第九章−6:「中庭にて、歩道にて」
木漏れ日が揺れる静かな中庭。職員用の通路に面したその一角は、普段ならちょっとした休憩に使われる場所だったが、今日は通信機器がひとつだけ、控えめに据えられていた。
その前に立つ久我と大町。端末のスクリーンには、青く冷たいグラフィックで描かれた球体――TOCOのインターフェースが浮かんでいる。
ー「IRMAの判断がなぜ吉田圭吾氏だけを“除外”しているのかについて、現段階で確定的な要因は取得できていません」
トーコの声はいつも通り冷静だった。
ー「しかし観察ログと、IRMAが過去に出力した判断指針を照らし合わせた結果、以下の可能性が抽出されています」
スクリーンに並んだ、複数の数式と判定ロジック。久我が目を細めて読み、大町は小さくため息をついた。
「……“情緒的依存の可能性あり”って、吉田さんがマサル君に情緒的依存してるから会わせられないって意味?」
ー「解釈の一例ですが、はい。IRMAが提示する倫理的判断プロトコルでは、事故被害者の心理的保護が最優先です。加害者に近い立場の人間との接触で精神的悪影響を及ぼす可能性がある場合、それを制限することがあります」
久我が腕を組み、黙っていた。
「でもさ……それなら同席した上での監視付き面談、という妥協案も普通なら出てくるよね? ゼロか百かで遮断って、IRMAらしくない」
ー「そこです」
トーコの声が一段低くなった。
ー「本来、IRMAのアルゴリズムには“リスク管理下での緩和処置”という調整層が存在しています。それが今回は不自然なまでに機能していない。
構造的に切り捨てられているのではなく、最初から無視されたような形跡があるのです」
大町が眉をしかめた。「まさか……誰かが?」
ー「現時点での証拠はありません。ただ、IRMAの内部システムに対する異常な指標値――外部からの優先命令、もしくはセーフガードの過剰反応――が検知されました」
「つまり、事故の関係者“全員”をフラットに扱っていない可能性があると」
久我がぽつりと呟く。
ー「はい。それが、この場で私が医療チームの皆様にだけ共有したかった情報です」
大町が小さくため息をつき、端末のフレームを撫でるように見つめた。
「ありがとう、トーコ……。まだ間に合うよね?」
ー「対応の余地は残されています。ですが、速やかな判断と慎重な交渉が求められます」
二人は短く頷き、スクリーンを閉じた。風が、植え込みの葉をさっと揺らした。
⸻
一方その頃。
病院の敷地を回る外側の遊歩道では、春日一行がのんびりと歩を進めていた。
マサルは背負っていたリュックを少しずらして、道端の植え込みに咲く小さな花をじっと見つめている。
「これ、何の花だろ……」とぼそりと呟くと、春日がしゃがみ込んで一緒に見た。
「たぶん、ルリタマアザミじゃないかな。棘があっても咲く花……って感じだよな」
「……変なの」
「変、って言うなよー」
笑いながら春日が立ち上がると、その様子をやや離れて見ていたカナが口を開く。
「……私、どうしても見ちゃうんだよね。人間の表情とか、仕草とか。職業病っていうか、無意識に“この人、怒ってる”とか“何か言いたそう”って観察してる」
「まぁ、接客のプロってことよ」春日が笑う。
「うーん、そうなのかも。けど人間嫌いだったらこの仕事、絶対やってないわ。たぶん“人間大好き”なんだろうな、私」
その後ろをぼんやり歩いていた吉田が、ふと足を止めて辺りを見回す。
「……なあ。トーコ、どこ行った?」
「あー、それ?」
春日はおもむろにスマホを取り出し、画面をタップ。
するとスピーカー越しに、淡々とした音声が返ってきた。
「現在、通信支援モードにて同行中です。スマートデバイスからのアクセスを継続しています。」
「おお……! 出た!」
吉田が思わずのけぞった。
「ちょっ……恭平、それ起床時のテンションじゃん……!」
カナが笑いながらツッコむ。
春日はスマホを掲げたまま、涼しい顔で言った。
「起きてからカナさん達と会うまでは、この状態だったよ?」
吉田とカナが思わず顔を見合わせ、噴き出す。
そんなやりとりを、少し後ろから見ていたマサルが――
ふいに、ほんのかすかな声で、誰に向けるでもなくぽつりと呟いた。
「……やっぱ、変なの」
だがその言葉の裏には、ほんの少し――
安心や、嬉しさのような気持ちがにじんでいた。




