第十章−4:「静かなる収束」
拠点病院の中庭に夕陽が差し込む頃、医療チーム、観察ユニット、そして春日たちの間には、ようやく一つの節目ともいえる静けさが訪れ始めていた。
「もう、今日だけで半年分くらい働いた気がしますよ」
大町が冗談めかして言うと、久我は黙って頷いた。
「でも――それでもやっぱり、この制度が続くなら、もっとマシな支援体制を組まないとダメだな。今日だけで何人が“合法的に限界”を超えたと思ってるんだ」
その言葉に、トーコのデバイスが反応する。
《発言記録:勤務限界認識/カテゴリー:現場視点に基づく制度評価》
《当該ログ、IRMAおよび中央政策分析ユニットへ転送予約済み》
それに気づいた春日が思わず苦笑いする。
「やっぱり記録されてるんだ……」
「そのうち、俺たちの冗談も政策案に組み込まれる日が来るかもな」
吉田も冗談めかすが、その表情はどこか現実味を帯びていた。
──
病室のブラインド越しに、薄曇りの午後の光が差していた。
神代圭介は病室のリクライニングベッドを少し起こした状態で、静かに天井を見つめていた。
思えばこの一日が始まったのは、日の出前のことだった。
あの瞬間、眠れぬまま窓辺に立ち、薄明かりの街を眺めながら、何を思っていただろうか――「無労働日」の始まりを、ただの象徴的な政策の施行だと、割り切ろうとしていたのかもしれない。
しかし、現実は想定外に満ちていた。
「想定の範囲外」、その言葉がこの一日、何度自分の中に立ち上がっただろう。
事故。出会い。混乱。救急対応の限界。AIの逸脱しかけた行動。
その全てに、明確な答えがまだ出ていない。
ノートPC代わりの端末に手を伸ばしかけ、ふとその動作を止めた。
まだ動かすには手首の腫れが残っていたのだ。指先でタップする程度が限界だろう。
とはいえ、入力支援としてリンクされている観察AI――「トーコ」が、最小限の操作を代行してくれているのも心強い。
そのトーコは、今も病院内で春日たちを遠隔観察している。
春日、吉田、カナ、そしてマサル――。
それぞれに異なる立場と思想を持ち、時にぶつかりながらも、今日という未曾有の一日を踏みしめてきた。
「人は、ここまで多様に反応するのか……」
思わず、神代は小さく呟いた。
シミュレーションでは描けなかった、無数の”人間のゆらぎ”が、この日にはあった。
ベッド脇の小テーブルには、久我と大町が残していったメモパッドがある。
そこにはシンプルに「一旦、離席します。何かあればナースコールを」とだけ書かれているが、その文字の角度や強さから、久我の性格がにじみ出ているようだった。
ふと、病室の外の足音が遠くなり、やがて近づく気配に変わる。
扉の窓の向こうを、春日たちの姿が横切った――いよいよ、出発のときが近づいているのだろう。
「出るか……あの風景の中に」
神代は口の中でだけ、そう小さく言った。
制度を推進した者として、そして事故の当事者として――これから何を背負うのか。
病室の時計の針が、またひとつ先を刻んだ。




