予想外の出来事
⋇暴力描写あり
⋇残酷描写あり
ビルを駆け下り、車道を疾走し、音を置き去りにして大地を駆け抜ける。
同じ高速移動能力者。しかし力の差は歴然であり、前方を行くグリーフの姿は刻一刻と遠ざかっていく。
『大言壮語を吐いた割には、相変わらず鈍間なままとはな。まさかそれが全力か?』
高速走行の最中、グリーフは肩越しに振り返り嘲りの言葉を投げかけてくる。
どうやら高速移動能力者同士であるため、加速された意識により通常の時間の流れと同じやりとりが出来るらしい。だからといって超音速で走りながら言葉を投げかけ、余所見をする余裕まであるのだから実に腹立たしい。
「いいや、ようやく身体が温まって来たところだ!」
しかし初めて遭遇した時とは異なり、光斗自身の経験や能力の習熟も進んでいる。それは水晶膜の耐久性も同様であり、以前よりも限界速度が向上していた。
故にギアを一段上げ、更なる加速を以てグリーフに追いすがる。全霊の疾走を重ねる光斗の身体からは自然と金色の光が放たれ、流れ星のように尾を引いて後方に流れて行く。原理も理由も不明の発光現象であるが、<変彩光>という超常の能力を扱える時点で今更の話である。
疑問は捨て置き、全力の走りに全てを賭ける。速度はおよそ秒速七百キロメートル。マッハ二という超絶的な速度だ。徐々に開いていたグリーフとの距離が、今度は逆に縮まりつつあった。
『なるほど、確かに以前よりは速くなったようだ。ではもう少し速度を上げてもついてこられるか?』
しかし手が届きそうな距離まで肉薄した瞬間、グリーフは更に速度を引き上げた。爆発的な加速により、一瞬にしてその背が遠ざかっていく。あまりの速度に光斗ですら見失いそうになったほどだ。
「アイツ、まだ速くなるのか!? クソッ、負けてられるか……!」
気合と根性で限界を超越し、更なる速度の次元へと踏み入る。金色の光を撒き散らしながら疾走を重ね、紅の軌跡に食らいつく。再び距離が縮まっていくも、グリーフは更なる加速を行い距離を離して行く。
傍から見れば禍々しい紅の龍と輝かしい金色の龍が螺旋状に絡み合い、互いを食らいながら光の軌跡を街中に描く白熱したデッドヒートに見えた事だろう。
『……やはりこの程度か。結局私を追い抜くどころか、触れる事さえできないとはな』
体感的には何十分も走り抜けた末、先を行くグリーフが失望を露わにする。
追走劇は終始グリーフの独壇場であり、光斗はその背に触れる事すら敵わなかった。幾ら速度の限界を超越しても容易く上回られ、全霊を無残に踏みにじられるのだ。すでに光斗の疾走はマッハ三の領域にまで到達しているが、これ以上の加速は不可能だった。高速走行の反動から自身と周囲を護るための水晶膜に亀裂が入り、今にも砕け散りそうな状態なのだ。スピード勝負では間違いなく光斗の敗北である。そう、スピード勝負なら。
「別に良いさ! そもそもお前を追い抜く気なんて無かったからな!」
「――凍りなさいっ!!」
『むっ!?』
直後、車道を曲がったグリーフを暴風染みた白煙が襲う。
正体は宗二の<変彩光>。グリーフが来るのを待ち構え、絶好のタイミングで極低温の冷気を浴びせかけたのだ。
相手は光斗以上の高速移動能力の持ち主という事もあり、万が一応戦する事になった場合の作戦も万全であった。光斗がグリーフを追い立て誘導し、翠が上空からタイミングを見極め伝達、宗二が極低温の冷気で迎撃するという流れだ。
適切な距離さえあれば、高速移動能力者の動きを把握する事は可能。まして紅い宝石の鎧は実に目立つ目印となる。翠たちは高速移動こそ出来ないものの、金属のボードを浮かせて空を駆け、冷気の噴射や氷のレールを用いる事で三次元的な移動を実現する事が出来る。高速移動には対応できないと高をくくっていたであろうグリーフの失策だった。
「よしっ、作戦成功だっ!」
自ら極低温の冷気の中に飛び込んだグリーフは、瞬く間に全身が氷結し無力化された。広い交差点の中央に、悪鬼羅刹染みた様相の全身鎧の怪物が氷像として生み出される。
透き通った氷の中に星の煌めきを宿す人型のルビーが輝いてるのは、ある種の芸術の如き美しさがあった。状況を理解していないであろう通行人たちすら、美しさにため息を零しているほどだ。
「皆さん、ここは危険です! 今すぐ逃げてください!」
「撮るのを止めて今すぐ逃げろ! 命の保証は出来ないぞ!」
しかし光斗たちは厳しい言葉で人々に避難を促した。更に有無を言わさず高速で人々を抱えて遠ざけ、氷の壁で氷像を遠巻きに囲み車の往来をも妨げる。
この作戦にはまだ続きがあるのだ。光斗がグリーフを誘導し、宗二が氷結させて足を止め、最後に翠が締めの一撃を叩き込むというフィニッシュが。
「食らえぇぇぇぇいっ!! <女神の鉄槌>!!」
光斗たちの隣に降り立った翠が高らかに叫び、握り込んだ拳を振り下ろす。直後に何か起きるわけでは無い。しかし抜けるような青空の彼方で、一筋の光が呼応し瞬いた。
その正体は流れ星の如く高速で落下する質量物。翠が<変彩光>によって空高くへ打ち上げた金属塊であり、一斗缶程度の大きさの鉄の弾頭だ。それを己の<変彩光>と地球の重力により加速させながら落下させる、運動エネルギー爆撃であった。
ロッズ・フロム・ゴッドとは神の杖とも呼ばれる、理論上の衛星兵器の名称。軌道上から直下に巨大な金属のロッドを発射し、運動エネルギーによってあらゆるものを粉砕する核兵器に代わる戦略兵器だ。
落とすだけなので探知も難しく迎撃も困難であり、核兵器と違い放射線は出さない。しかし威力は核兵器並みで、地下深くの標的も粉砕できる。正に次世代の兵器だ。
尤もそれは相応しい合金を用いて、衛星軌道上から撃ち出した場合の話。中学生である翠の懐事情で用意できたのはただの鉄、しかも一斗缶程度の質量のみ。更に<変彩光>による金属操作の効果が及ぶ限界距離は約十キロメートル。真なる神の杖に比べれば、明らかに名前負けしているのは否めなかった。
「マッハ一くらいは出てるぞ。これならグリーフだってただじゃすまないはずだ」
「尤もそれは僕らも同じです。衝撃に備えてください、光斗さん――来ますよ!」
音速への到達を示すヴェイパーコーンと呼ばれる円錐状の白い雲を突き破り、鉄の弾頭が超音速で飛来する。速度こそ控えめだが質量が質量だ。直撃すればその威力は対戦車ミサイルの一撃にすら匹敵する。
当然周囲に撒き散らす衝撃も並ではない。光斗たちは翠を中心に三人で寄り集まり、宗二が幾重にも展開した氷の防壁の後ろに身を隠した。
「弾着、三、二、一――今!」
翠によるカウントダウンの直後、途方も無い域の轟音と衝撃が全てを吹き飛ばした。炸薬は存在せず鉄の塊のみだというのに、ミサイルが炸裂したと思わせるほどの威力。
周囲には予め幾重にも氷の防壁が張り巡らせてあるので、直撃を受けたグリーフと真下の車道以外は軽微な被害で済む想定だ。尤も濛々と立ち込める粉塵のせいで視界はゼロに近く、実際に確認する事はままならない。
とはいえさすがのグリーフも無傷では済まないはず。氷結させられた上に超音速の大砲の一撃を食らったようなものなのだ。深手を負っているのは明白であり、碌に動く事もままらないに違いない。光斗はそう考えていた。
『――惜しいな。もう少し速度があれば、私に直撃させる事も出来ただろうに』
「っ!?」
氷の防壁の内側、背後で恐ろしい声が上がるまでは。
咄嗟に己を加速し振り向いた光斗が目の当たりにしたのは、紅い鎧全体を超高速で振動させたグリーフの姿。激しい振動が大気との摩擦により静電気を発生させ、稲妻とも表現できるほどの規模で鎧の表面を走り回っている。
氷結とはすなわち原子振動の停止。逆説的に言えば原子を振動させる事が出来れば氷結を免れる事が出来る。更に激しい振動と原子同士が起こす摩擦熱により、燃え上がるような高温を手に入れる事も可能だ。恐らくグリーフはこの方法によって氷結を打ち破り、質量爆撃を寸前で躱したのだろう。
「ぐあああぁぁぁぁぁっ!!」
「きゃああぁぁぁぁぁっ!?」
「うああぁああぁぁっ!?」
そして避ける間もなく、紅い雷撃が放たれた。
光斗でさえ避けられなかった一撃を翠と宗二が躱せるはずもない。三人揃って迸る雷撃に身体を蹂躙され、悶え痙攣しながら悲鳴を上げる他に無かった。
「う、ぐ……か、身体、が……!」
「っ、あ……ぅ……!」
「っ……!」
永遠に続くかと思われた苦痛が過ぎ去った時には、身体はほぼ完全に麻痺して使い物にならなくなっていた。
翠と宗二に至ってはかなりの重体だ。雷撃が止んでも身体の至る所の筋肉が余韻にのたうち、意識もほとんど消えているのか瞳から光が消えている。だらしなく開いた口から唾液と嗚咽を零しながら痙攣する様は、さながら壊れた人形のようであった。
『……弱い。弱すぎる。これがヒーロー? 数を揃えただけで、ごっこ遊びの範疇から何も変わっていないではないか。これでは近い未来、理不尽で残酷で苦痛に満ちた死を迎える事だろう。その前に私が、引導を渡してやる』
「ぐっ、くぅ……!」
絶望を突き付けるが如く、あえて普通の速度で一歩一歩歩み寄ってくるグリーフ。必死に己を加速させようとする光斗だが、肉体はもちろん碌に意識も加速しない。
ほんの数秒、あるいは数秒もかけて光斗の傍らに辿り着いたグリーフは、右手を手刀の形に揃えた。すると紅玉の鎧が機械仕掛けのように動き組み合わさり、澄んだ音色を響かせながら形状を変化させていく。更に数秒の後に現れたのは、右腕の延長線上に伸びる鋭いブレード。血のように深い紅を湛える刃が刀剣の如く伸びていた。
グリーフはこの恐ろしい刃で首を刎ねるか、あるいは心臓を突き刺すつもりなのだ。それを直感した光斗は必死に身体を動かして逃げようとするも、身体に力が入らない。仰向けで倒れていた状態からうつ伏せに転がるのが精々だった。
頼れる仲間たちは気を失っており、仮に意識があったとしても動けず<変彩光>の行使もままならないのは明白。最早打つ手なし。光斗の命運はここまでであった。
『さらばだ、ライトニング。弱きヒーロー。己の力不足を嘆き悲しみながら逝くが良い』
振り上げられる星紅玉の刃。日の光を反射しどこまでも美しく煌めく様は至高の美術品なれど、その実体は確実に命を刈り取る悍ましき処刑刀。
「……久遠……ごめん……」
鮮血染みた不気味な輝きを前に、光斗はただ一言絞り出した。
命を賭けて守ると誓ったにも拘わらず、この体たらく。一方的な謝罪を口にして、沙汰を受ける事も無く死を迎える悔恨と良心の呵責が胸を刺す。
光斗の忸怩たる思いなど一顧だにせず、グリーフは処刑刀を振り下ろした。紅い閃光と化して迫る死の斬撃を前に、光斗は静かに瞼を下ろし――
「――<守護の蒼玉盾>!」
刹那、轟く叫びが耳を穿つ。次いで硬質な物体同士が弾かれる甲高い音が鳴り響く。
何事かと恐る恐る瞼を開くと、眼前に広がっていたのは想像を絶する光景であった。
「……えっ」
最初に飛び込んできたのは雄々しい後ろ姿。円形の盾を構え、グリーフの一撃を真正面から受け止めた少女の勇姿。
受け止めた衝撃と風圧に舞い踊り捲れるスカートもかなり目を引くが、光斗の視線を釘付けにしたのはもっと別の物。肩越しになびく二つ結びのお下げ髪だ。あんな一昔前の文学少女染みた髪型の少女など、光斗の知る中ではたった一人しか存在しない。
「久遠、なのか……?」
グリーフではない事が判明し、一般人だと確定したはずの無力な少女。臆病で引っ込み思案な幼馴染。そんな彼女がグリーフの一撃を受け止めていたのだ。煌びやかで清廉な輝きを宿す、美しきブルーサファイアの盾を左手に携えて。




