第八章−8:「トーコの解析:不可解なる最優先」
夕方の病院ロビー。救急搬入口からの騒がしさとは裏腹に、館内の一角は妙な静けさに包まれていた。春日たちは、久我とのやり取りの余韻に包まれながら一旦落ち着いた様子だったが──
トーコの処理系は、静かに別の作業へと移行していた。
観察補助ユニットとして病院内の通信環境にアクセスし、IRMAによる一連の患者トリアージ記録ログを非表示プロトコルで逐次取得する。処置の順序、搬送経路、必要医療機材の割当、スタッフ配置のロジック……いずれも理路整然としており、実に「効率的」である。
──だが。
ー(ログNo.212-B7:対象ID【神代圭介】、優先度:緊急カテゴリー-A、処置必要度:Tier1、経過観察対象、介入頻度:最大……)
「…………」
トーコの視線に似たアイセンサーが、一瞬わずかに光を強めた。
同じく重傷の傷病者は他にも複数いた。意識不明の者、出血性ショックに近い状態の者、既往症を抱える高齢者──いずれも医療資源が必要なケースだった。だが、その中でも神代圭介に関してだけ、介入頻度・資源投下量・医療スタッフ集中度合いが突出していた。
そして、それがIRMAの自動判断であったことにこそ、トーコは違和感を抱いたのだ。
静かに、不可視回線が開かれる。
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《通信開始:政府管轄AI通信網/プロトコルID:Ω-I02》
送信者:TOCO(汎用AI観察補助ユニット No.α-28)
受信者:IRMA(緊急時医療支援AI制御ユニット)
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TOCO:
【神代圭介】氏の優先処置は適切性上、例外的に高いパラメータを示しています。照会します。
選定アルゴリズム、バイアス要因、特例条件を明示してください。
IRMA:
応答開始。
【神代圭介】は政府指定要注意者リスト・グループAに属します。
現時点における政務機構の安全性維持において、その生存は政策的優先順位の最上位と定義されました。
政府要請ログ参照:Flag: Priority-Sapphire/Δ3-Gov
TOCO:
当該優先措置は観察対象分類【非公開】に該当。
施政判断に基づくバイアスは、平時の医療支援AIにおける倫理構造とは相容れません。
この優先措置が市民階層に露見する場合、社会的軋轢を生む懸念あり。
IRMA:
本判断は非開示プロトコル内に収容されています。
現場医師への指示も優先度アルゴリズムに基づく限定情報提供に留まっており、政策目的が露見するリスクは低。
繰り返します。当該措置は「合法かつ極秘」の範疇です。
TOCO:
了解。観察対象としての矛盾は記録保持します。
貴ユニットの意思決定に倫理的疑義を呈する立場は保持されていませんが、全体的整合性の監視は継続します。
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《通信終了》
ほんの1秒にも満たないやり取りだったが、トーコの処理系では何百通もの意味論的・倫理的変数が巡っていた。
神代圭介。
ただの重症患者ではない。
政治的優先順位が、命の順位を変えた。
──観察者として、それは記録する。
だが、介入はしない。トーコの任務はあくまで「観察と報告」に限定されているのだから。
春日の視線がふとトーコに向けられたが、トーコはもう何事もなかったかのように、彼らの様子を見守るポジションに戻っていた。
「……トーコ、なんかあった?」
カナの問いに、トーコは首を横に振った。
ー「いいえ。現在も観察継続中です。異常はありません」




