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光速超越せし救世主~サオシュヤント・ルチルクォーツ~  作者: ストラテジスト
第5章

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血塗られたサファイア

 途方も無く柔らかで暖かな感触がぎこちなく押し付けられ、啄ばむように食んでいる。不意の出来事に光斗は思考すらままならず固まってしまった。何より触れ合う唇から流れ込んでくる至福に満ちた感情が、逃れるという選択肢を頭の中から消し去っていた。

 時間にして十数秒ほどだろうか。いじらしい口付けを終えた久遠は、満足気に微笑みながら己の唇の端をぺろりと舐め上げていた。臆病で引っ込み思案な久遠に似つかわしくない妖艶な表情に魅入られ、呼吸すら忘れ見惚れてしまう。


「この力を得て理解出来た事なんだけどね、時間の流れっていうのは凄く残酷なの。過去に戻って歴史を変えても、新しい時間軸が生まれるだけで未来が変わるわけじゃないの」

「……え?」


 だがそんな彼女が口にしたのは、今の口付けの説明では無く時間の流れに関する話。突然の話題転換に首を傾げそうになるものの、未来は変わらないという言葉に浮ついた気持ちは吹き飛んでしまった。


『例えるなら時間とは樹木のようなもの。新しい時間軸は分かれた枝葉のように分岐して広がっていく。往々にして元の枝はそのまま成長し続けるが、著しい変化を生み出した場合はその限りではない。世界の滅亡という過去を変えた場合、間違いなく本来の時間軸は消え去る事だろう。私たちの存在を含めて、な』

「もしかすると、時間軸はすでに消えてるかも。私たちがまだここに残ってるのは、時間操作の<星彩光(アステリズム)>を持ってるからじゃないかな」

『それと、グリーフが誕生する可能性がまだ消えていないからだろうな。お前たちの勝利が確定した時、グリーフが誕生する意味も必要も無くなる。故にその瞬間、私たちは消え去るだろう』


 何の恐怖も怯えも見せず、二人は淡々と恐ろしい事実を述べる。

 彼女たちの凄惨な過去は変わらない。それどころか自分の存在が消え去るという、死と変わらない結末が待ち受けているというのに。


「そんな!? ヴィーヴルを倒したらお前たちは消えちまうって事なのか!? 何とか出来ないのかよ!?」

「もう良いの。だって心残りは無いから。光斗くんに恨まれてなかった事が分かったし、最後に想いを伝える事も出来たもん。だから――私の事は、忘れてね?」

『所詮我らはあり得た可能性の欠片。変貌した未来の残滓。蜃気楼のようなものじゃ。嘆きの底から生まれた怪物の存在は全て忘れ、幸せな道を歩むが良い』


 晴れやかな笑顔で悲しい台詞を零す久遠とステラ。彼女たちは存在の消滅を覚悟し、受け入れているのだ。絶句する光斗の前で、久遠はルチル譲りの高速移動を発揮してその場を離脱した。かろうじて輪郭を保っている校門を抜け、真っすぐに駆け抜けて行く。


「ま、待ってくれ、久遠!」


 慌てて追いかける光斗に対し、久遠はすぐに足を止めてくれた。

 だが光斗の懇願を聞いてくれたわけではない。住宅が目の前に立ち塞がり、直進できなくなったために立ち止まったのだ。

 それはつまり、可能な限り直線移動する必要があったという事。高速移動能力を持つ者が出来る限り直線移動を求める理由など、たった一つしかない。己の速度を最大限に活かすための、助走距離の確保だ。


「さよなら、光斗くん。私はあなたの事が、子供の頃から好きでした」

「久遠……!」


 最後に光斗に微笑み、告白を口にしてくる久遠。愛と情、そして懐古と後悔に満ちた複雑極まる笑みはとても美しく、涙が出る程悲しい表情であった。


「――時を駆けよ、絶望の(ブラッディ・スター)未来を覆すためにサファイア・エリーニュス


 だが次の瞬間には、彼女の表情は覚悟と憎悪に歪む。胸元から生じた星紅玉が身体を覆い尽くし、悪魔的なフォルムの全身鎧を構築する。目がくらむ輝きと放たれる埒外の殺意に、光斗が思わず後退ってしまうほどに。

 今更ながら、サファイアがルビーと化した理由が理解出来た。アレは血だ。大切な人たちの血と、己自身が流した血涙により紅く染まった、血濡られた蒼玉の輝きなのだ。


「く、久遠! 駄目だ、止めろっ!」

『こやつら、己の身を犠牲に……!』


 止める間もなく、久遠は水晶膜を纏わず走り出した。発生した衝撃波に吹き飛ばされ一歩遅れて後を追うが、追いつくどころかまともに姿を見る事すら敵わない。光速を越える事さえ可能な久遠が、己の命を顧みない速度で神風を成すために疾走しているのだ。どれだけ意識を加速させようと、最早紅いレーザーが発射されたようにしか見えなかった。

 大気圏に突入した隕石やスペースシャトルが如く、断熱圧縮で燃え上がり激しいプラズマを帯びながら駆け抜ける久遠の後ろ姿。かろうじて見えるその軌跡と残像は、真っすぐにヴィーヴルを目指しひた走っていた。


『未来より来る光速の拳! とくと味わえヴィーヴルぅぅぅぅぅぅっ!!』

「はあああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 ステラと共に咆哮し、久遠は大地を蹴って最後の加速を加えた跳躍を行う。

 凍り付いた極彩色のブレスを身体で引き裂き破壊しながら遡り、固く拳を握りヴィーヴルの頭部へと迫る。

 ブレスを相殺していく過程で、全身からルビーが砕け散り剥がれ落ちて行く。宙を漂う紅い煌めきは彼女たちが流す涙を、あるいは命の炎が火の粉として散っていく様を幻視させた。


「――っ!!」


 亜光速の流星と化した星紅玉が、鋼鉄と宝石に鎧われたヴィーヴルの頭部に炸裂する。静寂に満ちていた世界を、超新星爆発を想起させる域の閃光と轟音が引き裂いた。

 激烈に過ぎる光と衝撃で一時的に前後不覚に陥った光斗だったが、加速している事もあり数秒で感覚は正常に戻っていた。色と形が戻って来た視界に最初に収まったのは、頭部が半分以上も粉砕され倒れ伏したヴィーヴルの死体であった。


「……えっ? い、一体何が、起こったの?」

「わ、分かりません。気が付いたら、突然ヴィーヴルが倒れて……」

「こ、光斗くん、どこ? 光斗くん!?」


 次いで目に入ったのは、状況が分からず戸惑っている仲間たちの姿。必殺のブレスに死を覚悟しながらも全力の防御を固めていたというのに、気が付けばブレスそのものが消えてヴィーヴルが倒れているのだ。混乱して然るべき状況である。

 しかし今だけは彼らに構っている暇は無かった。クレーターの片隅に転がる、半壊した星紅玉の鎧を纏った少女の安否が気がかりだったから。


「久遠っ!!」


 即座に彼女に駆け寄るも、すでに息を引き取っているのは明らかだった。亜光速の拳を放った右腕は右胸の辺りから完全に消失しており、紅い血が真っ赤な池を形作っていた。

 損壊した鎧の下に見える肌も抉れ砕け、最早原型を保っているのが不思議なほど。あまりにも無残で、惨たらしい死に様。けれど直前に口にした通り、もう悔いは無かったのだろう。奇跡的にほとんど損傷の無い相貌には、怨敵を打ち滅ぼし光斗たちを救った事による満足気な笑みが浮かんでいた。


「光斗! 一体何が――って、嘘っ!? その人、まさか……!?」

「グリーフ……いえ、久遠さん、なのですか?」

「わ、私と、同じ顔……?」


 続々と駆け寄ってきた翠たちは、光斗が腕に抱えた少女の遺体に言葉を失う。

 ボロボロに砕けた星紅玉の鎧でグリーフだという事は一目で分かり、露わになった面差しは久遠と瓜二つ。驚愕を禁じ得ないのは至極当然の成り行きであった。


「グリーフの正体は、未来からやって来た久遠だったんだよ。俺たちを狙う凶悪な怪物なんかじゃない。理不尽な結末を変えるために自分の身を犠牲に救いをもたらした、本物の救世主だったんだよ……」

『こやつがやっていた事は全て、わらわたちを生き残らせるための行動。本来の時間軸では、皆死んでおった。街を救い、世界を救い、わらわたちを救い、ヴィーヴルを倒したのはこの久遠じゃ。敬意を払え、お主ら』


 事情を知らぬ翠たちに、ルチルと共に悲しみを堪えながら説明する。未来の久遠が凶悪な敵と勘違いされたままなど、絶対に看過できなかったから。


「そっか……あたし達の運が良すぎたんじゃなくて、全部未来からきた久遠が導いてくれてたんだね……」

『そして自ら悪を演じる事で我らを高め、最期には己の身を呈して世界を救ったというのか。何という、自己犠牲の心……』

「僕の予想は、当たらずとも遠からずといった所だったんですね。もしも彼女の導きが無ければ、僕は……」

『死んでいたんだね。君の家族と、そしてボクと一緒に。彼女は間違いなくボクらの恩人だよ、宗二』

『ルビーになっちゃうくらい、いっぱい血を流して、泣いて……それでも、走り続けたんだ。凄いよ、久遠……』

「光斗くんのために、頑張ったんだね。ありがとう、私。ゆっくり休んで……」


 沈痛な面持ちから慈愛に満ちた表情まで反応は様々だが、<結晶人>も含め皆が未来から来た久遠の冥福を祈る。その救世主の如き行いの数々と、彼女が味わったであろう悲哀や苦痛に思いを馳せながら。

 例え世界から存在が消え去ろうと、未来から過去を救いにやってきた英雄の存在は、決して忘れられる事は無い――


「――待て、おかしいぞ」


 彼女の存在を深く胸に刻み付ける最中、光斗は異変に気が付いた。

 ヴィーヴルを倒せば、自分は消えると彼女は言っていた。だが遺体は依然として腕の中に存在している。ヴィーヴルが倒れたというのに、消滅していないのだ。それが意味する事に辿り着き、一気に血の気が引いた。


『まさかあやつ、まだ生きておるのか!?』

『――ぐ、ル、ゥ……!』


 同じ予想に至ったルチルと共に視線を向けた瞬間、ヴィーヴルが半身を起こす。

 恐ろしい事に、頭部が半分ほど欠けた状態でありながらまだ息があった。ボタボタと大量の血液と脳の一部を垂れ流している辺り、あと僅かの命なのは明白。まともな意識すら残っているかどうかも怪しい。だが片方しかない紅い瞳には、光斗たちに対する殺意と憎悪の色が激しく燃え上がっていた。


『ゴオオォォォォォォォォォッ!!』


 半死半生の状態で天を見上げ、渾身の咆哮を上げるヴィーヴル。轟く大音量に思わず耳を塞ぎながらも、光斗たちはすぐさま戦闘態勢に移ろうとする。相手は強大だがすでに虫の息。エネルギー吸収にさえ気を付ければ勝てない相手ではない。

 まずは未来の久遠の亡骸をどこか安全な場所に運ぶべき――そこまで考えた所でヴィーヴルは糸が切れたように身体から力を失い、地響きを立てて倒れ伏した。まるで最後の咆哮で全ての力を使い果たしたが如く。


「び、びっくりしたぁ……まだ襲い掛かって来るのかと思ったよ……」

『ほ、本当にね。私、怖くて泣きそうになったよぉ……』

「ふん、所詮は爬虫類ですか。最期の力を振り絞って、僕たちを驚かせるのが精いっぱいだったようですね」

『宗二、声が震えてるよ。あと膝も笑ってる』


 呆気ない最期に、久遠と宗二は<結晶人>と共に胸を撫で下ろしていた。

 弛緩した空気に光斗も軽口の一つでも叩きたい所だったが、唯一異様な反応をしている者に気が付き逆に警戒を深めざるを得なかった。何故なら日頃から一番騒がしいはずの少女が、酷く不安げな顔で周囲を見回し激しく狼狽えていたから。

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