地として駆け抜ける。
その結果実現したのは、ビルの壁面を垂直に駆け上がるという離れ業。原理としては非常に単純。ブーツの底が壁面に接地した瞬間に発生する摩擦が消え去る前に、もう片方の足を接地させるのを繰り返すだけだ。常人ならどう足掻いても不可能だが、音速で走る光斗には可能だった。
「――大丈夫ですか!? 助けに来ました!」
最終的に燃え盛る炎の壁を突き破り、高く跳んで屋上へと降り立った。片膝を付き、片膝を立てた、いわゆるスーパーヒーロー着地で。実際にやると格好も手伝いかなり恥ずかしかったが、必要な事だと割り切って行った。
恐らく屋上の人々は迫りくる炎と灼熱により、恐怖の末に恐慌をきたしているからだ。彼らを一旦落ち着かせるためにも、分かりやすいヒーローの姿と行動が必要だったのだ。
実際皆の度肝を抜く事には成功したらしい。阿鼻叫喚の中で右往左往していた屋上の人々は、一様に凍り付きこちらに奇異の目を向けていた。
「あんたは、一体……?」
「皆さんを助けに来ました! この中にケガをした人はいますか!?」
「あ、えっと……この人が、足を挫いて……」
「じゃあまずはその人から。すみません、ちょっと身体に触りますよ」
「え、ええ……」
未だ状況を呑み込めていない人々は、謎のコスプレ少年に言われるがままで大人しいものだ。出来ればもっと丁寧に自分の事を説明したい所だが、屋上が下手なサウナよりも熱い灼熱の地獄である以上時間はかけられない。
故にこの方が都合が良く、光斗は好奇の視線を向けられながらもケガ人の女性の身体を抱え上げた。身長が光斗と同じかそれ以上に高い成人女性という事もあり、本来ならお姫様抱っこで抱え上げるのもかなり辛い所だ。
だが今の光斗は膂力も若干増しており、一人程度なら楽々抱えられる。当然人を抱えた状態で走れるかどうかも様々な検証を行って確認しているため、安全性は十分である。
「一瞬ですけど、一応舌を噛まないように口は閉じてくださいね。それじゃ、行きます!」
「えっ――」
目を丸くした女性が戸惑いの声を零した瞬間、屋上の縁を目指し走り出す。いきなりトップスピードに至ると危険なので、段階を踏んで小刻みに速度を上げ、時速百キロくらいで屋上から飛び出した。
「――きゃああぁぁぁぁぁっ!?」
そうして女性の悲鳴を耳元で聞きながら、今度はビルの壁面を垂直に下る。
この程度の速度だと水晶膜も出ず、意識の加速もさほど必要ではないので周囲の音も消え去りはしない。女性にもギリギリ認識できる速度であり、だからこそ身投げにも近い感覚に相当の恐怖を覚えたのだろう。頑丈さが増し頑健になっている身体でも痛いと感じるほど、かなり強くしがみついてきていた。
「――うわっ!? 何だ君は、どこから現れた!?」
「そんな事よりケガ人です! この人をお願いします!」
「はっ? いや、お願いって言われても……」
地上に降り立ち、ちょうど光斗に気付き腰が抜けそうになっていた警察官に女性の身を預ける。未だ救急隊が到着していないため、他に預けられる相手がいなかったのだ。
混乱の極みで正常な判断が出来ない内に体良く女性を押し付け、すぐさま走り出し再び屋上へと向かう。これから何往復もしなければならない以上、通常の速度で悠長に会話をしている暇など無かった。
「ひとりずつ俺が抱えて下ります! 皆さん、慌てないでください!」
そして再び一人抱えて地上に降り、また屋上に戻る事を繰り返す。幸い屋上の人々は未だ戸惑いが抜け切っておらず、素直に従い混乱もなく捌く事が出来た。
「き、君は一体……?」
「何だよアイツ!? まるでスーパーヒーローじゃん!?」
「瞬間移動……いや、高速移動か? 特殊能力者なんて実在したのかよ……」
「稲妻の如き速度で駆ける超人! 間違いない、奴こそ我が同胞……!」
地上に降りてから再び屋上へ向かう間の短い時間に、近くの警察や野次馬たちの微かな騒めきが耳に届く。本来なら視認できる速度ではないが、ある程度距離が開いている事もあり彼らは光斗の残像を捉えているのだろう。地上に降りる時は抱えている人に怪我を負わせないよう、速度を控えめにしているのも要因に違いない。
彼らに手を振りアピールの一つくらいすべきかと考えたが、今は人命救助が最優先。故に光斗は高揚を覚えながらも気を引き締め、決して油断や慢心はせずに屋上と地上を行き来するシャトルランを続けた。
「よし、これで最後だっ!」
やがて数十回目の往復を終え、遂に屋上から全員を地上に下ろす事に成功する。
体力の消費自体はさほどでもないが、初めてのヒーロー活動という事もあり精神的な疲労は相当なもの。緊張の糸が切れた光斗は意識の加速も切り、深々とため息を零した。
「――すげぇ! 本物のスーパーヒーローだ!」
「カッコいいぞ! スーパーヒーロー!」
「名前何て言うんだ!? サインくれ!」
「ど、どうしよう!? 話しかけちゃおうかな!? でも、うーっ……!」
「うおっ!? 何だいきなり!?」
その瞬間、爆発的に沸き上がった歓声が耳朶を討つ。見れば規制線の向こうの野次馬たちが、興奮した面持ちで光斗に熱狂的な視線を向けていた。
先ほどまでは静かな物であったが、どうやら目の前で繰り広げられる驚天動地の救出劇に言葉を失っていただけらしい。人命救助が終わり彼らも緊張の糸が途切れた事で、大人気アイドルでも目の前にしたかのように黄色い声を上げていた。
「ありがとう! 助けてくれてありがとうっ!」
「あなたは命の恩人だわ! 本当に、ありがとう!」
「あのまま焼け死ぬんだと思ってたよ! 君が来てくれて、本当に良かった……!」
「あっ、は、はい……」
そして実際に助けられた人々もまた、感情を露わにしていた。誰もがとめどなく涙を零し、光斗の無骨なグローブに包まれた手を握ったり、力強い抱擁で感謝を示してくる。
一人二人なら気の利いた言葉を返せたかもしれないが、何せ相手は二十人弱。新米ヒーローな光斗には荷が重すぎる状況であり、戸惑いまごつく他に無かった。
「すみません、インタビューよろしいですか!?」
「物凄い速さで移動していますが、それは超能力の類ですか!? それとも何らかのテクノロジーですか!?」
「他にもあなたのような力を持つ方々がいるんですか!?」
しかし人々を押し退けて現れた者たちの姿に冷静さを取り戻す。
恐らくテレビ局の報道陣なのだろう。スーツ姿の女性たちが我先にとマイクを差し出してきた。その背後では大きなカメラを肩に担いだ者たちがレンズを向けてきており、皆一様に瞳を爛々と輝かせている。
特ダネに興奮するのも分かるが、傷ついた人々を強引に押し退けてまでインタビューを試みる精神に虫唾が走った。健太郎もきっと嫌悪するタイプの人間たちだろう。
「……それじゃあ皆さん、またどこかでお会いしましょう。危険な事があったら、すぐに俺が光の速さで駆け付けます」
故に助けた人々にそう言い残し、すぐに光斗は駆け出した。インタビューは完全に黙殺して、ヒーローとして名乗りを上げる事も無く。簡単に特ダネを諦めるとは思えないが、百メートル走をコンマ三秒で走る光斗に追いつけるはずも無かった。
「ふうっ、びっくりしたなぁ。まさかあんな怒涛のインタビューは想像してなかったぞ。しかも態度最悪だったし……」
マッハ一で街中をひた走り、興奮と高揚に火照った身体を冷ます。風圧は水晶膜のおかげで心地良い程度に抑えられており、走る事が実に快感だった。何より本当に人を助ける事が出来たのが誇らしく、今すぐにでも父の遺影に報告したいほど舞い上がっていた。
「でもこれで、本当に人助けが出来るって分かった。ヒーローになれるって分かった。この力を授かったのは、きっとそのためなんだ」
特別な力を持たないにも拘わらず、健太郎はヒーローだった。息子の光斗が特殊な能力でヒーローになるのは少々卑怯な気もするが、彼なら些末な事だと頓着しないはずだ。他者を素直に認め尊敬できるのもまた、彼の魅力の一つだったのだから。
「よし、これから頑張るぞ! この力で、困ってる人たちを助けるんだ!」
故に光斗は気合の雄叫びを上げるが如く誓いを叫んだ。父に恥じない人間になるために正義を成し、幼馴染へ謝罪し許しを得られるように善行を重ねるという、半分はやや不純な動機を胸に抱きながら。
「とりあえずやらなきゃいけない事はアレだな。ヒーローとしての名前――ぐうっ!?」
その罰が当たったのか、あるいは運が悪かったのか。光斗は突如として背後から激しい衝撃を受けて吹き飛ばされ、無様に宙を舞うのだった。地上の何者も追いつく事が出来ない、音の速度で駆け抜けていたはずだというのに。




