第六章−2:「善意と規範の温度差」
「おーい、そこのお兄さんたち、よかったら一休みしていかない?」
振り返ると、そこは大きな民家の敷地前。
手作りの木看板に《喫茶 あすなろ》と雑に書かれた文字。そしてテーブルと椅子が数脚、簡易タープの下に並べられていた。
立っていたのは三十代前半と思しき女性。エプロン姿で、人懐こい笑みを浮かべている。
その脇には年配の男性と、やたら気合いの入ったメイド服姿の若者が二人――いや、明らかに素人のコスプレだ。
「……文化祭か?」
春日の小声に、カナが肩をすくめる。
「いや、これは“自主的カフェ”ってやつでしょ。最近増えてるって噂は聞いたことあるけど……」
「コーヒーと紅茶、水出し麦茶、クッキーもあるよー。全部無料だけど、寄付は歓迎って感じでやってまーす!」
あからさまに“やってはいけない側の善意”だった。
トーコの反応は速かった。
春日たちのすぐ脇をスッと抜けると、カフェスペースの前で立ち止まる。
ー「本日、あらゆる形態の営利・非営利の提供活動は原則禁止されています」
声のトーンは変わらず、だが明らかに厳しさがあった。
「いやいや、営利じゃないんですよ。みんなで余ってた在庫持ち寄って、困ってる人にちょっとでも休んでもらおうってだけで――」
ー「“休んでもらおう”という意図は、“提供”に該当します。本日、その行為は明確に労働行為です」
女性がややたじろぐ。だが、背後のメイド服の青年が口を挟んだ。
「でも、誰かが何かをしなきゃ、こういう制度は形骸化するだけじゃないっすか? 別に稼いでるわけでも、命令されてるわけでもないっすよ」
トーコの視線がそちらに向いた。
ー「制度が形骸化しているか否かを判定する権限は、あなたにはありません」
「じゃああなたにはあるんですか?」
一瞬の沈黙。
ー「私には記録と通報の義務があります。判断は、国家によって行われます」
次の瞬間、トーコの目元のインジケータが点滅した。
《記録開始:喫茶 あすなろ》
《対象:無許可活動》
《内容:無償提供による公共性を伴う労働行為の継続》
《通報モード・レベルC》
「……っ、本気で通報するのかよ」
青年が唇を噛む。
カナが春日の耳元で囁いた。
「この制度、善意と規範が、永遠にすれ違ったままだよ」
「やってること、悪くないんだけどな……」
吉田もぽつりと漏らす。
だが、トーコはそれには応えなかった。
視線は変わらず“現行違反”に注がれ、背筋を伸ばして立ち尽くしていた。
ー「当ユニットは記録と通報を完了しました。今後の対応については、所管部署の裁量に委ねられます。なお、解散または中断の意思がある場合、記録には反映されます」
「……やめる気ないよ。通報されても、ここに来る人たちのために、今日くらいは居場所を残したいだけだから」
女性の口調は静かだった。
だがその目には、一歩も引かない意思が宿っていた。
トーコは最後にこう告げた。
ー「了解しました。記録はそのまま送信されます。良き休日を」
その場を離れるとき、春日は小さく呟いた。
「“良き休日”って……どっちに向かって言ったんだろうな」
その問いに、トーコは答えなかった。




