21.平穏と影
居心地のいい日々はあっという間に過ぎて、カルロッタが公爵家にお世話になって一月が過ぎようとしていた。
エレナのつわりも波はあるものの、ピークは越したようで、徐々に軽くなってきていた。相変わらず好んで食べるのはかぼちゃケーキだが、それでも最初に比べると心も身体も落ち着いてきたようだ。
その日もカルロッタとエレナは公爵家の庭に散歩に出ていた。エレナが毎日散歩をするようになってから、公爵邸の庭に屋根つきのお茶のできるスペースが作られた。円形の柱と屋根だけの開放的な建物は、エレナとカルロッタのいつも過ごすお気に入りの場所になった。
「カルロッタ様、ティーセットとお茶菓子はここに置いております」
「いつもありがとうね。サラちゃん」
「いえ……」
サラは小さく会釈して屋敷に戻って行く。
(なんだかサラちゃん元気ない気がしたけど、大丈夫かしら?)
サラに声をかけようかと悩んでいる内に、サラは小走りで去って行ってしまった。
また後で様子を見ようと決めたカルロッタは、サラの用意してくれたティーセットでお茶の用意をしていく。
「私、そろそろ家に帰ろうかね」
「え? そんな……カルロッタさんが帰ると寂しいです」
エレナは手を胸の前でそっと握りしめ、あまりにも寂しそうな表情でカルロッタを見つめていた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、ずっとお世話になるわけにはいかないわよ。噂もそろそろ落ち着いてきたはずだしね」
(家をこんなに長く空けるのは初めてだわ。畑の様子も気になるし、一度見に行きたいわね)
「カルロッタさん帰ってしまうのですか?」
「そうね、どちらにしても一度家を見に行ってみようかしら」
翌日、護衛としてレベッカが付き添ってくれて二人で家の様子を見に来ていた。
「……これは、どういうことなの?」
雑草が生い茂っていると思っていた畑は、以前と変わらず美しいままだった。カルロッタが近づいて畑の様子を確認すると、雑草は取り除かれ、野菜たちが綺麗に成長していた。
(これは、確実に誰かがお世話してくれたんだわ)
支柱が立てられていたり、脇芽が摘んであったり、野菜を育てたことのある誰かの手が入っていることがわかる。
「この畑、何かおかしいのですか?」
キョロキョロと畑を見渡すレベッカにカルロッタは、思わず瞬きをした。
「おかしくないことがおかしいのよ」
「え?」
「一カ月近くも放っておいたのに、雑草はないし、野菜たちも手入れされているの」
「それは、どういうことなのでしょう?」
「きっと誰かがお世話をしてくれたんだわ。でも一体誰が」
カルロッタがそう言いかけた時だった。
「カルロッタさん!」
「あら? あなたはあの時の」
そこにいたのは、子供を連れた若い母親だった。以前カルロッタの家の畑で座り込んで泣いていたその母親は、カルロッタを見つけて、ぱあと明るい笑顔で駆け寄ってきた。
「カルロッタさん、お久しぶりです」
「久しぶりね、元気そうで安心したわ」
「私も、お会いできて安心しました。実は」
母親が話してくれたのは、畑のことだった。
どうやら、カルロッタを訪ねてきた人々が、交代で畑の世話をしてくれていたそうだ。
「まあ、そうだったのね。助かったわ」
「いえ、カルロッタさんにはたくさん助けていただいたので、せめてもの恩返しです」
「ありがとうね」
家に入ると、懐かしい自分の家の匂いがふわりとした。置きっぱなしにした鍋も、ティーカップもすべてが出かけた日のままだった。家の中は、まるで昨日までここで暮らしていたかのような温もりが残っていた。
(ああ……帰ってきたのね)
そっとテーブルを撫でるカルロッタを視界に入れながら、レベッカは危険がないか部屋の中を見て回る。
「カルロッタさん、家の中の様子は変わっていませんか?」
「ええ、特になくなっている物もないし、誰かが家の中に侵入した感じはしないわよ」
「あの扉は?」
「あそこは……裏口なんだけど、あれは何かしら?」
カルロッタが指さす先、扉の木目には細い裂け目ができていて、その隙間から銀色の刃先がわずかに覗いていた。
「確認します」
裏口の扉に近づいたレベッカは、扉を開けて外側を確認している。気になったカルロッタが見守っていると、レベッカは外に出した顔を引っ込めて、振り返った。
「……斧が刺さっています」
「斧ですって?」
「はい、以前薪割に使った斧です」
カルロッタは薪を置いている外の小屋に、斧を保管していたことを思い出す。レベッカと一緒に外側を確認すると、扉には斧が深く突き刺さっていた。
「誰かが、扉に斧を振りかざしたのでしょう」
「……こんなこと、誰が?」
そう言ったカルロッタだが、脳裏には、あの日に会った伯爵家の二人組の男の顔が浮かんでいた。
レベッカは斧を掴むと、力をこめて引き抜く。
「カルロッタさん、公爵邸に戻りましょう。ここは危険かもしれません」
「わかったわ」
腰の剣に手を添えたレベッカが周囲を警戒している。
レベッカに連れられてカルロッタはその場を後にした。
家の安全が確認できるまで再び公爵邸でお世話になることが決まったカルロッタ。
そのことを一番喜んだのは、エレナだった。初めての妊娠で不安だった心が、カルロッタと話すことで落ち着き、それは体調の安定にも繋がった。
「お世話になりっぱなしで悪いわね」
カルロッタ一人増えても公爵家の財政が傾くことはないだろうけれど、衣食住全てをお世話になっていることに、カルロッタはどこか気が咎めていた。けれど、エレナは大きく首を横に振った。
「気にしないでください。カルロッタさんがいてくださるだけで、その場が明るくなります。それは私だけではなくて、サラもレベッカも、ロイドもみんな感じています」
「……ありがとうね。それで、もし良かったら畑仕事を手伝わせていただけないかしら?」
「畑仕事ですか?」
自分の家の小さな庭はカルロッタにとっては、癒しの場所だった。久しぶりに家に帰って、庭を見たら手入れをやりたくなって、うずうずしていたのだ。
「畑ってね、手をかけた分だけ返してくれるのよ。土に触れると、心が軽くなるし、畑は私の癒しの場所なの」
ロイドと庭師は快くカルロッタの申し出を承諾してくれて、翌日からカルロッタはエレナとお茶の時間以外は畑に入り浸る時間が増えていった。
「さてと、私はそろそろ畑に行ってくるよ」
「今日はわたくしもご一緒してもいいですか?」
「もちろんよ。でも畑の方は、見る物があまりないし、ドレスが汚れるわよ」
「わたくし着替えてまいります」
エレナは、着古したシンプルなワンピース姿でカルロッタの前に現れた。
「あら、いつもと感じが変わるわね」
「結婚前は、いつもこのワンピースを着ていました。これなら汚れても大丈夫です」
少し裾を持ち上げてそう言ったエレナは、公爵夫人ではなく、街娘のようだ。
「それじゃあ、畑に行きましょう」
カルロッタはエレナに畑の説明をしながら一緒に見てまわった。
「ほら、ごらんよ。この苺」
畑の中、真っ赤な苺がぼつぼつと顔を出している。
二人で苺の前にしゃがみ、顔を近づけて苺の甘酸っぱい香りを堪能した。
「わあ、いい香りですね」
「食べごろだよ。ほら、こうして収穫するんだよ」
カルロッタが指先でそっと苺を軽くつまみ、指を捻るとプチっと音を立てて苺が茎から外れた。籠の中に苺を入れたカルロッタを見て、エレナも一緒に収穫していく。
小さな籠が半分ほど埋まった時だった。
カルロッタは空を見上げた。
(青い空に、美味しい空気、こんなに天気も良くて、気分も晴れやかね)
「平和だわ」
カルロッタがそう呟いて、視線を真上から正面に戻した瞬間だった。
「動くな」
低い声とともに、黒い影が二人を囲むように現れた。
(だ、誰だい。この男たちは)




