ヒーロー
一瞬の浮遊感。そして落下――はしない。むしろ大地を踏みしめ、駆け抜ける。
そう、今光斗は空の上を走っていた。正確には宙に築かれた白銀に煌めく氷の道を。これぞ宗二に作り出して貰った、空を駆けるための氷の大地だ。
細長い氷の道は墜落する機体に沿う形で伸びており、更に幾重にも枝別れして近くの建物の屋上へスロープを伸ばしている。このスロープは氷の道の支えでもあり、同時に人々を避難させるための緊急通路を兼ねていた。
「よし、これなら行けるっ!」
白銀の道を超音速でひた走り、墜落する飛行機へ自ら距離を詰めていく。
道の作成を待つ間に意識と肉体を加速し、携帯で機体の情報を調べたので詳細な情報も判明済み。この機体は日本で最も一般的な大型旅客機であるボーイング777-300ER。全長約七十四メートル、全幅約六十五メートル、最大離陸重量は約三百五十トンという化物である。
機体横のロゴが視認できる距離まで近付いた事で、化物具合が鮮明に感じ取れる。正に巨大で力強い鋼鉄の塊。さながら蟻と像のような対比であり、ちっぽけな光斗が敵う道理はない。しかし翠は決して屈する事無く抗い、速度を必死に減じさせているのだ。
相棒が死に物狂いで全身全霊を振り絞っている以上、光斗もまた死力を尽くすのは当然の事。水晶膜が壊れかねない限界まで速度を上げ、氷の道を駆け抜け機体へと肉薄した。
「ハッチが片側に五つ! 九十秒ルールに感謝だな!」
そして先ほど翠が気合の叫びと共に破壊したハッチから機内へと飛び込んだ。
九十秒ルールとは航空法により定められた国際基準の事。『非常事態に乗客乗員が九十秒以内に脱出できなければならない』というものであり、有り体に言えば旅客機が大型であればあるほどハッチの数が増えるのだ。出入口が多ければその分移動距離を節約できるので、コンマ一秒を争う事態では実に有難い事である。
墜落中という事もあり、機内の乗客乗員は全員が席についていた。ベルトを締め衝撃に備えて身体を丸め、絶望に打ちひしがれている。彼らを救えるのは自分だけだと痛感し、胸の中で使命感が燃え上がった。
彼らの命を双肩に担う重みを堪えつつ、光斗は救出劇を開始した。一番近くの乗客のシートベルトを外すと、乗客を抱える一瞬だけ超音速を解除。抱えた瞬間に超音速へと至り機外に飛び出し、近くのスロープに速度控えめにカーリングの如くシュートする。スロープは滑り台として機能を果たし、救助した乗客をビルの屋上へと導いていく。
しかし光斗は胸を撫で下ろす事無く、再び機内に飛び込んで次の乗客の救出にかかる。何せ乗客は数百人は下らないのだ。加えて三十秒足らずでタワーに衝突してしまう。休んでいる暇は一秒たりとも存在しない。
「これなら、間に合う……!」
翠の決死の努力、宗二の助力、そして光斗の超音速の疾走。全てが重なったおかげで、墜落する飛行機から一人ずつ全員を救助する荒業を見事に成し遂げつつあった。
誰か一人でも欠けていたら、この馬鹿げた救出劇は実現しなかった。翠と出会えた事、宗二がこの場に居合わせた事、光斗はそれらの偶然を神に感謝する他に無かった。
「………………」
しかし偶然にしても都合が良すぎる。本当にただの偶然なのか。加速した頭脳は自然と疑いを抱き、とある恐ろしい可能性を思考させようとする。
光斗は悪い方向へ向かう思考を意識して断ち切り、人命救助に全霊を注いだ。そんな馬鹿げた可能性、決して存在してはならないから。
「これで、ラスト……!」
やがて最後の一人――もとい一匹をスロープに滑らせ、己の役目を完遂した。
乗客乗員を救出してもまだ余裕があったので、貨物室内のペットも救う事にしたのだ。全部で七頭しかいなかったので一度に二匹、計四往復で終わったのは幸運だった。
「――終わったぞ、翠! ペットも含めて、皆救出した!」
「まさか本当に全員救出するとは、脱帽ですね……」
「さすがライトニングぅ! じゃああたしの事もよろしく! ちょっとこの光景怖すぎて無理!」
氷の道を伝って展望デッキに戻ると、感心した様子の宗二と半泣きの翠、そして展望デッキのガラスを覆い尽くすように広がる旅客機の鼻先が迎えてくれた。この性質の悪い悪夢の如き光景を目の当たりにすれば、翠の反応も納得だ。ジェットエンジンの爆音が耳をつんざくのは勿論、鳴動する展望台のガラスが今にも砕け散りそうな状態である。
「分かった。舌を噛むなよ?」
「おっほ、お姫様抱っこ――おおおぉぉぉぉぉっ!?」
妙な声を上げる翠を抱え、再び外に出る。氷の橋を渡り見晴らしのいいビルの屋上に辿り着くと、そこに彼女を下ろした。しばし遅れて氷の通路を作りながら滑って来た宗二も隣に着地する。
星宮タワーの方に視線を向ければ、今正に墜落してきた旅客機の機首が展望台に直撃する寸前。すでにタワーにも旅客機にも人は残っていないが、衝突して爆発が巻き起これば周辺に甚大な被害が発生する。故に翠には最後にもうひと頑張りして貰う必要があった。
「頼んだ、翠! やってくれ!」
「機体中央と主翼はなるべく壊さずに受け止めてください! 燃料に引火して大爆発を起こしたら目も当てられませんよ!」
「任せるが良いっ! マグネーターの本領、とくとその目に刻めっ!」
獰猛な笑みを浮かべた翠が、旅客機に干渉していた能力を解除する。直後に旅客機は展望台に衝突し盛大な轟音を響かせるも、抑えていた速度の分だけ突然加速するわけは無い。そのため質量の割に衝突の規模自体はかなり控えめであり、だからこそ翠が次なるアクションに移る猶予があった。
「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
渾身の叫びを上げる翠が両腕を天高々に掲げると、星宮タワー全体が震えた。衝突の衝撃とは無関係に、内側から膨れ上がるように。
そして次の瞬間、タワーを構成する全ての鉄骨が内側から飛び出し、旅客機を捕獲するが如く長い胴体に絡みついて行った。
「うおっ、すげぇ……」
「これは凄まじい光景ですね……」
蛇が獲物をとぐろの内で締め付けるのにも似た光景が、巨大建造物と大型旅客機で繰り広げられるのは正に圧巻。タワーからコンクリート塊などの非金属がガラガラと零れ落ち、轟音が鳴り響くのもまた迫力に拍車をかけている。
更に鋼鉄の触手は機体に根を張るように広がって行き、主翼すらも覆い尽くし墜落の勢いを強引に殺して行く。機体が前方からひしゃげ潰れて行く異様な音が街中に響き渡るものの、物理的に受け止めるという極限の離れ業により墜落は見事に食い止められるのだった。最終的には蜘蛛の巣に絡め取られた哀れな蝶々が如く、旅客機は鋼鉄の糸に雁字搦めにされた状態で沈黙した。
「自分で提案しておいて何だが、本当に飛行機を受け止めたな……翠、よくやった」
「代わりに星宮タワーが無くなり、前衛的なオブジェが出来上がりましたけどね。まあ人命には代えられません」
本来なら星宮タワーや周辺の建造物が旅客機諸共粉砕された挙句、大勢の死傷者が出ていたはずの事故。それを人的被害ゼロに抑えたのだ。国民栄誉賞を貰えてもおかしくはないほどの歴史的快挙であり、正にヒーローの鏡と言うべき偉業であった。
「も、もう駄目……ばたんきゅ~……」
普段ならドヤ顔で誇るであろう翠も、さすがに限界を迎えたらしい。目を回し足をふらつかせたかと思えば、意識を失ったのか唐突に前のめりに倒れた。
本当に極限まで力を振り絞り、最後の最後まで頑張ってくれたのだ。何と素晴らしく、高潔な精神を持つ少女だろうか。
「彼女は大丈夫ですか?」
「ああ、心配ない。力の使い過ぎで気を失っただけみたいだしな。ありがとう、翠。ゆっくり休んでくれ」
そんな翠の身体をしっかり受け止めた光斗は、彼女を仰向けに横たえて寝かせる。鋼鉄のドミノマスク越しの表情は疲労困憊といった様子だが、同時にやりきったという達成感に満ちていた。
「……あなたたちは、いつもこんな事をしているのですか?」
「いや、さすがにここまで派手な事件は初めてだよ。普段は軽めの人命救助とかだしな」
「そうですか。まあこんな大事故が頻繁に起きては困りますしね。特別な力をもっていようと、命が幾つあっても足りませんよ」
宗二は眼下の前衛的なオブジェを眺めつつ苦笑していた。
人的被害はゼロとはいえ、歴史に残る程の大事故だったのは確かだ。光斗たちがいなければ死傷者は数千人にも上った事だろう。同レベルの事件が頻繁に起こるのなら、光斗でもヒーロー活動を躊躇ってしまう。少なくとも翠と二人では絶対に抱えきれない。
「……良ければ、これからも力を貸してくれないか? 今回の一件でも分かる通り、二人だけじゃ対処できない事もある。それに俺たちの他にもう一人、グリーフって名乗る紅い宝石の鎧を纏った能力者がいるんだ。そいつは明らかに敵対的な上に、信じられないくらい強い。だからお前も仲間に加わってくれれば心強い」
故に光斗は宗二に助力を求めた。これからも自分たちと共に戦って欲しい、と。
本来ならもっと丁重かつ穏やかに誘いたい所だったが、修羅場を潜った後では下手な小細工は通用しそうになかった。よって直球、正直に全てを伝え誘いをかけた。わざわざ借りを返しに死地に赴いた、宗二の実直な心を信じて。
「……正直な所、ヒーロー活動など馬鹿馬鹿しいと思っていました。だからこそ僕は、この力を得ても特別な事は何もしませんでした。けれどあなたたたちがいなければ、ここで大勢の人間が死んでいたでしょう。僕の家族も、そして僕自身も」
不意に独白を始めた宗二は途中で言葉を切り、眼下の光景を見下ろす。
釣られて視線を向ければ、星宮タワーから避難させた人々が当てどなく集まっている所であった。恐らくその中に宗二の家族もいるのだろう。彼らを見つめる宗二の瞳は、生来の鋭さに反して驚くほど穏やかで慈愛に満ちていた。
「あなたたちには返しきれない恩があります。そしてあなたたちの行いはとても清く尊く、美しいものです。僕にその一助となる事が出来るかは未知数ですが、是非とも協力させてください」
深く目蓋を瞑った後、決意の滲む綺麗な瞳を向けてくる。どうやら光斗に影響された翠と同じく、彼もまた正義の心に感化されたのだろう。亡き父の意思が引き継がれていく感動に熱いものが込み上げて来て、光斗は若干滲んだ涙を腕で拭い去るのだった。
「ああ、もちろん。これからよろしくな、宗二」
「はい、よろしくお願いします」
そして緊急車両のサイレンや報道ヘリのローター音が近付く中、固い握手を交わす。見上げてくる宗二の瞳には光斗に対するある種の尊敬や敬意のようなものが浮かんでいたため、無性に居心地が悪かった。
何にせよこれで全ての能力者が判明し、最後の一人を仲間に引き入れる事が出来た。化物染みた力を持つグリーフも、三人で力を合わせれば打倒できるに違いない。光斗はそんな希望に満ちた展望を思い描くのだった。
「駄目だよ、光斗ぉ……そんな所、触っちゃぁ……ホテルまで待ってよぉ……」
しかし意識を失っている翠がとんでもない寝言を零し、達成感やら希望やらを台無しにしてしまう。妙に物語性がある上に甘い声音の寝言なせいか、光斗を見上げていた青い瞳に途端に失望と軽蔑が滲むのだった。
「……お二人はそういう関係なんですか? 彼女、どう見ても未成年なんですが?」
「いや、誤解! 誤解だから! コイツが勝手に変な夢見てるだけだから!」
必死に弁解を試みるも、宗二は握手した手を汚い物でも触ったかの如く拭う。
やはりフィクションと現実は異なるものという事らしい。完全無欠のスーパーヒーローとは違い、光斗はいまいち綺麗に物事を終わらせる事は出来なかった。




