真実
⋇暴力描写あり
光斗はその姿を目の当たりにして確信した。彼女は決してグリーフではない。間違っても人を傷つける人間ではなく、幼い頃から変わらず優しい心を持った少女であると。自分を手酷く傷つけた光斗にさえ、親しい友人のように接してくれているのだから。
だが彼女が何か隠し事をしているのは確かだ。星宮タワーでの約束、時間に現れなかった事、今宝石について調べている事、疑う要素は数多く存在する。久遠自身がグリーフでなくとも、無関係とはどうしても思えなかった。
「あ、そうだ。実は他にも面白い宝石があるんだよ。さっき星彩効果を生み出す宝石があるって言ったよね? その宝石って単体だと宝石として扱われる事は稀だけど、天然石の中で一番光の屈折率が高いの。だから宝石の王様のダイヤモンドよりも光り輝いて見える凄い宝石で――」
「――久遠」
新たなページを捲って見せてくる久遠に対し、光斗は短く名を呼んだ。自分でも驚くほど重苦しく厳めしい声音に、キラキラと輝いていたワインレッドの瞳は瞬く間に陰る。
「あっ……ご、ごめんね? ちょっと、うるさかったよね? ごめんね……」
乾いた笑いを零し、謝罪を口にする久遠。
しかしその笑顔は無理をしているのが一目で分かる。瞳は涙が零れそうなほどに潤んでおり、今にもしゃくり上げそうなのを必死に抑えていた。
たった一言、厳しく名前を口にされただけでこの有様。最強の<変彩光>を持つ凶悪な怪物には見えず、臆病で泣き虫だった幼い頃の久遠がそこにいた。
「正直に答えて欲しい。お前、何か隠してないか?」
「えっ? な、何の事?」
だからこそ、光斗は真実を知りたかった。彼女は無実で、自分たちが間違った疑いを抱いていただけ。そう納得させて欲しかったのだ。
「答えてくれ、久遠。大事な事なんだ」
顔を寄せ、真正面から瞳を覗き込みながら問う。互いの吐息がかかる程の距離で、決して目を逸らさずに。
吸い込まれそうな赤紫の瞳に浮かぶのは、目と鼻の先まで迫って来た光斗に対する戸惑いと困惑、そして恥じらい。だがやはり何かを隠した後ろ暗い色が滲んでいた。
「あ、ぅ……わ、私は、その……」
しばしの間、久遠は目を逸らし縮こまり光斗から逃れようとしていた。とはいえ元々壁際に座っていた事もあり、逃げる事は出来ない。
やがて彼女は覚悟を決めたのか、顔を上げて微かに唇を開く。
「あ、あのね、光斗くん。私……実は――」
一世一代の決心が滲む表情で久遠が言葉を紡いだ瞬間、それは起こった。
「――っ!?」
突如として紅い光が視界で弾ける。僅かに遅れて屋内だというのに強烈な暴風が吹き荒れ、周囲の書棚を揺らし書物のページが引き千切れんばかりに捲れる。光斗もその煽りをもろに受けて椅子からひっくり返ったが、直前にしかと捉えるのだった。今の今まで目の前にいたはずの久遠が、紅い閃光と共に消え去った瞬間を。
光斗にすら霞む光としか認識できない超速度の紅い存在など、世界広しと言えど思い浮かぶのはたった一人。
「――聞こえるか、宗二! 久遠が、久遠が消えたっ! やっぱりアイツがグリーフだったんだ!」
起き上がった光斗は内心の動揺を押し殺し、携帯を取り出して宗二に報告する。
信じたくはないが、目の前で証拠を見せつけられては受け入れるしかない。超音速での走りを実現できる肉体と精神を持つ光斗の前から一瞬で消え失せるなど、同じ<変彩光>の持ち主で無ければ不可能。やはりグリーフの正体は久遠だったのだ。
『すみません光斗さん! 今こちらは――ぐあああぁぁぁぁっ!?』
『きゃああああぁぁぁぁぁっ!!』
「宗二!? 翠!? どうした!?」
恐慌をきたしそうになる中、携帯の向こうから雷鳴の如き轟音と二人の悲鳴が轟く。
度重なる不測の事態に判断が追い付かなくなってくる光斗だが、己の意識を加速させ思考の時間を得る事で対処した。
「まさか、久遠の仕業か……!?」
目の前から一瞬にして消え失せた久遠。次いで仲間たちの悲鳴。繋がりのある事象と捉えるに不足は無い。
最早信じたくないという甘えは捨てるべき。そう判断した光斗は覚悟を決め、意識だけでなく肉体も超音速に移行する。そして図書館の窓ガラスを突き破り、ライトニングの衣装を纏う事もせず一直線に仲間たちの下へ向かう。
翠と宗二は光斗のバックアップのため、数百メートルほど離れたビルの屋上にて待機していた。超音速で走りビルの壁面をも駆け上がる事が出来る光斗にとって、その程度の距離も高さもあって無いようなもの。ほんの一秒程度で踏破し、ビルの屋上に辿り着いた。
「久遠、やめてくれっ! 殺すなら俺だけに――っ!?」
しかし目の当たりにした光景に、加速されたはずの思考が凍り付く。
微かに身体から煙を立ち昇らせながら周囲に倒れ伏している仲間たち。これは予想していた事なので衝撃は少ない。
そして屋上の隅に堂々と立つ、星の輝きを宿す紅い宝石――スタールビーの鎧を纏った人物。複数の<変彩光>を操る怪物、グリーフ。これも予想していたので驚きは少ない。
「こ、光斗くん!? 来ちゃ駄目! 逃げてっ!」
「く、久遠っ!? 何で……!?」
だがグリーフの左手に首を掴まれ、宙吊り状態で藻掻いている久遠の姿が問題だった。
グリーフだと疑っていたはずの少女が、グリーフ当人に捕らえられているのだ。これぞ正に久遠は無実であるという確たる証拠。疑り深い宗二も納得してくれた事だろう。本来なら手放しで喜びたい事だが、残念な事に素直に喜べないほど状況が悪すぎた。
『久しぶりだな、ライトニング。いや、結城光斗』
何故なら最強の<変彩光>を持つ凶悪な怪物、グリーフが目の前に佇んでいる。すでに翠と宗二の二人を容易く打ち倒し、更には久遠を人質にしている。勝ちの目も薄く、逃げる事も出来ない。考え得る限り最悪の状況であった。
『ヒーロー活動を続けているなど、物分かりの悪い愚物なのは以前から全く変わっていないようだ。挙句、こんな臆病で腑抜けた小娘を私と勘違いするとはな』
「う、ぐうぅぅぅ……!」
挙句の果てに、グリーフは久遠の首を掴む手に徐々に力を込めて行く。ギリギリと音が鳴るのは彼女の首の骨か、それとも擦れ合うルビーが奏でる音色か。いずれにせよこのままでは無力な一般人である久遠の命が危ない。
「やめろっ!! 久遠は関係ないっ! 殺したいなら俺を殺せ!」
『何故だ? またヒーロー特有の滅私奉公か? 貴様はこの小娘の事を憎たらしく思っているだろうに。父ではなく、コイツが死ぬべきだと罵ったのだろう?』
「なっ!? お、お前、何でそれを……!?」
この状況も衝撃的だったが、グリーフの発言は勝るとも劣らないほどのものであった。
幼い頃の光斗の失言を知る者は極めて少ない。何せ家族にすら話していないのだ。詳細を知るのは自ら語った相手である翠と宗二、あとは一部の教師のみ。
にも拘わらずグリーフが知っているという事は、久遠が誰かに話したのかもしれない。つまりその人物こそがグリーフなのだろう。
『腐ってもヒーローである以上、父の仇だろうと救わざるを得ないか。病気だな? 仕方ない。ならば私が代わりに引導を渡してやろう。お前は好きなだけ足掻くが良い。小娘を救おうと死に物狂いで努力はしたから仕方が無かった、そう胸を張れるようにな』
「ふざけるなっ! 俺は、久遠に死んで欲しいなんて思ってないっ!」
悍ましい事をのたまうグリーフに対し、声を張り上げ叫ぶ。
幼い頃と今の光斗は違う。久遠の事を父の仇などと考えてはいない。むしろ死んで欲しいと思われているのはこちらの方なのだから。
『……今、何と言った?』
不思議な事に、グリーフは当惑していた。常の余裕や人智を超越した迫力はどこへやら、非常に困惑し戸惑っているのが星紅玉の鎧の上からでも分かる。恐らく光斗の発言の何かかが引き金となったのだろう。
「確かに酷い事は言った。でもそれは、まだガキで父さんの死を受け止められなかった俺の単なる八つ当たりだ! 自分も怖い目にあったっていうのに、泣きながら俺を慰めようとしてくれた久遠に、本気で死んで欲しいなんて思うわけがないだろ!?」
理由は分からないが、惑わす事が出来るのなら好都合。
故に光斗は己の本心を語った。恐怖に負けて勇気が出ず、今まで伝えられなかった言葉を。
「ごめん、久遠っ! あの時、酷い事を言ってごめん! 今までずっと、謝れなくてごめん!」
苦節五年、遂に謝罪を口にした。絶望的な状況に陥るまで踏ん切りがつかなかった己の愚かさを、深く噛み締め涙しながら。
「許してくれとは言わない。でも罪滅ぼしはする。この命を賭けて、お前を助けるっ!」
今の光斗にとって何よりも怖いのは、久遠が死んでしまう事だけだった。久遠が生きていてくれるのなら、許しなどいらない。今後の人生、ずっと光斗を罵倒し蔑んでくれて構わなかった。
「うおおおぉぉぉぉぉっ!!」
彼女を守るため全力で飛び出し、グリーフの悪鬼羅刹の如き凶悪なデザインの面貌に渾身のドロップキックを叩き込んだ。
本来なら殴り飛ばしたい所だったが、つい先ほど久遠が楽し気に語ってくれた内容がここで生きた。ルビーの硬度はダイヤモンドに次ぐ硬さ。幾らグローブの下に金属を仕込んでいても、超音速で殴れば光斗の腕ごと砕けてしまう。だからこそ衝撃を与えるのではなく、吹き飛ばす形でのドロップキックを放ったのだ。
『ぐっ……!?』
理由は不明だがやはり精神が揺らいでいたらしく、グリーフはまともに喰らいたたらを踏んで後退る。
しかし足りない。未だその左手で久遠を掴んだまま。もう少し、そしてあと一歩下がらせなければ。
「――翠、頼むっ!」
「任せろぉっ……!」
一縷の望みを賭けて叫ぶと、光斗の横をテニスボール大の金属球が高速で飛翔する。何とか態勢を立て直した翠による援護射撃だ。言葉は痺れたように若干呂律が回っていなかったが、<変彩光>に陰りは無い。
『くあっ!?』
恐らく時速数百キロの速度で放たれた金属球が、グリーフの面貌に炸裂する。やはりルビーの硬度は並大抵ではなく、鎧には傷一つ付かず逆に金属球が砕け散った。
しかし体勢を崩したたらを踏んでいる所に、拳大の金属塊が高速で衝突すればダメージなど関係ない。グリーフは遂に久遠を離し、最後の一歩を後退り鉄柵の向こうに声も無く落下して行った。
その結果を確かめるのももどかしく、即座に光斗は久遠に駆け寄った。
「大丈夫か、久遠!? 怪我は無いか!?」
「げほっ……う、うん、大丈夫……」
「そうか、良かった……」
咳き込み涙ぐんではいるものの、目立った外傷などは無い。最悪の事態を免れる事が出来た喜びに、心から胸を撫で下ろした。
しかし安心するのはまだ早い。重量十トンのダンプカーに衝突されても無傷なグリーフが、たかが数十階の建物から落下した程度で再起不能に陥るわけがなかった。
「……二人共、まだやれるか?」
「無論だとも! 先程は不意打ちを食らい不覚を取ったが、我ら正義のヒーローが揃った今は完全無欠なり!」
「グリーフに思い知らせてあげましょう。数の力と、正義は必ず勝つという不文律を」
雷撃を受けたのか翠も宗二も衣装の端々が焦げているものの、戦意は申し分なし。片や金属のドミノマスク、片や氷のハーフマスクを作り出し装着していた。
光斗だけは変装していないが、悠長に帰宅して着替える暇があるとは思えない。相手は光斗を上回る高速移動の持ち主たるグリーフだ。かといって人々に素顔を見られるのもよろしくないので、翠が追加で作り出してくれたドミノマスクを受け取り装着した。
「安心しろ、久遠。お前は俺が、必ず守る」
「ま、待って! 光斗く――」
翠と宗二の二人と並び立ち歩み出した直後、紅い閃光が視界に弾けた。
気が付けば再び目の前にグリーフが佇んでおり、スタールビーの鎧にも傷一つなく負傷らしい負傷は見られない。謎の動揺からも復帰したらしく、背筋に寒気が走る程の迫力が戻っていた。
『……三人ならば、私に勝てるとでも?』
「勝つさ。お前には無い、仲間との絆の力ってもんを見せてやるっ!」
その言葉を皮切りに、光斗は超音速へと移行する。瞬間的に時間の流れが停滞した世界が生み出される中、光斗とグリーフは稲妻の如き速度で駆け出した。




