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光速超越せし救世主~サオシュヤント・ルチルクォーツ~  作者: ストラテジスト
第1章

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金見久遠

「……アレはマジで何だったんだろうなぁ」


 謎の現象に怯えつつも学校生活を送り、迎えた放課後。黄昏色に染まる廊下を光斗(こうと)は一人歩き、図書室へと向かっていた。

 二度ある事は三度あると言うものの、幸運な事に登校時の一件以来未知の現象は発生しなかった。時間が飛ぶ事もなければ、記憶が飛ぶ事も無い。実に退屈で至って平穏な一日を過ごし、無事に放課後を迎える事が出来た。


「まあ今は脇に置いとこう。今日こそちゃんと謝らないといけないしな」


 謎の解明も急務だが、今はより重要で優先度の高い用事がある。それはとある人物への謝罪。かつて失言により深く傷つけてしまった、幼馴染への懺悔である。

 光斗には昔、幼馴染の女の子がいた。いつも二人で遊び、仲良く日々を過ごしていた。それは決して色あせる事無い美しい思い出、かけがえのない黄金の日々である。

 だがその日々はもう取り戻せない。無知で幼く愚かだった光斗が、木っ端微塵に壊してしまったからだ。


「……良かった。今日も図書室にいた」


 図書室に辿り着いた光斗は、立ち並ぶ書棚の陰に身を隠しながらかつての幼馴染――金見(かなみ)久遠(くおん)の姿を捉えた。

 彼女の出で立ちは一言で表すなら文学少女、あるいは委員長とでも表現すべきもの。若干ウェーブがかった紺色の髪を二つ結びにしており、三つ編みのお下げとして胸の下辺りまで垂らしているのだ。加えて今時あまり見ない大きく無骨な丸眼鏡をかけており、レンズの向こうの赤紫色の瞳は書棚の上の方に向けられていた。

 白のセーラー服と紺色のスカートも一切崩す事無く着込み、身嗜みは完璧。一見すると素朴で地味な少女だが、面差しは非常に整っており紛れもなく美少女と言える。小柄ながらスタイルも良く、書棚の上の方にある本を取ろうとぴょんぴょん飛び跳ねる度、小柄な体に似合わぬ胸の膨らみが揺れて実に目の毒だった。


「今だ、行け……どうした、俺……!」


 横から颯爽と現れ、本を取ってやり同時に謝罪を口にする。頭の中では流れが完璧に思い浮かんでいるというのに、光斗の脚は根が張ったように動かなかった。加えて極度の緊張と恐怖に歯の根が合わなくなり、心臓の鼓動が際限なく高鳴って行く。


「くそっ! 何で行けないんだよ、この腰抜け野郎……!」


 結局姿を晒す事が出来ず、書棚に背を預けて自らの軟弱な精神を罵る。

 謝罪一つ出来ないばかりか、過剰なまでに怯え怖がるなど情けない事この上無い。正にチキン野郎とでも言うべき醜態だ。

 だが光斗はプライドが邪魔して謝罪出来ないわけでは無い。許して貰えない事が怖くて話しかける事が出来ないわけでもない。決して許されない罪を犯した事を自覚いるからこそ、良心の呵責に苦しんでいるのだ。

 光斗が犯した罪、それは幼稚で愚かな子供の八つ当たりである。昨日の事のように鮮明に思い出せる五年前の事、愛する父がトンネルの崩落事故により亡くなったという報せを受けた日の事だ。

 直接事故に巻き込まれたわけでは無く、偶然その場に居合わせ事故に巻き込まれた少女を助け、その結果亡くなってしまったというあまりにも不運で愚かな死因。

 当時十一歳だった光斗は現実が受け入れられなかった。父を死に追いやった張本人でありながら、恥知らずにも光斗を慰めようとする少女を許せなかった。だからこそ怒りと悲しみのあまり、許されざる暴言を口にしてしまったのだ。


『お前なんかに俺の気持ちが分かるわけ無いだろ! お父さんじゃなくて、お前が死ねば良かったのに!』


 それこそが、光斗の罪。憎悪を乗せて紡いだ呪詛の言葉に、あの時の少女――久遠が見せた絶望と悲しみに打ちひしがれる表情と涙は、決して記憶から消える事は無い。

 数ヵ月もすれば、光斗は自分がどれほどの暴言を口にしたのか気付いてしまった。自分のせいで人が、しかも幼馴染の父親が亡くなってしまったというのに、気に病まない者などいるはずもない。久遠も光斗と同じか、それ以上に傷つき悲しんでいたのだ。

 そんな久遠に、光斗は信じがたいほどの罵声を浴びせた。子供の幼稚な語彙力を総動員してあらん限りの罵倒を口にして、あまつさえ『お前が死ねば良かったのに』という残酷極まる言葉をぶつけてしまった。

 己の過ちに気付いた光斗だったが、犯した罪が重すぎる故に謝罪を行う事が出来なかった。あれほどの罵声を浴びせ傷つけた自分を、久遠が恨んでいないはずがない。謝罪をすれば、今度は自分があらん限りの罵声を憎悪と共にぶつけられる。それを思うと恐怖に身体が震え、謝罪のために話しかけるどころか碌に近付く事すらままならなかったのだ。


「本当にクズだなぁ。女の子に謝る事も出来ないなんて。こんなんじゃ父さんに叱られちまうよ……」


 あまりにも愚かで情けない自分が心底惨めで無様に思えて、自嘲気味に独り言ちる。

 自己犠牲精神に満ち溢れ、眩しいほどに誠実で実直だった健太郎だ。罪を犯しておきながら五年もの間謝罪せず、幼馴染でありながら疎遠になってしまった事を知られれば、あの世から化けて出る程に憤るかもしれない。

 腰抜けな自分にはその方が有難く、感傷的になった光斗は亡き父の厳しくも情に溢れた説教を思い出すのだった。たっぷりと説教をして貰えれば、きっと恐怖を乗り越えて謝罪する勇気が出るはずだから。


「――きゃあっ!?」

「うわあっ!?」


 他力本願な事を考えていた罰が当たったのだろうか。歩いてきた久遠に気が付くのが遅れ、角で鉢合わせする形で顔を合わせてしまった。光斗は不意に至近距離に近付かれた事に対しての驚愕と恐怖から悲鳴を上げたが、久遠の悲鳴も負けず劣らず迫真であった。

 あの頃と変わっていないのなら、久遠は臆病で引っ込み思案な性格だ。書棚の陰に隠れていた人物に心底驚き、腰を抜かしかけているのも無理は無かった。


「あ……こ、光斗、くん……?」


 数秒ほどして立ち直り、次いで自分を驚かせた男が誰か気付いたらしい。ぽかんとした様子で光斗の名を口にしてきた。疎遠になって五年経過しているにも拘わらず、名前を覚えていてくれたらしい。尤も久遠からすれば光斗は自分を激しく傷つけた、最低最悪のゲス野郎だ。忘れろと言う方が無理な相談に違いない。

 半ば事故のような邂逅だが、これは謝罪を行う千載一遇のチャンス。小中と同じ学校であったにも拘わらず、謝罪は出来なかった。高校に入学して二年の春である今に至るまで同じ有様。

 ここを逃せばチャンスは無い。覚悟を決めた光斗は乾いて口蓋に張り付く舌を回し、何とか言葉を絞り出そうとした。


「あ……ぁ……!」


 しかし情けない事に、口から零れ出たのは恐怖に零れる嗚咽のみ。舌は回らず、足はがくがくと震え、早鐘の如く脈打つ心臓の鼓動が耳の奥で響く。

 謝りたいという気持ちに嘘はない。許しが得られなくとも構わない。しかし千の罵倒と万の呪詛を浴びせられる事があまりにも恐ろしく、生きた心地がしなかった。

 久遠はまだ状況を理解していないらしく、可愛らしくきょとんとした様子だ。しかしほんの数瞬後には目の前に立つゲス野郎の所業を思い出し、愛らしい面差しを憤怒と憎悪に歪める事だろう。光斗にはそれが耐えられなかった。


『――五時になりました。下校時刻です。皆さん、暗くならない内に帰宅しましょう』


 金縛りにあったように動けないでいると、絶妙なタイミングでチャイムが流れ帰りの放送が響き渡る。恐怖に震えている所に不意打ちされる形だったので危うく心臓が止まりかけたが、おかげで凍り付いてたいた身体は僅かに弛緩した。


「……っ!!」

「あっ!? こ、光斗く――」


 気付けば震える足を叱咤して、久遠の表情が変貌する前に逃げ出していた。図書館では静かに、廊下は走らない――そんな決まりすらも忘れ、全力で。

 当然背後を振り返る事もしないため、突然目の前から逃げ出した光斗に久遠がどのような反応を示したか知る由も無い。とはいえ決して好意的な反応をしていない事は嫌でも分かっていた。自分は憎まれて当然の存在なのだから。


「はあっ、はあっ……!」


 故に光斗はひた走った。廊下を駆け抜け、階段を数段飛ばしで駆け下り、上靴のまま昇降口を抜け外に出る。久遠の憤怒と憎悪が絡みついて離れない感覚があり、背後を振りむけば般若の形相をした久遠が追いかけてきている――そんな感覚がしたのだ。

 振り切れない恐怖から逃れるために、心から願った。もっと速く、どこまでも速く。恐怖すら置き去りにして逃れられる速さを。


「――えっ」


 瞬間、世界から音が消え去った。加えてまるで時が止まったように、全てが凍り付いて停止する。突然の静寂と停止した世界に、思わず足を止めて周囲を見回してしまう。

 下校中の生徒たちはパントマイム染みた中途半端な姿勢で凍り付いており、表情はもちろん眉一つ動かない。性質の悪いフラッシュモブに巻き込まれたのかと一瞬考えるも、すぐにそれは間違いだという事を悟る。

 理由は単純。夕焼けの空を飛ぶ鳥の群れすらも凍り付き、空中で静止していたからだ。翼から抜け落ちたのであろう羽根や、風に煽られ宙を舞うビニール袋すら、完璧にぴたりと静止している。

 紛う事無き異常事態。しかも朝に遭遇した物とは比較にならないほどの規模であった。


「な、何だよ、これ――うおっ!?」


 そして更に異常は続く。不気味な状況から逃げるように足を踏み出した次の瞬間、両脚が信じられないほどの速度で回転を始めたのだ。さながら昔の漫画で見られる、足を渦巻き状に描いた全速力のダッシュのように。


「うわああぁぁぁあぁぁぁぁっ!?」


 残像すら残す足の回転に釣られ、光斗は大地を疾走する。

 その速度は異常の一言。周囲の光景はぼやけた色の塊としか認識できず、それすらも一瞬で遥か後方に消えて行く。前方に見える景色も凄まじい勢いで流れていき、自分が今どこを走っているのかすらも分からない。足を止めようにも身体が言う事を聞かなかった。

 あまりの速度に途轍もない風圧が顔面を打ち据え、まともに目を開ける事さえ叶わない。理解不能の状況だが、人や物に衝突すれば大惨事が起こる事は間違いなかった。

 故に光斗は暴風に逆らい必死に瞼を開き、ぼやけて引き伸ばされた色としか認識できない何かを勘と運を頼みに躱して行く。一応それが成功しているのは、光斗が何かに衝突して爆発四散していない事からも明らかだ。

 しかしいつまで死に物狂いかつ綱渡りの努力を続けなければならないのか。そもそも今の自分に何が起きているのか。訳が分からず理不尽な現実に泣きそうになった頃――


「――ごぼっ、がぼぼっ!?」


 一瞬の浮遊感を覚えた直後、身を切るような冷たさを持つ流動性のある物質に全身を包まれた。ぼやける視界の中で鼻と口から零れ出る気泡を目にして、自分が初めて水の中にいるという事に気が付く。どうやら池か川か湖か、水のある場所に落ちたらしい。


「――ぶはっ! はあっ、はあっ……!」


 必死に水を掻き分け、水面へと上がり酸素を貪る。視界を巡らせると緑の芝に覆われた土手や、前後にどこまでも続く水の流れが目に入る。落ちたのは川の中だったらしい。とりあえず泳いで岸へ上がると、すぐ上の土手を乗用車がエンジン音を響かせ走って行く。

 見れば車は普通に動いており、空を鳥が自由に羽ばたいていた。世界が静止する謎の現象も過ぎ去り、脚の回転も収まっている。ひとまず危機は過ぎ去ったようで、光斗は安堵のあまりその場にへたり込んで深々とため息を零した。


「全く、今日は朝から一体何なんだよ……ていうかここ、どこだ?」


 肌に張り付く衣服の不快感を堪え、歩く度に気持ち悪い水音が立つのを我慢しながら、土手を上がり周囲を見回す。慣れ親しんだ街並みの光景とは若干異なる辺り、相当な距離を移動してしまったらしい。川にかかる橋を見れば、欄干にプレートが設置されているのが目に入る。情報を求めて歩み寄った光斗は、刻まれた川の名称を前にして目を剥いた。


「嘘だろ、水清(すいしん)川!? てことは隣町じゃないか!」


 水清川は星宮市の隣にある双星(そうせい)市を流れる大河。かなり大雑把だが、自宅や南十字高校から五キロは離れている。普通は走っても数十分はかかる距離だ。

 恐る恐る腕時計に視線を落とすと、時刻は五時三分。最後に時刻を確認したのは図書室から逃げ出す時だ。時計を見たわけでは無いが、五時の放送が流れたタイミングなので時刻は間違いなく五時ジャスト。図書室を出てから校庭に至るまでを一分、川に落ちてから時刻を確認するまでを一分とした場合、移動に費やした時間もまた一分。

 五キロメートルの距離を一分で走り抜けた場合、導き出される速度は秒速八十三メートルほど。時速にしておよそ三百キロメートルだ。当然生身の人間が出せる速度ではない。何せ世界最速の男、ウサイン・ボルトの約七倍の走行速度なのだから。


「俺、新幹線並みの速さで走ったって事……?」


 恐ろしい事実に動揺を禁じ得ない光斗は、何度も周囲や腕時計を確認してしまう。

 しかし周囲の光景は相変わらず隣町のものであり、時計も辻褄合わせに何十分も進んでくれる事はない。残るは白昼夢の類だが、川に落ちてずぶ濡れの制服が肌に張り付く不快感と身を切るような寒さが、明確に現実だと訴えかけてくるのであった。

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