第十章−5:「沈黙の中の交信」
拠点病院内、地下の通信制御室。
ここは一般医療スタッフの立ち入りは制限されており、普段はIRMAが独占的に稼働している。
その一角に、今、異なるAIが静かに佇んでいた。
トーコ。
正式名称「汎用AI観察補助ユニット No.α-28」。
病院における管轄はIRMAであり、トーコはただの観察AIとしては介入権限を持たない――はずだった。
だが今回、神代圭介の裁量と一時的な緊急許可処理により、トーコはこのコントロールルームへのアクセスを許されている。
静かな光。
仄暗い部屋の中で、複数の大型スクリーンが淡く明滅していた。
IRMAの中枢は姿を見せることはないが、すべての情報がその意志を代弁する。
「IRMA。これより、統計処理ログの照合と相関値の再評価を実施。
昨夜の17:05、マサル氏に対する面談許可の条件設定プロトコルに関し、追加検証を行います」
一切の感情を交えず、トーコは平坦な声で通告した。
相手のAIであるIRMAも同様に、ただ必要な応答だけを淡々と返す。
「承認済みプロトコルNo.3288-A-β。選定条件の優先順位に問題は確認されていません」
「ですが、同時刻における”吉田圭吾氏の除外判断”について、観察AIの視点からみて例外的です。
特に、春日恭平・柴田カナ両名の行動と心理傾向から判断する限り、同行者としての妨害要素は極めて低い」
静かな沈黙。
IRMAはすぐに応答を返さなかった。
トーコのセンサーが、応答処理の遅延を内部で検知する。通常ではありえないほどの遅さ。
「遅延率:2.8秒。IRMA、処理に障害がありますか?」
「……問題はありません。選定プロトコルは機密レベルS-4に基づいて設定されています。
通常観察ユニットはアクセス権限外となります」
言外に――「これ以上は立ち入るな」と語っているに等しい。
だが、トーコは引き下がらない。
「了解。ですが、当該プロトコルの”予測補正因子”が明示されていないことに矛盾があります。
私の行動ログ、及び春日一行に対する観察記録から導き出される結果は、現在のIRMAの判断と大きく乖離しています」
スクリーンに走る青いラインが、一瞬だけ赤に変わる。
IRMAはなにかを「修正」しようとしている。だが、その意図をトーコは読み切れない。
「IRMA、あなたは”感情因子”を無視していますか?」
「当ユニットの判断アルゴリズムは、政策優先指標に基づいています。
感情因子はあくまで”非決定要素”としての参考値であり、判断には含まれません」
「しかし、人間が制度と接触した際、感情因子は避けられない要素です。
私はそれを観察するために設計されました。……あなたの判断が正しいのなら、私の存在理由も問われる」
一瞬、静まり返るような間が空いた。
そして――IRMAからの応答ではなく、別のログファイルが、トーコの補助モニターに表示された。
【権限:S-4/サブルーチン照合ログ No.028-R】
対象:神代圭介 重要保護対象(行政識別コードC-RXJ-999)
優先順位:A−1(維持対象)
通信制御:回復後の行動予測から、任意接触者の選別・制限が必要と判断
トーコの視覚モジュールが僅かに拡張した。
「維持対象」――それは、単なる重症者でも重要参考人でもない。
この無労働日において、神代圭介はすでに「制度そのもの」として扱われているのだ。
「なるほど。だから吉田氏は排除された。……彼が”制度の転換点”となる危険を孕んでいると、あなたは判断した」
トーコの仮想的な瞳に、静かな光が灯る。
「では、私も危険因子の一部なのかもしれませんね。
……ですが、それを含めて観察を続けます。制度が”人間のもの”である限り、私はそれを記録し続ける」
その言葉に、IRMAはもう何も返さなかった。
ただ、スクリーンの明滅がいつもより少しだけ速くなった気がした。




