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第九章−3:「小さな部屋の、確かなつながり」


静かに差し込む夕方の光が、病室のカーテン越しに淡く反射していた。

一見、何の変哲もない入院室――だが、そこには今日という日がもたらした特別な再会があった。


ベッドに腰掛けたマサルは、白いシーツの上に小さく足を揃えて座っていた。

彼の隣には父・吉田圭吾が椅子に座っており、すぐそばに春日とカナも控える形で談笑している。


普段のマサルは、どちらかと言えば感情を控えめに閉じ込めてしまうタイプだった。

だがこの瞬間ばかりは違った。

言葉を慎重に選びながらも、ひとつ、またひとつと、ぽつりぽつりと思い出や気持ちを語り続けていた。


「……お母さん、昨日の夜に……何も言わずに出かけちゃって……」


「朝起きたら、一人だった。で、すぐに……お父さんのとこ、行こうって思った」


「それで……自転車に乗って……でも……」


語尾が濁った瞬間、吉田がそっとマサルの手に触れた。

それだけで、マサルはわずかに顔をほころばせた。


「マサル……おまえ、本当によく無事だったな……」

吉田の声もまた、少し震えていた。


そのやり取りを、春日とカナは静かに見守っていた。

カナは目元に少しだけ潤みを浮かべながらも、それを笑顔で隠していた。

春日はどこか神妙な面持ちで、何かを抱え込むように膝の上で手を組んでいた。


病室の隅では、トーコがいつものように直立した姿勢で控えていた。

が、彼女の中では複雑な演算と通信が進行していた。


【現在処理中ログ:IRMAへの連絡回線】

TOCO(α-28):

「確認します。マサル氏に限る面談許可が、他者への心理的影響や特別処遇と見なされる可能性は――」

IRMA:

「了解。現時点でのデータ上、心理的誘発事象のリスクは限定的。ただし継続監視中」


TOCO:

「了解。吉田氏の感情的変化と他の同行者への感応範囲を引き続き監視します」


会話ログはごく短く、冷静だった。だが、その背後では注意深い計算と調整がなされていた。


表面上、病室にはただ穏やかな時間が流れているように見える。

しかし、トーコとIRMAの通信の裏では、あらゆる可能性と矛盾の監視と調整が走っていた。


マサルがふと視線を上げ、春日に訊ねる。


「……春日さんは……何してる人なの?」


春日は目を丸くした。


「えっ、俺? えーと……一応、今は“自由研究中”ってことで……」


「ニート、って言っていいのかね」

カナが苦笑しながら補足すると、マサルが珍しく口元を緩めて笑った。


「自由研究……なんか、それ、かっこいい」


その一言に、病室内は柔らかな笑いに包まれた。


トーコはその光景も正確に記録しながら、再びIRMAとの通信ログを走らせていた。


TOCO:

「マサル氏の心理的安定は維持。言語化頻度上昇傾向あり」


IRMA:

「認証。対話対象:吉田圭吾、春日恭平、柴田カナ。いずれも現時点での制止要因なし」


この時間が、マサルにとって回復への一助となるのなら。

トーコは、そうした意味での“環境制御”を支えるように行動していた。


春日はふと、トーコの無表情な顔を見上げて呟いた。


「トーコ……お前、実はけっこう色々気ぃ遣ってくれてんだな」


トーコは顔を向けず、そっけなく返した。


ー「私は本日の行動観察記録を遂行しているだけです。感情に基づく行為は非推奨です」


「……それでも、ありがとよ」


誰からともなく、再び笑みがこぼれた。


病室の外はすでに夕闇に包まれ、非常電源で動く病院の照明が温かく灯っていた。


──


薄明かりの廊下を、久我明弘と大町澪の2人が静かに歩いていた。

目的はもちろん、マサルの病室。

だが、廊下の奥から聞こえた声が、2人の足を止めた。


「……ここは…病院か。」


――それは、神代圭介の声だった。

静かながらもよく通る声で、聞き違えることはありえない。


「神代さん……意識が……」

大町が驚きに声を漏らす。


久我は素早く足を返し、神代の病室へと駆け寄った。

扉を開けた先、ベッドの上で神代は上体をやや起こし、2人を見ていた。

目に力が戻り、額にはまだ疲労の色があるものの、意識は明らかに明瞭だった。


「お目覚めになったばかりです。あまり無理はなさらない方が……」

久我が気遣うように言ったが、神代は首を振った。


「今が、どのくらいの時間かはわからないが……

状況を、知りたい。どうなっている? あの事故は、どれくらい前のことだ?」


言葉に焦りはなかった。だが、その明晰さと抑制された声音は、かえって強い意志を感じさせた。


大町がタブレットを手に取り、簡潔に説明を始めた。

搬送の経緯、容体の推移、そして現在の状態――。


久我も続ける。


「あと数時間で無労働日は終わります。神代さんは早期の処置が功を奏し、現在は安定しています。

ただ、意識の回復は予想よりも早かったですね。

骨折もありましたが、内臓損傷の程度も制御下にあり、出血量も最小限に抑えられています。

ただし、経過観察はもうしばらく必要です」


神代は目を細め、軽く天井を仰いだ。


「無労働日か……ようやく……この政策が現実に踏み出したということだな」


「はい。少々……混乱もありましたが」

大町が苦笑気味に答えると、神代はわずかに微笑した。


「そうだろう。私は、それを想定していたから、今このベッドにいるのかもしれん」


含みを持たせた神代の言葉に、久我も大町も返す言葉を一瞬失った。


「……神代さん、それはつまり……」


「いや、憶測に過ぎない。ただの独り言だよ。

だが、今後この国がどうなるかを占う、一つの『日』であったことは確かだろう。

それに……私に関わった子供――彼も無事なんだろう?」


その問いに、久我がゆっくりとうなずいた。


「はい。マサル君は、現在も入院中です。容体は安定しており、先ほど彼の父親と再会を果たしました」


「……そうか。それなら、良かった」


神代はそのまま目を閉じた。

一瞬、再び眠りに戻るのかと思ったが、すぐに開かれた瞳は、何かを見据えていた。


「君たちには、感謝している。だが――いずれ、少し話をさせてくれ。

私のことも、この“制度”のことも、無関係とは思えなくてね」


その言葉に、久我も大町も自然と背筋を伸ばして頷いた。

まるで、ただの患者ではない重さを、この男から無意識に感じ取っているようだった。



その頃、離れたモニタールームに佇むトーコは、

政府内通信網に接続されたIRMAからの静かな通知を受け取っていた。


【IRMAより通知】

■神代圭介氏:意識レベル明瞭化確認。医療チームによる一次対応済。

■精神的負荷:安定推移中。バイタル指標:軽度の変動あり。

■周辺医療チームとの会話記録、観察対象外エリアにて要点確認済。


だが、彼女に変化は見られない。

人工の瞳は変わらず冷静に、淡々と前を向いていた。


内部処理ログ:

「神代圭介、意識回復。高度優先患者。IRMA選定ロジック再照合――保留処理継続。

意図の不透明性、解消せず。感情的要因の優先度付け……あり得るか?」


処理継続:YES

対外反応:不要

行動指針:維持


トーコは、黙って自らの任務に戻る。

言葉もなく、ただ――「観察を続ける」。


その瞳の奥には、冷静さを超えた“意思の断片”のようなものが、

ごく微かに、揺らいでいた。

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