第六章−4:「空を見上げて、親指を立てて」
「てかさあ……」
春日は唐突に立ち止まって、目の前にある信号機を指さした。
「“実施自治体は限定”とか言っといて、首相が全国ネットで**親指立てて『頑張ってください!』って言ってたよな? あれ、どう見ても全国一斉実施のテンションだったけど」
「え、マジで?」
カナと吉田が同時に振り返る。
「……私も見たわ。あの生中継。どこのバラエティ番組かと思ったくらい派手だった」
「背景、なぜか富士山CGだったよな……」
呆れ半分の春日の声に、トーコはやや間を置いて答えた。
ー「政府の広報戦略における“演出”は、対象範囲や制度段階とは必ずしも一致しません」
「いやいやいや、演出ってレベルじゃねぇだろ……。国民全員に“明日から働くなよ!”って煽っておいて、実際は“試験運用中です”ってどういうギャップだよ」
春日は額に手を当てた。
ー「実施自治体は、全体の6ブロック中2ブロックに限定されています。今回の休日は**“フェーズβ・拡張試行”と位置付けられ、全国一斉実施に向けた市民行動データの収集・分析**が主目的です」
「……つまり、試されてるってことか」
吉田の低い声に、トーコは頷く。
ー「そうです。“無労働日”の全面的な導入は、年間数回の交代休日制を想定しています。そのためには、どの業種にどのような影響が及ぶか、事前検証が必要です」
「けどさ、それって裏を返せば“誰かが損をすることを前提にしてる”ってことでしょ?」
カナの声は少し鋭くなった。
「“誰もが等しく休める日”を掲げておいて、休めない人がいる時点で、その前提は破綻してるんじゃないの?」
ー「制度設計上、“すべての業務を一斉停止”することは想定されていません。生命維持・公共安全・極限対応の範疇においては、事前許可を得た者の限定的労働を許容し、その後に絶対的代休日の取得を義務づける形で調整されます」
「なんか……そういうのって、“正しい”ことを言ってるようで、すごく怖いね」
春日がつぶやいた。
「実際、今日みたいな日って、“社会のバランス感覚”を試されてる気がするんだよ。誰が動いていいのか、動いてはいけないのか、その“空気”のさじ加減で全部決まってる気がする」
ー「“空気”による判断が生じること自体が、制度的には不健全です。ゆえに私は観察・記録・通報を行い、判断は上位機関に委ねます」
トーコは涼しげに言い放った。
春日は苦笑する。
「でもその“記録”が、いつか“判例”になるんだろ? あとから“やっぱりこれは労働とみなします”とかさ」
ー「……それは、十分にありえます」
トーコが即答するその潔さに、春日たちはしばし無言となった。
沈黙のなか、吉田が口を開いた。
「でも、実際に制度が動き出したら……何年後かには“当たり前”になってるんだろうな。“休むことが義務”って社会」
ー「その時には、“働きたかった人”が迫害される可能性もあります」
トーコの淡々とした一言に、三人は揃って振り返った。
「なんでそんなディストピアのナレーションみたいなことを……」
ー「可能性のひとつとして提示したまでです」
沈んだ空気のなか、遠くから犬の鳴き声が聞こえてきた。
あかりの家で過ごした陽気なひとときとは打って変わって、日が傾いた空の色は、どこか無重力のように乾いていた。
春日は視線を空に向けて、ひとつため息をついた。
「せめて次回は……富士山のCGじゃなくて、ちゃんと地元の風景でも映してくれよな、首相」
ー「背景に意味を求める必要性は、制度運用においては認められていません」
「うるさいよ、トーコ……」
───
「全国展開って、本当にやる気なの?」
カナが腕を組んで尋ねた。そこには皮肉でも揶揄でもなく、ある種の現実感のなさに対する純粋な疑問が混じっていた。
ー「政府は“2027年度末までに全国導入”を目標に掲げています。年間における段階的な導入・運用試行を経て、無労働週の設置も議論の俎上にあります」
「週って……」
春日は思わず聞き返した。
「週って、つまり“1週間働いちゃダメ”ってこと?」
ー「一斉停止ではありません。“ローテーション制無労働週間”です。業種別・地域別に休日をずらし、結果的に1年間に複数回、全員が平等に“休む義務”を果たす運用が検討されています」
「それって……もう“働く”じゃなくて“休む”ことが法的義務になるってこと?」
ー「言い換えれば、“人間は休まなければならない”という価値観が制度として成立する、ということです」
「……皮肉だね」
吉田がつぶやくように言った。
「ブラックな環境で、“休ませろ”って声をあげ続けた人たちがいたはずなのに……気づけば“働かせろ”って訴える人が出てきそうな世界になってる」
ー「すでに出ています」
トーコの即答に、春日は軽く目を見開いた。
ー「“働く自由を奪うな”という声は、主にフリーランス、自営業者、クリエイティブ職従事者の間から上がっています。無労働日の柔軟適用を求める意見も寄せられており、次回以降の制度設計に反映予定です」
「なんかもう……“自由”ってなんなんだろうな」
春日は空を仰いで、ひとつ深く息を吐いた。
「好きなときに働けて、好きなときに休めて、っていうのが“自由”だと思ってたけど、それすら“管理”される時代が来るなんて……」
ー「制度が管理するのは“機会の均衡”であり、“個人の意志”ではありません。けれども、選択肢の提示という観点から見れば、全体の可処分時間を平等に与えることは自由の拡張とも言えます」
「うわー……もう哲学だ」
カナが額を押さえて言った。
「これってさ、人類にとっての“休み”の再定義ってことなのかな」
ー「厳密には、“休まなかったことによる損失”が、統計的に経済損失や精神疾患増加といった形で可視化されたことが制度推進の根拠です」
「数字か……」
吉田がぽつりとこぼした。
「休むのも働くのも、全部“数字”でしか評価されない世界か……」
ー「それでも、意味は残ります。休むことで初めて、自分が“どこで働いていたのか”を見つめ直せる人間もいます」
その言葉に、春日・カナ・吉田の三人はしばし黙った。
風が吹いた。あかりの家から聞こえてきた鳥の声も、もう遠い。
春日はふと、トーコに目を向けて尋ねた。
「じゃあさ、トーコ。君が思う“理想的な無労働日”って、どんな日?」
数秒の沈黙。
トーコは目を細めて、春日を見つめた。
ー「“誰も働かず、誰も困らず、誰も気づかない日”です」
「……うん、まあ、つまり――」
ー「不可能ですね」
きっぱりと言い切られ、春日は肩をすくめた。
「だろうね」
春日はふと立ち止まり、思いつめたように空を仰いだ。
「……ねぇ、トーコ」
ー「はい」
「もしさ、今日みたいな“全部止まる日”に――たとえば他国が攻めてきたらどうすんの? 自衛隊も休み? ミサイル飛んできたら?」
カナと吉田も足を止め、少し顔色を変えた。
「私もそれ、ちょっと思ってたわ。国防は、休めるの?」
ー「制度上、“国家存続に関わる緊急事態”は、無労働日適用の例外規定に該当します。対象となる組織・人員には、事前通告なしに労働命令が発令され、任務が割り当てられます」
「つまり……“戦争モード”になったら普通に働くってこと?」
春日は眉をひそめながら尋ねる。
ー「はい。平時における労働禁止と、有事における国家機能の維持は矛盾しません。むしろ、**有事に備えるための“完全休息日”**という解釈も一部では存在しています」
「ええ……ちょっと待って。それ、平和のために休んでるつもりが、戦争のための体力温存とか……皮肉が過ぎない?」
カナが顔をしかめる。
ー「皮肉ではありません。あくまで制度上の“解釈”の一つです。“無労働日”の本質は、“社会機能の再起動”を円滑にすることにあります」
吉田がふっと鼻で笑った。
「なんかもう、マニュアルだな、トーコは」
ー「はい。私はすべてを記録し、必要に応じて通達し、最終的には削除されます」
「削除……?」
春日が反応しかけたが、それ以上は深く追求しなかった。
トーコは何事もなかったかのように、視線を三人に戻した。
ー「国防体制に関しては、無労働日制定前よりもシミュレーション頻度が3.2倍に増加しています。非常用司令網、代替通信ルート、限定運用兵站は整備済みです」
「うーん……でもさ」
春日は小さくつぶやいた。
「それ、全部“計画通りにいけば”の話だよな」
トーコは、ほんのわずかだけ――**計算された“間”**を置いて応えた。
ー「その通りです。ですが、“想定外”を想定することが制度設計の根幹である以上、何もせずに働き続ける社会よりは安全です」
三人は黙った。
すべての音が吸い込まれるような、無風の午後だった。
やがて春日は肩をすくめて、無理やり明るく言った。
「ま、仮にこの国が潰れるとしても、今日じゃない気がするけどな」
ー「その楽観は、貴重な心理的安全因子です」
トーコはそう言って、すでに再び歩き出していた。




