可愛い妹
『気を――――よ――近い――――奴が――る』
心地良い微睡の中、光斗の意識に何者かの声が響く。
警戒と焦燥の滲む切羽詰まった声。だが声の主が何者なのかは分からない。性別すらも不明であり、肝心な言葉も途切れ途切れ。声の調子も高さも分からず、まるで思念そのものを流し込まれているかのよう。
酷く曖昧で朧げであったが、何者かが自分に警告を発している事だけは理解出来た。故に光斗は問いを投げ返そうとして――
「――ん、んん……?」
不意に目が覚めた。
どうやら夢を見ていたらしい。酷く抽象的な夢であったが、声が妙に生々しかったため現実感だけは抜群だった。そのせいで意識がいまいち現実に切り替わらなかった。
「おはよう、お兄ちゃん! 良い朝だね!」
しかしベッドの隣からひょこっと顔を出し、屈託の無い笑みを浮かべる妹の姿で即座に切り替わる。愛理に関しては夢であってほしい部分が多々あるので、逆に現実であると深く思い知らされたわけである。具体的には何故か手製のメガホンを手にしている所とか。
「……さては耳元で変な事囁いてたのはお前か?」
「変な事じゃないよ? ただ『俺は妹が大好き』って起きるまで囁いてただけだもん」
「それが変な事じゃなくて何だっていう話なんだが? 兄を睡眠学習みたいな形で洗脳しようとするのやめろよ……」
目覚めて早々、というか目覚める前からこの有様。睡眠学習で兄を洗脳し、両想いの成就を企てる妹が存在するのだ。悪夢の方がマシな現実に項垂れる他に無かった。
「何かお兄ちゃんがっかりしてる。あー、さてはアレでしょ? 恋人が起こしに来たと勘違いしたんでしょ?」
「馬鹿言うな、俺に恋人なんていな――あ、いや……うーん……」
ニヤニヤと生意気な笑みを零す愛理に対し、恋人などいないと答える。しかし途中で自然と言葉を切ってしまった。
確かに恋人はいないが、告白の返事を保留にして貰っている少女の事を思い出したのだ。男としての見栄があるせいか、自然と否定はせずに悩んでしまったのである。
濁した答えが予想外だったらしく、愛理は雷に打たれたかのように身体を震わせ、丸い瞳を極限まで見開いていた。
「や、やっぱり恋人いるんだ! 最近何かコソコソしてるからおかしいと思った!」
「えっ? あ、いや、違っ――」
「お母さーん! お兄ちゃん恋人いるんだって! 隠れてしっぽりしてるんだってー!」
「ああーっ!? 待て、このクソ妹がーっ!」
そして大声である事無い事を叫びながら、走って階下の母の所に向かうという鬼畜ムーブをかましてくる。光斗はすぐさまベッドから飛び出し、妹を止めるために駆け出した。さすがに家の中で超音速で走るわけには行かないので、気持ちだけはマッハで。
目覚めて早々一波乱あったため、直前に見ていた不思議な夢と声の事は綺麗さっぱり忘れてしまった。
「それじゃあいただきまーす!」
「いただきます……」
一波乱終え、家族三人で食卓を囲む。
しこたまくすぐりという名の折檻をしたにも拘わらず、波乱をもたらした張本人は元気はつらつであった。反面光斗はベッドに戻りたいほど疲弊していたが。
「それでさっきの話の続きだけど、光斗は本当に恋人はいないのね?」
「だ、だからいないってば、母さん」
追及は終わったと思っていたが、朝食が始まっても地獄は続いた。朱理は虚偽を許さぬ清廉かつ残酷な瞳で、対面から食い入るように睨みつけてくる。普段は温和で慎ましいからこそ、彼女の鋭い眼光は背筋が寒くなる程の迫力があった。
「嘘だ! 今どもった! どもったよね、お母さん!」
「えぇい、この駄妹があああぁぁぁっ!!」
「きゃはははははっ! ギブギブっ!」
折檻が足りなかった小生意気な妹に、腕や背中を全力でくすぐりお仕置きを加える。最終的に愛理は瞳から涙を滲ませるほどに大笑いして悶え、椅子から転げ落ちていた。呼気を荒げぐったりしているものの、満更でも無さそうな顔をしている辺り救いようがない。
「本当に恋人はいないよ。ただ告白はされて、返事を保留にしてるっていうか……」
「キープしてるって事!? 二股かけたりする気なんだ!? お兄ちゃんったら破廉恥なんだ――ふひゃははははははっ!!」
中傷してくる妹の脚を引っ掴み、小さな足裏やふくらはぎををくすぐり黙らせる。スカート全開でパンツも丸見えだが、さすがに小学生に欲情などしなかった。
「そう……何か深い事情があるのね?」
「うん。ちょっと俺の中で、整理がついてない事があるんだ。だからそれが済むまでは返事も出来ないなって。本人もちゃんと納得してくれたよ」
「なら良いわ。さっきはちょっと驚いたけど、お母さんは光斗がよく考えて決めた事なら、どんな人でも反対したりはしないから」
「ありがとう、母さん。その割には尋問してきたのが解せないけど」
「ひぃ……ひぃ……お兄ちゃん、激しいよぉ……!」
ひとまず納得してくれたらしく、ようやく平穏な朝食の時間が始まった。母親が普段通りの穏やかな雰囲気に戻った事で、光斗も一安心だ。愛理はまだ何か悶えていたものの、とりあえず無視して食事を始める事にした。
『――昨日、この星宮市では非常に不幸な事故が発生しました。旅客機が突如制御を失い、星宮タワーに墜落してしまったのです。しかし、奇跡的に人的被害はありませんでした。この街を護るヒーローたちが尽力してくれたおかげです』
朝食を進める中、リビングのテレビには飛行機事故のニュースが流れる。鋼鉄の触手に絡め取られ拘束された大型旅客機という、誰もが目を疑う衝撃の背景と共に。
昨日の時点で呆れるほどニュースで取り上げられていたが、テレビを眺める愛理の瞳は興奮に輝いていた。一目で現実離れした出来事が繰り広げられたと分かる現場なので、当然の反応かもしれないが。
「凄いよねぇ、ライトニングたち。墜落する飛行機から全員を救出したんだって。もう完璧なヒーローだよね!」
「そうね、本当に凄いわ。でもそれは、彼らが特別な力を持っているから出来た事よ。あなたたちは危ない事はしないでね?」
「はーい!」
「うん。分かってるよ、母さん」
元気よく頷く愛理と、内心罪悪感を覚えながらも頷く光斗。実際の所は危ない事をしまくっているし、そもそもの話ライトニング本人である。
とはいえ真実を明かす事など考えていないので、適当に誤魔化すしか無かった。不安の滲む表情で懇願する母の姿を目の当たりにしたせいで、隠し通す気持ちが強まったまである。やはり愛する子供たちが伴侶と同じ末路を辿らないか案じているのだろう。
「ねえお兄ちゃん、今日の予定は? 私、星宮タワーの成れの果てが見に行きたい!」
「たぶん近付けないぞ、あの辺一帯。あと俺、今日は予定があるから」
「ぶー。最近お兄ちゃんつれない……」
お願いを拒否すると、愛理は途端に頬を膨らませる。
現場保全の観点から考えれば周囲は立ち入り禁止に違いない。翠の頑張りによって機体は鋼鉄に絡め取られ斜め四十五度くらいの傾きで静止しているが、いつ鋼鉄や機体が負荷に耐えかねて壊れるか分かったものではない。まだ燃料も残っているため爆発の恐れもあり、とても妹を連れて行ける場所では無かった。
「愛理はいつまで経ってもお兄ちゃんっ子ね? そろそろ兄離れしたら?」
「やだ! 私が兄離れするのは、お兄ちゃんのお嫁さんになる時だけだもん!」
くすくす笑いながら指摘する朱理だったが、愛理は真顔で頑として兄離れを拒絶する。加えて食事中だというのに光斗の腕を抱きすくめる始末だ。
「ふーん。じゃあお兄ちゃん止めるって言ったらどうする?」
「それなら義理の兄妹でもなくなるから、私たちの関係に何の問題も無くなるよね! 結婚しよ!」
「駄目だコイツ、無敵すぎる……」
試しに兄を辞職するという旨を口にすると、むしろ望む所と言わんばかりに腕から身体に抱き着いてきた。
義妹たる愛理がどれだけ好意を示そうと、血の繋がりは無いので何も問題はない。しかし光斗は愛理を普通に妹としか見ていないので、非常に複雑な気持ちであった。
「――チャンスっ! いただきっ!」
「あっ、こら! 俺のオカズを取るな、盗人め!」
「ごめーん。じゃあ代わりに、可愛い妹が夜のオカズになってあげるね!」
「食当たりしそうだから遠慮しとく。ナイスバディのお姉さんになってから出直しな」
「本当っ!? 言質取ったからね、お兄ちゃんっ!」
「コイツ、本当にナイスバディのお姉さんになれると信じてやがる……!」
遠からず諦めてくれるだろうと大目に見てきたのだが、どうにも愛理はポジティブに過ぎるのが悩みもの。すでに四年以上は光斗への想いを募らせ、露骨にアピールしている。
今は小学生で外見も相応なためにスルー出来ているが、もしも女として身体が成長し始めてもこの調子なら危うい所だ。とびきりの美少女に成長する事が確定している容姿なので余計に。
多少乱暴にでも突き放すなりして嫌われるのも手だが、愛理の幼少期の事を考えるとさすがに躊躇われた。今でこそ快活で天真爛漫な子に育ったが、元々は常に怯え事ある事に泣きながら謝罪を繰り返す子だったのだ。突き放す事など出来る訳が無かった。
そのため差し迫ったグリーフ以上の脅威に怯えながらも、何の対抗策も取る事が出来ない。ヒーローも幼く純粋な子供には完全に無力なのだった。




