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第八章−3:「夜の無策、混乱の宴」


 昼間に見た星空の美しさも、時間が経つごとにかき消されていった。

 春日たちは雑踏のようにうごめく暗がりの中、流れに揉まれるように歩いていた。


 いつの間にか、夜に適応できなかった人々が、あちこちに集まり始めていた。


「なあ、スマホ充電できるとこないのかよ!」

「信号は点いてるのに、なんでこの自販機は動かねぇんだ!」

「ってか、灯りないと怖いんだけど!」


 雑踏と化した歩道。

 街灯のない夜道に、小さな子どもを抱えた家族、買い物に出たはずの人々が彷徨っている。


 ある男性が誰かに食ってかかっていた。


「何だよ、バッテリー貸せって言っただけだろ!?」


「だから、それだって“労働”だって言われてるって、何度も──!」


 言い争い。怒号。

 押し殺した不安と苛立ちが噴き出すように渦を巻いていた。


 カナが眉をひそめる。


「……もう、みんな限界来てるわね。なんでこんな状態で夜まで何も準備してないのよ」


 吉田は苦笑しながら、電気の切れたコンビニの店先で呆然と立ち尽くす若者を見やる。


「何も考えてないっていうか、そもそも“誰かが何とかしてくれる”って思ってる人、多すぎるよな」


 春日は、信号だけが明滅する十字路の向こうに、明らかに道に迷っている年配夫婦を見つけて駆け寄った。


「だ、大丈夫ですか? どこか行き先が──」


「このへんにあったはずの交番が、開いてないんですよ……何か、起きてるんですか?」


 春日は口を開きかけたが、うまく言葉が出なかった。


「……あの、今日って“無労働日”で。公共のサービスもほぼ止まってて……」


「ええ!? そんな……そりゃ、警察も来ないわけだわ」


 その時、背後からけたたましい音が響いた。

 金属バットで自販機を叩いている若者たち。叫び声。混乱。


「……ちょっと行ってくるわ」


 カナが唇を噛みしめながら足を向けようとした瞬間、


「やめとけ、カナちゃん。言ったって通じる相手じゃねぇよ、あれは」


 吉田が止めた。

 トーコが横から冷静に補足する。


ー「現在、集団的な焦燥状態による小規模暴徒化傾向が観測されています。無秩序下においては直接的介入は推奨されません」


「わかってる……わかってるけど」


 カナが振り向き、怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべた。


「一日だけ、たった一日だけ、働くのをやめるって、それだけでこの国こんなになっちゃうの……?」


 春日も言葉を詰まらせた。


 彼らは、今この混乱が、「労働」がいかに社会の表と裏を支えていたかを痛感する瞬間に立ち会っていた。


 トーコの目が虚空を捉えたまま、小さく光った。


ー「──記録中。社会機能不全の初期症状、街頭レベルにおいて顕在化」


 春日はぼそりと呟く。


「これが、国を挙げた“休日”の、現実か……」


 自販機のガラスが割れ、缶がばらばらと転がる音が夜の通りに響いた。

 街灯のない薄暗い中、数人の若者が金属バットを振り回しながら逃げ惑う人々を押しのけて進んでいく。

 もはや焦燥や苛立ちでは済まされない暴力性がそこにあった。


 トーコの義眼のような光が一瞬強く点滅した。


ー「記録完了。通報プロトコルを実行します──」


 通信回線が一瞬だけ音をたて、すぐに沈黙した。


ー「……通報完了。治安維持部隊が向かいます」


 春日は硬直しながら、遠くで何かが動き始める音に耳を傾けた。


 ほどなくして、無音に近い速度で走る車両が数台。無灯火のまま滑り込むように現れた黒い車。

 全身防護装備の人影が、暗がりから次々に降り立ち、声を荒げるでもなく、過激化していた若者たちを静かに、しかし確実に制圧していった。


「……なんつーか、速いな」


 吉田がぽつりと呟く。


 過剰な暴力はなかった。だが確かに、圧倒的な“力の差”を見せつけるような制圧だった。

 暴徒の一人が悲鳴を上げ、取り押さえられながら車内に連行されていく。


 春日は唇を噛み締めながら、視線を逸らした。


「結局、俺たち、何もできないんだな……」


 「止めよう」とも「守ろう」とも言えず、ただ眺めるだけ。

 この日が持つ強制的な“休日”の空気に、それすら踏み出す力を奪われていた。


 カナが低く呟く。


「これで良いの? あんなふうに連れていかれて、それで終わり?」


 トーコが答えるように口を開いた。


ー「現行の法律では、無労働日中の破壊行為・騒乱行為は“社会秩序攪乱罪”に該当し、即時処理が認められています。治安維持部隊の行動は正当な対応です」


「……わかってる。理屈はね」


 カナは苛立ちを抑えきれないまま手をぎゅっと握り締めた。


 吉田も肩をすくめて言った。


「たしかに正しい。でも、何かが違う気がしてならないんだよな……」


「たぶん……“正しさ”だけじゃ、飲み込めないってことなんだと思う」


 春日はそう言って、信号の赤い光だけが規則的に瞬く交差点を見つめた。


 そこにトーコが、あくまで冷静に付け加えた。


ー「……正義や倫理は、時として制度と噛み合いません。

 ですが、感情やもどかしさを制度の外側で爆発させる行為は、他の誰かの自由を破壊することになります。

 あなた方が“何もできなかった”のではなく、“すべきでなかった”だけです」


 けれど、誰も答えなかった。


 夜の静寂は少し戻ってきていたが、それぞれの胸に生じたわだかまりだけは、簡単には晴れそうになかった。

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