王子の企み
翌日――
王都グランツヘルムの王宮、クリスタル・パレス。
その中心に広がる謁見の間は、今日も国王に仕える廷臣と高位貴族たちで埋め尽くされていた。
昨日届いた辺境からの報せ――「帝国の大軍を撃退した」という驚愕の勝利は、未だ人々の胸を震わせていた。
広間のあちこちから、小声が次々と漏れる。
「まさか……帝国の大軍を退けるとは……」
「数千の兵を退けたと聞く。あのヴァルト辺境伯ダリウス閣下が采配を振るったと」
「いや、それ以上に“辺境の聖女”が民を奮い立たせたと噂されているぞ」
熱を帯びた声は波紋のように広がり、王都の廷臣たちの顔色を揺らしていく。
誰もがその真偽を計りかねながらも、心の奥では「もしや」と期待と羨望を膨らませていた。
やがて玉座の上、王冠を戴くレオポルド三世が静かに口を開いた。
その声音は低く、だが威厳に満ちていた。
「――辺境の勝利は、王国の誉れである。帝国を退けたという報せを、余は喜びと共に受け止める。……その功を決して軽んじてはならぬ」
堂々たる宣言に、広間の空気は一瞬で張り詰めた。
貴族たちはざわめきを飲み込み、重苦しい沈黙に包まれる。
しかし、その沈黙の中でただ一人、心を焼かれていたのが第一王子エドワードであった。
(なぜだ……! なぜ父上は私を差し置き、あの粗野な男を讃えるのだ! 次の王は私だというのに!)
爪が食い込むほど拳を握り、唇を噛みしめる。
羨望と屈辱が胸を渦巻き、玉座に座る父の姿すら直視できなかった。
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謁見の後、エドワードは憤怒を抱えたまま私室へと戻った。
重厚な扉を荒々しく閉ざすと、纏っていた外套を床へ叩きつける。
長い部屋を獣のように行き来し、苛立ちを吐き散らした。
「どうしてだ……! どうしてあいつらばかりが称えられる!
俺こそが王国の未来を担う者だというのに!
民は“辺境の聖女”だの、“戦鬼を討った英雄”だの……!
名声はすべて私のために語られるべきものだ!」
その怒声は高い天井に反響し、燭台の炎を震わせた。
窓辺に立っていたセシリアは、静かに振り返る。
金糸のドレスが光を受け、彼女の姿を艶やかに映し出していた。
だがその唇に浮かぶ笑みは、氷の刃のように冷ややかであった。
「殿下。今、王都で語られているのは“ダリウス閣下”と“聖女エレナ”の名ばかり。
このままでは、殿下のお立場は影のように薄れ――やがて、辺境の光に呑み込まれてしまいますわ」
「わかっている!」
エドワードは振り返り、憤りをそのまま声に乗せて叫んだ。
「だが、どうすればよい……! 父上に逆らえば、私の立場は危うい。
だが黙っていれば、ダリウスにすべてを奪われる!」
荒い呼吸、紅潮した顔。
その姿には王子としての気品はなく、焦りと嫉妬が剥き出しになっていた。
セシリアはゆるやかに歩み寄り、裾の音を絨毯に溶かしながら囁く。
「殿下。いくら嘆こうとも、民の心は今、辺境に傾いております。
放置すれば、殿下の権威は霧のように消え去るでしょう。……けれど」
「けれど……?」
「殿下には、“王位継承者”という絶対の力がございます。
陛下のお言葉を待つ必要はありません。
殿下自らの名で、辺境に勅命を下せばよろしいのです」
「私の名で……命を……?」
エドワードは驚きに目を見開いた。
「ええ。勅命として示せば、辺境伯とて逆らうことはできません。
“王都に従え”――その一言で、民の視線は再び王都へと戻ります。
聖女の幻想も、戦鬼を討った英雄の威光も、すべて殿下の名の下に跪くでしょう」
その言葉に、エドワードの瞳にぎらつく光が宿った。
「そうか……! そうだ! 私は次期国王だ……!
私が命じれば、ダリウスもエレナも逆らえはしない!
すべては私の掌中に収まる!」
セシリアは微笑を深め、瞳を細めた。
「ええ……。姉さまは聖女などではございません。
本来なら私の影で静かに消えるべき人。
その幻想を打ち砕けるのは、殿下だけなのです」
エドワードは拳を固く握りしめ、震えるほどの昂ぶりを覚えた。
胸の奥で燃え盛るのは、嫉妬と野心、そして愚かな確信。
こうして――王都において辺境の勝利を快く思わぬ二人は、
ついに「勅命」という刃を手に取り、振るう決意を固めたのであった。
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