第六章−5:「誰がための正義」
空は橙色に染まり始めていた。
一行は、広場から少し離れた路地に面した小さな集落跡のようなエリアを歩いていた。
「……なんか騒がしくない?」
カナが立ち止まり、周囲に警戒するように視線を走らせる。数秒後、角を曲がったその先で、数人の人だかりが見えた。
その中心には、どこか見覚えのある炊き出しボランティアの女性――あの場でリーダー格だった中年女性の姿。そして、対峙するのは……。
「またあいつらかよ……」
吉田が苦々しげに唸った。
“労働警察”の腕章をつけた自警団だ。以前の炊き出し騒動時よりもメンバーは増えている。彼らは半円状に人々を囲み、明らかに敵意を隠していなかった。
「繰り返す。あなた方の行動は、“無許可の移動補助”“食料配給”に該当し、労働行為にあたる。即時中止しなければ、拘束対象とする!」
リーダー格の男が叫ぶ。対する女性は怯まず、声を張った。
「じゃあ見捨てろって言うの!? 足の悪いお年寄りが帰れないのよ!? 水も食料も尽きてる! 車も動いてないのにどうしろって言うの!」
「法律を守れ! 善意で国は回らん!」
その瞬間――
「――“法律がすべてなら、あんたらの存在も違法じゃないの?”」
低い声が割って入った。
春日だった。彼の言葉に、群衆が一瞬ざわめいた。
「政府が定めたのは、“無労働”であって、“無援助”じゃない。制度が整ってないのに、一方的に取り締まるのはただの暴力だろ」
「お前、誰だ!」
「ただの通りすがりだよ」
トーコは無言のまま、背後から一歩前に出た。その存在に気付いた自警団の一人が、ひそひそと別の団員に囁いた。
「……監視ユニット、いる。やべぇな、通報入るぞ……」
「今さら下がれねぇだろ……!」
だが、その言葉とは裏腹に、じわじわと彼らの顔に焦りが浮かんでいく。トーコの無表情が、逆に圧を与えていた。
「トーコ、どうするの?」
カナが尋ねた。トーコは、やはり視線を逸らさず答える。
ー「この場における“介入”は予定されていません。状況のエスカレーションが必要条件を超過した場合、観察ユニットからの“即時通報権限”が行使されます」
「え、それって――」
ー「そうです。この場が違法集団行動または暴動の兆候ありと判断されれば、即座に対応部隊が派遣されます」
「――えっぐ……」
春日が呆れ混じりに息を吐いた。
女性ボランティアはなおも訴え続けている。
「この子たちが死んでからじゃ遅いのよ! あんたらに見えてないだけで、困ってる人はたくさんいるの!」
一方で、腕章を付けた男は拳を握りしめ、言い放った。
「それでもなぁ! “働いたら負け”の日に、勝手な真似をしたら秩序が崩れるんだよ!」
一瞬、空気が凍った。
春日は、トーコをちらりと見る。
「トーコ、これはさ……やっぱ、制度そのものが破綻してんじゃないの?」
トーコは淡々とした声で返した。
ー「本制度は、現在“実験段階”であり、最大の目的は人間社会における“境界の明確化”です。労働と援助、責任と善意、その差異を国民がどう捉えるか――それがこの制度の真の評価基準です」
「……つまり、“混乱するのも計画のうち”ってこと?」
ー「その通りです。だから私は、記録しています」
トーコは淡々と観察を続けていた。だがその記録が、いつか誰かにとって重くのしかかることを、春日はなんとなく予感していた。
混乱はまだ終わらない。
自警団の隊列と、ボランティアの面々。その周囲に集まった野次馬、興奮した通行人たち。
討論は、徐々に言葉の応酬を超え始めていた。
「そもそもお前らが炊き出しなんてやってるから、他の住民も勘違いするんだよ!」
「じゃあ誰が助けるの!? あんたらの正義ってのは、誰も救わないの!?」
「秩序がなければ混乱が広がる。情じゃ社会は回らないんだ!」
「情がなければ、社会なんて意味がない!」
二つの主張は、もはや「正しさ」のぶつけ合いではなかった。
それは「自分の正しさ」以外を排除する熱量の応酬だった。
そして、その空気に触発されるように――周囲からヤジが飛び始めた。
「どっちも勝手にやってんなよ!」
「無償とか偽善だろ、綺麗事言ってるだけじゃねえか」
「警察気取りかよ、なに様だテメェら!」
「ユニットに守られてる気になってんのか!?」
最後の一言に、トーコの人工眼がわずかに点滅する。
ー「……観測対象への人格攻撃・組織的暴言を確認。発言履歴、音声波形、映像記録を照合……閾値を超過しました」
トーコの声は低く、淡々としていた。
ー「――無許可群衆行動、及び公共秩序の破壊の可能性あり。第14管区・即応支援部隊に通報を行使します」
一同が凍りついた。
「……今、通報って言った? マジで?」
「お、おい、やめろよ……あれ、ホントに来るやつだろ?」
「隊長……やばいって、今すぐ引いた方が……!」
自警団の中にすら、急速に動揺が広がる。
だが、発言者のトーコ本人だけは微動だにせず、平然と続けた。
ー「当該群衆行動のリスクレベルは“黄”と判定されました。対応部隊は15分以内に現地到着予定です。これにより、現地判断による“退避勧告”の猶予時間を発動します」
春日が口元を引き結んだまま、小さく呟いた。
「……これが“制度のセーフティネット”ってやつかよ……」
吉田も顔をしかめ、周囲を見回す。
「ほんとに来るのか? マジで警備隊みたいなやつが?」
ー「ええ、来ますよ」
トーコは即答した。
ー「……ただし、暴力的鎮圧ではなく“秩序の可視化”が主目的です。記録は既にリアルタイムで送信済み。現地判断は、あくまで“人間”の役目です」
カナが低く唸るように言った。
「……でも、判断ミスで誰かが怪我でもしたら? 誰が責任取るの?」
トーコの視線が、初めてカナに向けられる。
ー「その際は、“制度”が責任を負います。“人間”の誰もが傷つかないように制度を構築することが、唯一の解決策です」
その言葉が、妙な虚しさを孕んでいたのは――気のせいではなかった。
やがて、周囲がざわめき始めた。
遠くから、規則正しい車列の音が近づいてくる。
トーコが一歩、群衆の中から抜け出し、春日たちの方へ静かに戻った。
ー「……すぐに、ここを離れることをおすすめします」
そして最後に、いつもの無表情で、こう付け加えた。
ー「記録は完了しました。」




