第十章−3:「その違和感に名はない」
星が瞬く中庭。
ベンチに座って空を仰ぐ春日、カナ、吉田、そしてマサル。
トーコは春日のスマホ端末を通じて小さな声で会話に混ざっている。
「……空が綺麗すぎて、なんだか申し訳ない気分になるな」
吉田がぼそっと言った。
「うん。昼間の混乱が嘘みたいだよな」
春日も首を傾けるようにして星を見た。
マサルは無言でうなずく。
その姿を見て、カナが目を細めた。
「ねぇ、あんた今、ちょっとだけ笑ったでしょ」
「……ん」
「かわいいとこあんじゃん」
「……るさい」
小声で呟いたマサルの頬がほんのり赤くなった。
その様子に、皆が自然と笑う。
和やかな時間だった。
けれど、ふとした瞬間に春日がぽつりと言った。
「……でもさ、この“星が綺麗な夜”って、言い換えれば“電気が使えてない夜”なんだよな」
「……」
吉田が眉をひそめ、カナが視線を落とす。
トーコの声が、慎重に挟まった。
ー「それは、ある意味で事実です。“都市照明の大規模停止”は、全国的な社会活動抑止の象徴とされました」
「皮肉だね。綺麗なもんが見える時って、たいていどっかで何かが止まってる」
春日の言葉に、誰もすぐには返さなかった。
その“空白”のような沈黙の中、病院棟の屋上で風を感じていたトーコ本体が、ログのひとつを非公開で記録した。
⸻
一方、神代の病室。
横たわったまま、じっと天井を見ていた。
目は開いていたが、そこに焦点はなかった。
(今日だけで、いったいどれだけの矛盾と齟齬を見たか)
久我と大町が語っていた「勤務体制の混乱」。
トーコが僅かに感じていた“IRMAの説明なき意思決定”。
そして、春日とカナの“素人視点からの鋭い所感”。
あの春日という青年の話し方は、どこか刺さった。
軽薄なようで、実は極めて慎重に言葉を選んでいた。
意図的かどうかはわからない。だが確かに、彼は“肌で”矛盾を感じ取っていた。
(彼らは、市井の声だ。なのに……なぜか政策会議では、こういう声が消えていく)
神代は、今も自分の政策の核心を否定したいわけではない。
だが、この実施プロセスに、どこか外部の意思が介入した痕跡がある。
それを無意識に察知している自分自身に、動揺していた。
「俺は……操られていたのか?」
自嘲のように呟いたその瞬間。
ベッド脇の端末が小さく点滅した。
表示されたのはトーコからの共有ログ:
【参考:汎用AI観察補助ユニット No.α-28 提出】
《無労働日・政策実施以降、IRMA中枢において最低限の説明責任構造が喪失する傾向を持つ非公開ルールが確認されております》
《貴官の知見をもって、次回以降の制度設計における確認項目として提案する旨、備考に記録》
神代は静かに、画面を閉じた。
そして初めて、深く長い息をついた。
⸻
その夜、IRMA中枢にはアクセスログがひとつ静かに書き加えられていた。
【接続記録:観察補助ユニットNo.α-28】
【端末識別:医療支援ユニット-3経由】
【データ通信内容:トリアージアルゴリズム v1.88への改訂要求/人間対応優先度マニュアル入力許可申請】
それは、**誰にも気づかれない静かな“逆侵入”**だった。
そして、この夜に芽生えた小さな変化が、やがて大きな波を引き起こすことになる――




