第六章−3:「走れる者たち」
「……ってことは、今日はタクシーも、バスも電車も全部止まってんだよね?」
カナがぽつりと問いかけたのは、先ほどのカフェ“あすなろ”から少し離れた交差点。
いつもならエンジン音やアナウンスで賑やかなこの一帯も、今はやけに静かだ。
「そうなるね」と春日が頷く。「公共交通って全部“労働”の塊みたいなもんだし」
「じゃあ、あそこに止まってる車は?」
吉田が指差したのは、信号待ちの小型のワゴン車。
老夫婦らしき2人が乗っており、何かを話し合っている様子が見て取れる。
「自家用車か……」
カナは少し首を傾げて言う。
「まさか、そこまで制限されてないよね? 乗るだけなら“労働”じゃないし」
ー「その通りです」
トーコが淡々と応える。
ー「現時点で、個人所有の車両の使用は全面的に認可されています。ただし、有償・無償を問わず**“他者の移送”**を主目的とした行為は、労働行為と見なされる可能性があります」
「なるほど、“自分のため”ならOKだけど、“誰かのため”だとアウトなんだ……」
春日が溜息交じりに呟くと、吉田が少し笑って補足した。
「そりゃまあ、制度の“お題目”通りに言えばそうだろうな。“すべての人間が自分自身の休日を過ごすこと”が目的ってやつだ」
「……けど、それって結局、独りでしか動けないってことじゃない?」
カナが吐き捨てるように言う。
「子ども連れて病院に行くとか、友達の家まで送り迎えとか、そういう“ふつうのこと”まで制限されるなんてさ」
「“ふつう”をどこまで許すかって話だな」
春日が呟いたその時、信号が青に変わった。
目の前の老夫婦の車が静かに走り出していく。
「信号、動いてるんだ……停電なのに」
ー「それについては、政府および地方自治体が非常用の電源システムを導入済みです。各交差点ごとにバッテリーや小型ソーラーによる補助電力が事前配備されています」
「へぇ……そこはちゃんと準備してるのね」
春日が少し皮肉を込めた調子で言うと、トーコは軽く首をかしげた。
ー「信号機の機能停止による事故件数が、制度施行初年度における大きな批判要因のひとつでした。今回の休日は“完全なシミュレーション下”として実施されています」
「まさか、今回って……テスト扱いなの?」
ー「法的には“試行適用”という位置付けです。全国一斉ではなく、いくつかの自治体単位で同時進行しており、今後の全国実施に向けたデータ収集が目的です」
三人とも一瞬黙り込んだ。
その空白の中で、春日がぽつりと漏らす。
「これ……実験台だったんだ、俺たち」
ー「ええ、あなたたちは非常に貴重な観察対象です」
言い切るトーコに、吉田とカナが同時に睨みをきかせた。
「悪いけど、それ、ちょっとイラッとするわね」
「いや、“悪気はない”って顔されるのが一番ムカつくパターン」
ー「悪気の概念は搭載されていません」
「それがまた……!」
春日は苦笑いで空を見上げた。
静かな午後。だが、地面のどこかには常に、制度と生活の境界線が走っている。
今日、その境界を知らずに踏み越えた人は、どれだけいたのだろうか。




