グリーフの正体
「……これ、は」
閃光が過ぎ去り感覚が戻って来た時、世界は様変わりしていた。
全てが消し去られ虚無と化したわけではない。森羅万象、あらゆるものが停止しているのだ。何一つ動くものは存在せず、耳が痛いほどの静寂に満ちた不気味な世界が広がっていた。
意識を加速させた時の状況にも似ているが、感覚的に違うと分かる。そもそも今の光斗は意識の加速を行っていないのだから。
『光線すら停止しておる。まるで時間が止まったかのようじゃ。いや、実際に止まっておるのじゃろうな……』
眼前では蒼玉の大盾を構えた久遠の前に、極彩色の光が輝いている。どうやらヴィーヴルのブレスは金属と氷の防護壁を全て纏めてぶち抜いたらしい。大盾に触れる寸前で完全に停止していた。
幾ら光斗が加速出来ても、光すら停止して見える速度は出せない。故に光が完全に停止して見えるのなら速度の問題ではない。時間そのものが停止しているのだ。
恐らくは時間操作の<変彩光>か<星彩光>。超常の力の中でも群を抜いた、神の御業に近い能力でのみ成せる技。幸いな事に光斗とルチルには、この神がかり的な超常を成せる唯一の存在に心当たりがあった。
『――あまり驚かないのだな。さてはすでに私の正体を掴んでいたか?』
唯一の存在――グリーフが、気付けば隣に佇んでいた。唐突な出現に加え、血も凍る程の濃密な殺意と憎悪を放つ姿に一瞬身を固くしてしまう。
しかし今なら良く分かる。グリーフの殺意と憎悪は光斗たちに向けられていない。地獄の底から沸き上がる瘴気にも似た怨念は、凍り付いたヴィーヴルにのみ向けられていた。
「ああ。かなり突拍子もない説だったけど、この光景を見て確信したよ」
『正直な所、半信半疑だったのじゃがな。時間停止などという神の御業を見せられては仕方ないじゃろう』
嘆息しつつ、地面に若干埋まった足を引き抜き立ち上がる。
時間停止の影響で超重力は消え去っており、身体はとても軽やかだった。腕の中の翠は久遠たち同様に凍り付いていたが。
『なるほど。では答え合わせだ。私は一体、何者だ?』
左手を己の胸に当て、問いを投げかけてくるグリーフ。悪魔染みた凶悪な面貌のせいで表情は窺えないが、漂う気配にはどこか期待が滲んでいた。
光斗は抱えていた翠を地面に下ろすと、正面からグリーフと向き合った。あるいは、残酷な未来と。
『グリーフよ。嘆きの化身よ。お主の正体は――』
「――未来からやってきた、俺の幼馴染。金見久遠だ」
ルチルの言葉を引き継ぎ、答えを口にする。実に馬鹿げた突拍子の無い、出来れば間違っていて欲しいと切実に願う凄惨な答えを。
しかし現実とは非情なもの。グリーフは一切の否定を見せぬまま、硬質な音を響かせ身に纏った紅玉を胸元に収束させていった。サファイアの鎧を纏う久遠の姿を、逆回しで見ているかのように。
「――ふふっ。正解だよ、光斗くん。気付いてくれて嬉しいな」
鎧の下から現れたのは、紛う事無き久遠の姿だった。嬉しそうに笑いかけてくる面差しも、多少野暮ったい丸眼鏡も、身を包んだ学生服も、全てが光斗の知る久遠のまま。
けれど彼女は間違いなくこの時間軸の存在ではない。光斗の背後には、今もサファイアの大盾を構えたまま凍り付いている久遠の姿があるのだから。
「でも、ちょっと悔しいな? 正体がバレないよう頑張って演技をしてたのに」
「頑張り過ぎだろ。何度殺されると思ったか分からないぞ……」
『全くじゃな。演技力が高すぎるぞ、お主。そもそも何故悪人を演じておったんじゃ』
「ご、ごめんね? 明確な敵が存在した方が、みんな団結してくれると思ったの。それに光斗くんには憎まれてるって勘違いしてたから、いっそ憎まれ役になった方が良いかなって思って……」
若干肩を落とす未来の久遠の演技力に、光斗たちは舌を巻く他に無かった。それほどまでに、彼女のグリーフとしての演技は真に迫っていたのだ。
「しかし本当にグリーフの正体が久遠だったなんてな。俺たちの予想はある意味正しかったって事か」
グリーフの正体は未来からタイムスリップしてきた久遠である――光斗とルチルがこの真実に辿り着けたのは、複数の情報が複雑に絡み合った結果である。
特にグリーフが纏っていた星紅玉――スタールビーの鎧。ルビーとはコランダムという鉱物の変種であり、サファイアと対を成す存在。不純物の違いで色が違うだけで、性質はサファイアと何ら変わらない。極論色が違うだけのサファイアと言い換えても間違いでは無いのだ。
加えて星の輝きを宝石の内に宿す星彩効果とは、ルチルが宝石内に閉じ込められる事によって発生する光学現象。つまりスタールビーとは、ルビーとルチルが作り上げた二重の宝石なのだ。
そして地球に降り立った<結晶人>にはルビーと同種であるサファイアと、星彩効果を生み出す要たるルチルがいる。グリーフと光斗たちに何らかの拘わりがある事だけは、この時点で明らかだった。
『――くくっ、あの小僧実に鋭かったな? だが時間軸までは考慮できなかったようだ。故に外れという事だな』
光斗の呟きに笑って答えたのはルチル――ではない。久遠の隣に現れた、彼女と融合している<結晶人>であるサファイアの姿。
しかし彼女は光斗の知るサファイアとは様変わりしていた。美しい青い髪は血で染め上げたかの如く深紅に染まっており、蒼玉の瞳は金色に輝いている。いつも怯えていた表情にはルチル染みた人を小馬鹿にした笑みが浮かんでおり、口調もルチルに近かった。
『わらわ……いや、サファイアなのか?』
『今の私はステラと名乗っている。まあお前たちにも気軽に名を呼ぶ事を許してやろう』
『何じゃコイツ、偉そうじゃな……』
どうやらスタールビーと化した事で、<結晶人>同士も融合を果たしたらしい。赤く染まったサファイアの見た目と、どこか傲慢で鼻につく態度のルチルが一つの存在として自我を確立しているようだ。同族嫌悪でも感じたのか、ルチルはサファイアの見た目を持つ己の姿に眉を顰めていた。
『じゃがこれで納得がいった。わらわとサファイアが融合すれば、時間操作の<星彩光>に手は届こう』
「ああ、そこも予想通りだったな」
時間遡行、タイムトラベル――表現は色々あるが、大前提として求められるのは過去に向かう方法だ。その方法の一つが、秒速三十万キロメートルの光の速度を越える事。現代科学では不可能だが、<光速超越せし救世主>という<星彩光>ならば可能だ。
恐らく光斗もやろうと思えば光速に近い所までは出せる。しかし光速に至る前に確実に死ぬ。肉体を持つが故に身体が負荷に耐えられないからだ。水晶膜と水晶鎧の防護はあるものの、元々水晶もかなり脆い部類の宝石。限界ギリギリまで耐えられるとしても、マッハ数十が関の山である。
しかし<光速超越せし救世主>という<星彩光>に加え、<共にあるに相応しき英雄>という<星彩光>を同時に持てば話は変わる。サファイアという強固な鎧を全身に纏う事で、無類の防御が肉体を保護してくれるのだ。それでも光速を越える速度に耐えられるかは疑問が残る所だが、この場に未来の久遠がいるという事は見事やり遂げたのだろう。
『何だ、もうほとんど真実に辿り着いているではないか。つまらんな』
「凄いね、光斗くん。いつ気が付いたの?」
「決定的だったのは、あの時だ。昨日こっちの久遠と話した時、星宮タワーでの約束について聞いてみたんだよ。何であの時あの場所を選んだのかって。そしたら、まあ……」
『約束など知らぬ、と言われたのじゃ。そこで全てが繋がったというわけじゃよ』
久遠がグリーフであると疑われる原因になった、大型旅客機の墜落事故。星宮タワーで待ち合わせ話をしたいという約束に対し、久遠は初耳だと言わんばかりの反応をしていたのだ。『約束? ごめんね、何の事?』、と。
あそこで惚ける意味など無い。本当に久遠は身に覚えが無かったのだ。となれば光斗が約束を結んだのは、そもそも久遠ではないという事になる。
ルチルとコランダムが織りなすスタールビー。光速の超越の可能性。久遠の姿をした久遠ではない何者か。三つの情報が揃えば、連鎖的に他の情報や違和感が脳裏に溢れ返る。グリーフと久遠の利き手が同じ左手である事。幼い光斗の失言をグリーフが知っており、光斗の謝罪に動揺を示した事。そして謎のメールの差出人。未来から来た久遠の存在を当てはめれば、全てが腑に落ち辻褄が合ってしまうのだ。
尤も破天荒に過ぎる仮説のため、実際に目の当たりにするまで確信は持てなかったが。
「あー、私に聞いちゃったんだ。でも仕方ないかぁ。光斗くんを星宮タワーに自然に呼び出すには、私が動くしかなかったんだもん」
「やっぱりか。俺をあそこに呼び出したのは、飛行機事故を止めて宗二と接触させるためだったんだな」
「うん。私の時間軸だと、宗二さんはあそこで死んじゃってたの。そもそも接触すらしてなくて、最後の足掻きに<変彩光>を使った形跡があったから、かろうじてあの場にいた事が分かったんだ。だから事故の直前に光斗くんを誘導したんだけど、まさか誰一人犠牲を出さずに乗り切るなんて思わなかったよ。さすがはヒーローだね?」
暗く陰を落とした表情で語る久遠に、光斗は酷く胸が痛む。
こちらの時間軸では光斗と翠、そして宗二の三人で力を合わせる事で、何とか犠牲者ゼロで乗り越える事が出来たのだ。宗二しかあの場にいなかった本来の時間軸では、果たしてどれほどの惨劇と悲劇が巻き起こったのか。
「なあ、久遠。お前が過去に来たのは、未来の結末を変えるためなんだろ? お前の時間軸では、俺達はどうなったんだ……?」
「……知らない方が良いよ、光斗くん。その方が幸せだから」
恐る恐る尋ねてみると、久遠はどこか痛々しい笑みで返してくる。その表情に込められた尋常でない悲哀に、最早かける言葉が何一つ浮かばなかった。
「でも、これだけは話しておくね。私が悪役を演じて手荒な真似もしちゃったのは、光斗くんと翠さんを早く出会わせたり、<結晶人>が早く目覚めるようにエネルギーを注ぎ込んだり、この時間軸の臆病な私に発破をかけたりするためだったの。ヴィーヴルと戦えるくらい、皆に強くなってもらうためだったんだよ。好き好んで光斗くんたちに酷い事をしたかったわけじゃないの。そこだけは信じて欲しいな?」
『むしろ久遠はどうしても手を加えてしまうから、戦いの際は私がグリーフを演じていたんだぞ? まあ自分自身を相手にしていた時はコイツも思う所があったようで、私の制御を奪いコイツ自身がかなり本気で戦っていたがな』
「ああ、そういう事だったのか……」
幼い頃を思い出させるどこか怯えた様子に、紛れも無く彼女も久遠なのだと実感する。同時に今までの彼女の行動が完璧に腑に落ちた。考えて見ればずっと疑問だったのだ。何故グリーフは加速した身体での肉弾戦ではなく、高速振動によって生じた稲妻を用いた迂遠な攻撃ばかり行って来たのか。
実際はそもそも殺す気が無く、休眠状態の<結晶人>にエネルギーを与える行為だったのだ。ルチルが首を捻っていたように、彼女たちの目覚めが異様に早かったのはそのおかげなのだろう。
久遠を目の敵にしてやたら苛烈に攻めていたのも、自己嫌悪の発露と考えれば納得できた。光斗は久遠自身に何ら嫌う部分は無いが、自分自身を嫌う気持ちだけは大いに共感できるのだから。
『となると、本来の未来では……』
そして同時に、本来の自分たちの未来も自ずと理解出来た。凄惨な未来に言葉が出ないのか、ルチルは言いかけて口を噤む。
久遠が干渉した出来事から逆に考えれば、恐らく碌に情報も準備も無いままヴィーヴルが襲来したのは想像に難くない。全員が<星彩光>を身に着けた状態でさえ、纏めて一網打尽にされかけたのだ。恐らく久遠以外は全滅し、世界が滅亡したと見て間違いない。
「……気にするな、久遠。いや、むしろありがとう。お前のおかげで俺たちは犠牲無くここまで辿り着く事が出来た。あとはヴィーヴルを倒すだけだ。お前が力を貸してくれるなら、これ以上に心強い事は無い。一緒にヴィーヴルを倒そう、久遠」
だがここで未来を変えれば、久遠の凄惨な体験も無かった事になるはず。全てが丸く収まり、ハッピーエンドに収束するに違いない。
故に光斗は手を差し伸べた。輝かしい未来を取り戻すため共に戦おう、と。絶望の未来を覆すために過去に戻り手助けをしてくれた彼女が、この申し出を断るはずも無かった。
「………………」
「……久遠?」
しかし久遠は寂し気に笑うだけで、光斗の手を握ろうとはしなかった。
代わりに自然な動きで数歩前に出て、光斗の懐に入り込むと――
「んっ――!?」
『おおっ!? 何しとるんじゃ、こやつ!?』
その桜色の唇で、口付けてきた。




