19.散歩
公爵家で過ごすこと数日。
カルロッタは毎日、エレナの話し相手になっていた。
つわりで具合の悪いエレナを心配したロイドが、エレナが部屋から出るのを嫌がったため、エレナが暇を持て余していたからだ。
「旦那様の心配は嬉しいのですが、こんなに長くベッドにいたら歩けなくなりそうです……ふぅ」
小さなため息まで吐いたエレナは妊娠が発覚してから、ほとんど部屋から出ていないそうだ。
「あらまあ。それは大変ね。妊娠は病気じゃないからねえ」
「そうです! 体は元気なのに……旦那様が、屋敷のみんなにもベッドから出すなと言っているようで……ぐす……少し歩いているだけで、ベッドに戻されるのです……ぐすっ……」
ついには泣き出してしまったエレナの背を優しくなでる。
(これは、かなりストレスが溜まっているわね。妊娠中はただでさえ情緒不安定になりやすいし、エレナも気晴らしが必要だわ)
「そうねえ、公爵様も心配しているだけだろうから、一度話してごらんよ」
「……ひっ……ひぐっ……わ、わたくしは、大丈夫と、何度も言いました。ただ……家の中を好きに動き回りたいだけなのに……旦那様と喧嘩してしまいました」
「あら、そうなのね。それじゃあ、私からも言ってみるよ」
その夜のこと。
カルロッタはロイドの部屋を訪れた。カルロッタが部屋の扉をノックして開けると、部屋の中央の机に座って仕事をしているロイドの姿があった。
「失礼します。少しお時間よろしいでしょうか?」
「……どうかしたのか?」
「エレナのことでお話が」
「聞こう」
視線を書類からカルロッタへ移したロイドに、カルロッタは今日のエレナの様子を思い出しながら口を開いた。
「エレナは今、赤ちゃんを迎えるために身体も心も作り変えられている最中です。休息ももちろん大事ですが、気晴らしも必要ですよ」
穏やかに微笑えんでそう言ったカルロッタに、ロイドは思い当たる節があるのか、小さく息を吐いた。
「……気晴らしか」
「はい。ずっと部屋にいては気が滅入ります。病気ならまだしも、妊娠は病気ではありませんから」
「しかし」
小さく眉をよせるロイドにカルロッタは小さく首を横に振った。
「エレナは今、いつもより気持ちが敏感になっているように感じました」
「……わかっている」
「エレナが心配なのですね?」
「ああ……心配だ。食事が食べられない日が続いて、食べても吐いてしまう姿を見ていたら、代わってやりたいぐらいだった。お腹の子もエレナのことも心配なんだ」
(本当にエレナのことが好きなのね。この調子じゃ、好きに動き回るのなんて無理だろうから、まずは一歩目ね)
「それでは、お庭のお散歩はどうでしょうか?」
「散歩?」
「はい、心配ならば公爵様が一緒に行けばいいのですよ。隣にいれば、何があっても対処できますしね」
「……そうだな」
(この顔はあまり乗り気じゃなさそうだけれど、このままじゃエレナが参ってしまうわね)
「こんなにパパに守られているんですもの、お腹の赤ちゃんも今ごろ安心してあくびをしているかもしれませんよ」
「……パパ?」
「ええ、前向きに検討してみてください。失礼します」
カルロッタは姿勢を正して一礼しロイドに背を向ける。
そして、ドアを開けながら独り言を呟く。
「……仲直りしたそうだったし、困ったわ」
後ろでロイドが動く気配がしたけれど、気づかないふりをして、部屋を後にした。
(ここまで言ってダメなら、また考えましょう)
翌日。
ロイドはカルロッタに感謝の言葉を述べてくれた。
「俺は心配するあまり過保護になっていたんだな。散歩に行ったら、エレナがとても喜んでくれた」
「そうですか。それは良かったですね」
「ああ、エレナの笑顔を見たのは久しぶりだった。俺が間違っていたようだ」
首の後ろを押さえて、少し気まずそうに視線を逸らすロイドに、カルロッタは音を立てずに微笑んだ。
(夫婦円満で何よりだわ)
「良かったですね」
「ああ。感謝する。それで、あなたはこの家で生活していて、不便はないか?」
ロイドの問いかけにカルロッタはここ数日の暮らしを振り返る。
寝て起きたら、朝からご飯が出てくるし、脱いだ服が翌日には綺麗になって返ってくる。使った食器を洗うこともなければ、掃除もしなくていい。喉が渇いたタイミングでお茶を淹れてくれる人がいて、さらにはお茶菓子までついてくる。公爵家の人々はカルロッタに親切で、ご飯は美味しく、至れり尽くせりだ。
(ここにいたら、居心地が良すぎて、何もできない人間になりそうなぐらいよ)
「このままじゃ、私はもっと丸くなってしまいますわ」
「は?」
「……快適すぎて、太ること間違いなし、いや……すでに、ここ数日で体重が増加していてもおかしくないのです」
ふっと小さく苦笑いをもらすロイドに、カルロッタは真剣な表情で言った。
「この歳になると、代謝が落ちるせいか、昔より食べていないのに、太るのですよ」
「ブハッ」
噴き出すように笑うロイドにカルロッタは真剣な眼差しをむけた。
「笑い事ではありませんよ。年齢なんてただの数字、心が若ければなんでもできると思っていたのに、最近では少し小走りしただけで息が上がっているんです。やっぱり動かないとダメですね」
(熟女の悩みは切実なのよ。このままぶくぶく太って、いつか歩けなくなったりしたら……考えただけでも恐ろしいわ)
手を頬に添えて、真剣に悩むカルロッタ。
そんなカルロッタにロイドは、窓の外に視線を向けて言った。
「それならばエレナと庭の散歩をしてみてはいかがだろうか?」
「いいのですか?」
「ああ、俺は毎日一緒に散歩に行ってやれないし、あなたがエレナと一緒に散歩に行ってやってくれ」
(過保護スイッチがオフになったのね、もう、二人は大丈夫そうだわ)
「かしこまりました」
その日からカルロッタの日課に庭の散歩が加わった。
エレナも一緒に庭を歩き、時には庭園でお茶をした。
公爵家の小さな喧嘩は、そうして幕を閉じた。




